偏平足

里山の石神・石仏探訪

石仏518富士嶽山(長野)

2014年05月26日 | 登山

 富士嶽山(ふじだけやま) 層塔(そうとう)

5180 【データ】富士嶽山 1034メートル▼国土地理院25000地図・武石▼最寄駅 JR長野新幹線、しなの鉄道・上田駅▼登山口 長野県上田市奈良尾の富士嶽神社▼石仏 富士嶽神社西側の尾根。地図の赤丸印。青丸は薬師如来

 5181 【案内】富士嶽山の登山口は中腹にある富士嶽神社。ここまで林道が入っている。これとは別に集落の東と西から富士嶽山中腹へ通じる林道が入り、神社の上を横切るあたりが山頂・富士嶽神社奥宮への登山口となる。3か所とも車で入れるが、それぞれ入り口に獣除けのゲートがあり、これを開け閉めして通過する(鍵はない)。富士嶽神社の右手から尾根に出て、左に行けば集落東西から入る林道に出る。右はここに案内する層塔への道。
5182 5183 層塔の塔は仏塔のことで、塔は釈迦の遺骨を祀ったストゥーパが起源(卒塔婆はストゥーパの漢字表記)。ドーム型のストゥーパの形は中国、韓国と伝わるうちに変化し、日本では木造建築の三重・五重塔に変わった。同じように変化して石造物になったのが層塔で、多重塔ともいう。構造は下から基壇・軸部・笠・相輪となる。笠(屋根)は奇数が基本で、富士嶽山の層塔は七層。脇に立つ案内によると、台座に「弘安八年乙酉(
1285)」の銘があるという。その銘は確認できないが、軸部の各面にある「弥勒仏塔」の大きな文字は、いまもはっきり残っている。高さ2メートル。当時この地を治めていた塩田陸奥守が、奈良尾の常光寺の住職に建てさせたものと、案内にある。

 5184 5185 【独り言】姥神 弘安八年という古い層塔の脇の社のなかに、これも古い銘がある姥神が祀られています。案内によると「室町時代中期の寛正七年(1466)」の造立とあり、地元では〝大姥様〟と呼んでいるそうです。古くから社内に祀られていたらしく、よく保存されている5186 姥神です。塩田平には青木村殿戸の山中にも姥神=写真=があります。山麓にも同じ像容の石仏が若干あると聞いています。しかし造立の背景や塩田平にだけ姥神がある理由はわかりません。何か手がかりがないかと長野の山を探したら、上田の西の中条村(長野市)の虫倉山も姥神で知られた虫倉山がありました。しかし石像はありませんでした。虫倉山の西の大町市には西正院に姥堂があって、立山の芦峅寺から移した姥神が祀られています。大町からはかつて針ノ木峠を越え、黒部川から立山一ノ越を越えて芦峅寺に出る道がありましたから、これが〝姥神の道〟ではないかと考えてみたこともありましたが、つながりませんでした。
5187 5188 富士嶽神社奥宮へは、神社の上を横切る林道に入り口があります。登りだしてすぐ出会うのが薬師如来。新しい石仏ですが、脇に古い石仏が残っています。これも古そうですが、銘はありませんでした。この道は途中からものすごい急坂になり、張られたロープにすがって登るようになります。別段危ないところではないのですが、登山道としては急すぎます。山頂の奥社は塩田平を向いて建っていました。登る人もいないのか、ワラビがたくさん出ていました。

 

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