偏平足

里山の石神・石仏探訪

石仏281月山(山形)

2010年10月25日 | 登山

月山(がっさん) 姥神(うばがみ)

281 【データ】月山 1979メートル▼25000地図 本道寺、月山▼最寄駅 JR左沢線・寒河江駅▼登山口 山形県西川町本道寺の湯殿山神社▼石仏 月山登山道の中腹、2万5千地図「本道寺」の「姥像」地点

28112812 【案内】本道寺(現湯殿山神社)から月山へ登る道の途中に姥神が祀られている。羽黒山・月山・湯殿山からなる出羽三山のかつての登山口は羽黒・荒沢・注連寺・大日坊・大井沢・本道寺・岩根沢・肘折の八方。この中の羽黒と荒沢は一体なので実際は七ヶ所、いわゆる八方七口といわれた出羽三山の登山口の一つが本道寺である。境内右手がその入口。しば2813 らく林道を歩いた左手からかつての山道が始まり、歩きやすい登りが続く。ときどき長丸の自然石を利用した丁石が目につく。これが月山山頂まで95町の間に置かれたと本道寺の案内にある。姥神は「二十八丁」のだいぶ先、鞍部状の道端に3基の石塔とともに並んでいる。乳房の上に頭部があるいかにもお婆さん姿の姥神である。表情は穏やかで、羽黒山や湯殿山の参道にある鬼女の姥神とは対照的である。これまで姥神のある山として宮城の薬莱山、福島の大滝根山・安達太良山・小野岳、栃木県の茶臼岳などを取り上げ、さまざまな信仰があることを紹介して、その勧請元はこの出羽三山としてきた。では出羽三山での姥神の役目は何か? 明確な回答は出せないが、ここでは聖なる山の禊場の守護神としておきたい。それは、かつて湯殿山の入り口だった装束小屋の姥神からも読み取れる。その姿は本道寺月山道の姥神とまったく同体。

 【独り言】これまで各地の山で姥神を見てきました。そのなかで共通するのは単独で祀られているということでした。ところがこの本道寺からの月山道にある姥神にはもう一体の石像と3基の石塔が並んでいます。その一体は頭部もなく破損がひどいた2814 2815 め尊名は分かりませんが、背中に「祖母神 □保六辛丑天」の銘がありました。祖母神は初めて出会った神名でした。祖母はばば、つまり姥と考えればこの頭部のない石像も姥神となるのですが? 背中の年号は享保6年(1721)。これを姥神とした場合そうとう古い石像になります。姥神のほとんどは年号がなく、あっても江戸時代末期以降のものがほとんどなのです。初めて出合ったこの祖母神は、姥神の信仰のもう一つの世界を暗示しているような存在になりました。それから3基の石塔ですが、いずれも明治時代の建立で戒名が入っていますから墓塔と思われます。死後霊魂はお山に帰る。木曽の御嶽山ではその印として「霊神碑」を建立しましたが、この考えは山に石碑が有る無しに関係なく日本人共通の霊魂観で、月山道の墓塔もそういう趣旨で立てられたのでしょう。

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1 コメント

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石仏の心というBlogをやっているUtamと申します。... (Utam)
2011-03-15 22:07:33
石仏の心というBlogをやっているUtamと申します。初めて書き込みさせていただきます。先日の写真展で、このお婆さんを見せていただき、会場で
奪衣場さんですか?とお尋ねしたのですが、わかりませんでした。この説明でわかりましたが、まったく異なる石仏さんなのですね。 奪衣場なら閻魔さんが一緒にいらっしゃると思っていたので。
これからちょくちょくこちらを見せていただきます。
ありがとうございました。
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