偏平足

里山の石神・石仏探訪

石仏65 御嶽摩利支天(長野)

2007年01月13日 | 登山

御嶽・摩利支天(まりしてん) 摩利支天(まりしてん)

65  【データ】御嶽・摩利支天 2959メートル▼25000地図 御嶽山▼最寄駅 JR中央本線・木曽福島駅▼登山口 長野県大滝村田ノ原、木曽町三岳の御岳スキー場▼石仏 御岳山山頂群の一峰・摩利支天の山頂

 【案内】摩利支天の信仰が武士の間で信仰されたことは知られているが、信仰の流れはよく分かっていない。そのなかで、京都の本法寺を開いた日蓮宗の日親(14071488)が摩利支天を信仰したことは、この寺に摩利支天堂があることからも確かであり、室町時代には日蓮宗の行者の間に広まっていたと思われる。そして、武士階級に信仰されたのはこの後の戦国時代あたりからと見ている。一方、木曽の御嶽信仰とともに広まる摩利支天は江戸時代末期からで、これが各地の山岳に勧請され、いま関東甲信越にみられる摩利支天石仏のほとんどは、この系統と考えて間違いない。

651 【独り言】NHKの大河ドラマ「風林火山」を見ていたら、いきなり摩利支天が出てきたのには驚きました。このドラマの主役・山本勘助が首から下げていたのが、メダルのような摩利支天像。原作となった井上靖の「風林火山」では出てくるのかどうかわかりませんが、猪年の今年を意識して摩利支天を持ち出したとしたら、脚本の大森寿美男氏に拍手を送りたい。これを裏付けるように、山本勘助の故郷・愛知県豊橋市牛久保町の長谷寺には、摩利支天像があるそうです。しかし、戦国武将が信仰したという摩利支天が下級武士まで知れていたのかどうか、また首にさげるような形があったのか、そしてこれからも摩利支天がドラマに登場するのかなど、摩利支天の石仏を追っている私にはたいへん興味ある場面でした。下写真は山梨県北杜市白州町横手の駒ヶ岳神社境内の摩利支天。

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