偏平足

里山の石神・石仏探訪

石仏325若木山(山形)

2011年06月20日 | 登山

若木山(おさなぎやま) 若木大権現(おさなぎだいごんげん)

3251 【データ】若木山 183メートル▼25000地図 天童市▼最寄駅 JR奥羽本線・神町駅▼登山口 山形県東根市神町▼石仏 若木山山頂

【案内】若木神社は疱瘡の神として東北地方に知られた神社。『若木神社物語』(平成14年、神町歴史の会・若木神社氏子総代会)には「日本一社疱3252 3253 瘡守護神 若木大権現として東北一円の信仰を集め、東北の人々を加護した神様」とあり、「若木山・若木神社・疱瘡神などの石碑や堂宇が各地にある」と紹介している。『続日本石仏図典』(日本石仏協会)の「若木大権現」では、「茨城南部、千葉県北部にかけて唯一基しか確認されていない」として、茨城県利根町大平の大平神社にある若木大権現の石祠をとり上げている。これを紹介した榎本正三氏は、若木大権現は「出羽三山信仰に伴って伝えられたのでは」と推測。その本山である若木山は東根市の南、神町の街のなかの小さな丘といった感じの山で、住宅に接するように若木神社の社殿が残っている。かつては山頂にあったものを、先の戦争でこの地に下ろしたそうで、近くに海軍飛行場を造るにあたり、神社から丸見えになるのを嫌っての処置だった。この時代疱瘡の対処法は確立されていて、若木神社の疱瘡守護の役目も終焉の時期だったと思うが、この処置で東北から関東にまで知られた若木大権現の神格そのものまで地に落ちてしまった印象である。武運長久の神でもあった若木大権現、山から下ろされては見通しも利かず、神威も発揮できなかったに違いない。その飛行場は戦後神町空港となり、昭和40年に山形空港となった。いま若木山は神社も含めて公園になり、山頂には若木神社の新しい石祠が建立されている。

【独り言】標高200メートルにも満たない街中にある若木山ですが、疱瘡の神として東北各地に勧請された有名な神の本山。里山の石仏を紹介しているこのブログでは見逃せない山です。その勧請先の実態を『石 伝説と信仰』(長山幹丸著、平成6年)から拾うと、秋田県の若木山関係の石造物は千畑町(現美郷町)6基、中仙町(現大仙市)12基、太田町(現大仙市)12基となっています。福島県相馬地方の石祠を調査した『本邦小祠の研究』(岩崎敏夫著、昭和38年)には3基の若木権現報告があり、聞き書きに「神職はわかぎさまといい、疱瘡よけの神というだけで由緒はよくわからぬ」「神主はおさなぎ神社だと教えてくれた。しかし婦人の方はわかぎ様と覚えているらしかった」などとあって、勧請先も由緒も名称もわからなくなっている現状が記されています。忘れられてしまった若木大権現ですが、いま同じように勧請元どころか神銘もわからない小祠が山にも里にも沢山残されています。『若木神社物語』に、若木神社を疱瘡の神として中興開山したのは、宗尊という法印で延宝5年(1677)とあります。その境内に姥神がありました。これもかつては山中にあった3254 3255 ようです。「山中にある姥神は修験者がかかわったもの」というのが私の持論ですから、この若木山も修験道の山ということになります。しかし平地にあるこの山に修験道があったとは思えません。それをホローしてくれるのが『若木神社物語』の、「日輪寺水晶山より若木山に移る」です。真意のほどは不明ながら、№324水晶山で案内した修験の日輪寺は戦国末期に若木山に移ったというのです。したがって若木山も修験者の山、姥神があってもおかしくない。ということになります。この姥神、『若木神社物語』には「奪衣婆」とあり、産後の母乳の出をよくするご利益がある。と案内されていました。

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