上船倉・風の三郎(かぜのさぶろう) 地震様(じしんさま)
【データ】 上船倉・風の三郎 500メートル▼最寄駅 北越急行ほくほく線・ほくほく大島駅▼登山口 新潟県上越市大島区の西沢集落▼石仏 風の三郎山頂、地図の赤丸印▼地図は国土地理ホームページより
【案内】 上船倉に風の三郎という山はない。ここに案内するために取りあえず付けた名称で、頸城丘陵の上越市安塚区上船倉と同市大島区西沢の境にある小ピーク。ピークへの入り口は西沢集落近くの峠から北に延びる林道の途中。藪をかき分けて尾根に出ると、かつての参道らしいはっきりした道に出る。
風の三郎の山頂にはいくつかの石造物が並び、その一つが『越後・佐渡 石仏の里を歩く』(平成14年、新潟県石仏の会)に「地震さま」と案内された石仏だ。ナマズの上に立ち、両手で持った杖でナマズの首を押さえつけている神が地震様である。その姿は地蔵のようでもあり、旅をする僧のようでもある。ナマズが口を開けて体を波打たせているのは抵抗したものの、観念した状態を表したものか。
それにしても地震が多いこの国で地震の神が登場しなかったのは不思議である。仏教には地天、陰陽道には土公神、庶民信仰の石仏には地神・堅牢地神などがあり、いずれも土地を支配しながら地震にはまったく対応していない。地蔵などは地獄の底まで救済するのに、地震の震源は見えないらしい。忘れたころ予兆もなく襲ってきて、アッという間もなく去っていく地震に、神も仏もなす術がなかったのか。すべてナマズの仕業としてお手上げだったようだ。
風の三郎の地震様に造立年はないが、長野盆地から頸城にかけては地震の頻発地帯。内閣府防災情報の「1847善光寺地震」によると、弘化四年(1847)の善光寺地震は、この山がある安塚地区でも震度6前後の大きさだったという。ここは地震様が造立されてもおかしくない土地なのである。
【独り言】 上越市の風の三郎がある峰は、かつての安塚町上船尾と大島村西沢の境にある山です。『越後・佐渡 石仏の里を歩く』の案内を参考に探しましたがダメでした。登山口の上船倉に簡単な集落の案内図があり、そこにも風の三郎がありましたが、見つけ出せませんでした。上船尾に尋ねる人もなく、戸数5、6軒の西沢でやっと道を聞くことができ、風の三郎にたどり着きました。そこに立つのは地震様のほかに、「風天」銘のある石祠=写真上=と宝珠を持つ地蔵風の石造物=写真中=。これが上船尾の集落案内に「風の三郎さま」「薬師さま」と案内されている石仏なのでしょう。ほかにも大日如来や=写真下=すっかり石塊になってしまった石仏もありました。ところでこれらの石仏はみな大島村の西沢集落を向いて立てられていました。ということは西沢の人たちが造立し、地震様に地震除け、風天には風除け、薬師には無病息災を祈願してきた神仏だったのかもしれません。