偏平足

里山の石神・石仏探訪

石仏605飯盛峠(埼玉)光明真言供養塔

2015年08月24日 | 登山

飯盛峠(いいもりとうげ) 光明真言供養塔(こうみょうしんごんくようとう)

【データ】飯盛峠 770メートル▼最寄駅 西武秩父線・西吾野駅▼登山口 埼玉県飯能市吾野の西武秩父線西吾野駅▼石仏 飯盛峠の南、国土地理院地図636標高点近く。地図の赤丸印。青丸は大日如来、緑丸は馬頭観音▼地図は国土地理院ホームページより


【案内】奥武蔵グリーンライン飯盛峠から南の方向、国土地理院地図636標高点を通る北川左岸の尾根を北川尾根と呼んでいるらしい。その636標高点の近くに3基の石仏が立つ。ここはかつて東側の高畑と西側の町屋敷の集落を結ぶ道が通っていた。郵便配達の人も利用したという二つの集落を結ぶ生活の道、その入り口の一つは高畠集落の一番上、舗装道路が終わったところのイノシシ除けの柵にそって道が上っている。利用されなくなって久しいのに道がはっきりしているのは、途中にある墓地への道として手入れされているためであろう。




 石仏は峠状の杉林のなかの大杉の根元に立っていた。3基の石仏は「大日如来 弘化五年(1848)三月吉日」「庚申塔 元治二丑(1865)三月吉日 大野廣吉」銘の文字塔と、ここに案内する「光明真言百万篇供養塔」だ。側面に「文久元辛酉年(1861)」、台座には「高畑講中十一軒」とあるこの供養塔の正面には弘法大師の像容が彫られている。光明真言は23の梵字からなる呪文。これを唱えると一切の罪業が除かれるとされ、種字大日如来を中央に、終止符をいれた24の梵字を円形に描いた光明真言塔(注)が近世に造立された。高畑の集落11軒ではこの光明真言を集団で百万遍唱えることを祈願し、結願したのを契機に立てたのが「光明真言百万篇供養塔」である。正面を弘法大師としたのは、高畑の近くにある高山不動が光明真言を重視する真言宗であることに関係していると考える。大日如来の文字塔も光明真言につながっているのかもしれません。
 それにしても奥武蔵の山では大日如来に出会うことが多く、このフログでは伊豆ヶ岳子の権現で案内した。奇しくも、このあと2基目の大日如来に出くわす。
【注】安房高山(千葉)光明真言塔



【独り言】高畑への道で出会った人がいうには、石仏のある場所は高畠の大野さんに尋ねればわかるということでした。その大野さんは留守でしたが、奥様が道を知っていてどうにか3基の石仏の前に立つことができました。庚申塔にある「大野廣吉」は大野さんのご先祖なのかも知れません。
 ここから北川尾根と呼ばれている尾根の踏み跡をたどって飯盛峠に向いました。途中で踏み跡が消えたりしましたが、北東を目指して登ればグリーンラインに出ます。グリーンラインに沿って造られた関東ふれあいの道で、この日2基目の「大日如来」の文字塔に出あいました。「明治六年」の造立で、「施主 大野清造 同廣吉」の銘がありました。この廣吉は光明真言百万篇供養塔の場所にあった庚申塔の大野廣吉だと見ました。台座には「左たか山」とあり、高山不動尊の道標も兼ねた大日如来塔でした。飯盛峠にはだいぶ痛んだ笠付きの馬頭観音が立っていました。「文久二年(1862)」の造立。ここに大野の銘は見いだせませんでしたが、江戸時代末期から明治にかけて高畑の集落から飯盛峠にかけての石造物は、大野廣吉が中心になって立てられていったといえそうです。


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