偏平足

里山の石神・石仏探訪

石仏番外 両神山(埼玉)

2010年09月16日 | 登山

石仏番外 両神山(埼玉)両神山(りょうかみさん) 一位(いちい)

276 【データ】両神山 1723メートル▼25000地図 長又、両神山▼最寄駅 秩父鉄道・三峰口駅▼登山口 埼玉県小鹿野町両神薄の日向大谷▼石仏 清滝小屋の南、尾根にある一位がタワ(現在この一帯は入山禁止で、かつての登山道は荒廃している)

276_5276_6  【案内】「一位のイチはかんなぎの事である」と柳田国男は一位について『新編武蔵風土記稿』から引いている。巫(かんなんぎ)は神に仕え神意を伺う人で、主に女性を指す。その柳田は両神山の一位がタワにある石を「一位墓と称する文字無き自然石の碑が路の側にあった。此山女人禁制であるを、巫女あって強いて登らんとして、此所に於て石になった」と『妹の力』の「老女化石譚」に書いている。また『比丘尼石の話』の「姥石と女人結界」のなかでも同じ話を載せている。このような女人結界にまつわる伝承は、伝統ある信仰の山ほど色濃く残り、山中に女人堂や結界石が建立されてきた。姥石という地名だけ残った山も多い。両神山も古くからの信仰の山であり、中世から近世にかけて修験道で栄えた山であるから、女人結界の場所があるのは当然であり、ここでは一位がタワだったのであろう。しかしそれが「路の側にある文字無き自然石」ではあまりにも寂しい。それではというので、戦後になって両神信仰の女性を中心とした組織が石像を建立したに違いない。それにしてもこの一位の像、老女でもなく比丘尼でもない神々しい女性である。

【独り言】一位がタワを中心とした登山道が、所有者と行政のトラブルから入山禁止になって10年が過ぎました。かつての道も間もなく自然のなかに埋もれてしまうことでしょう。入山できな276_7 いのはしかたがないとして、残念なのはこの尾根に残る多くの石仏も埋もれてしまうことです。25年前この一帯の調査で見た石仏は12体(下の写真はその一部)、そのほとんどがすばらしい像容のものばかりでした。その一つ、徳川家康=写真上=と伝えられているものは、日本石仏協会編「続日本石仏図典」(平成7年、国書刊行会)に私が紹介したものです。胸にある三つ葉葵の紋がその証しということになっています。その信憑性は別として、この像のすごいところは台座に刻まれた「信州伊奈郡石工藤森吉弥 當郡日尾邑石工黒沢三重郎」の銘。徳川家康像は二人の共同制作ということになります。吉弥は流れ者の石工でリアルな表情表現で知られています。2764 276_8 三重郎は秩父の石工ですが、腕は名人とまではいかなかったようです。この二人が組んで造った石仏はほかにもいくつかあり、代表作は秩父札所31番観音院の山門に立つ仁王像です。このようにこの一帯にある石仏は像容もさることながら、しっかしりた信仰背景があって建立されようにみえます。千嶋寿著「両神山の信仰」(名著出版『山岳宗教史叢書8日光と関東の2766 2767 修験道』昭和57年)に「白井差持分一位のたわ并海老つる穴より峯通奥院迠廿ヶ所江壱躰ヅツ相建度」という、建立願いの文書が紹介されています。私が見たのは12体ですから、この他に8体あるのかも知れません。

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