偏平足

里山の石神・石仏探訪

石仏93 稲庭岳(岩手)

2007年07月02日 | 登山

稲庭岳(いなにわだけ) 石灯籠(いしどうろう)

93  【データ】稲庭岳 標高1078メートル▼25000地図 稲庭岳▼最寄駅 JR花輪線・新屋新町駅▼登山口 二戸市浄法寺町高曲原の稲庭キャンプ場▼石仏 稲庭岳山頂

 【案内】寺院の御堂前に一基置かれた石灯籠が、神社にも置かれ93_1 るようになるのは平安時代とされている。これが二基になるのは室町時代、庭園に置かれるようになるのは茶道が確立された戦国時代から。そして、江戸時代には一般化して、現在ではどこの神社でも見られ、庭園にも置かれるようになった。形は上から宝珠・笠・火袋・中台・竿・基礎からなり、中台や基礎に蓮華の花の意匠があるのは、石灯籠の源流が仏教にあることを示している。稲庭岳の石灯籠は宝珠と火袋がない。火袋は初めからなかったのか、途中で失われたのか定かでないが、立派な中台があるので造立当初はあったものと思われる。

【独り言】「昭和47年、青森営林局が稲庭岳の国有林を伐採しようとしたとき、山麓の浄法寺町民の間で反対運動が起こり、伐採は阻止された」と、天台寺で買い求めた『天台寺 そのナゾに挑む』(毎日新聞盛岡支局)に紹介されていました。93_2 これより少し前の昭和30年代、浄法寺町民はある森林伐採を目の当たりにして、苦い経験をしていました。それは、天台寺境内にある杉の老木1166本が、一部寺院関係者の計りですべて伐採された事件でした。建立は平泉の中尊寺より古いだろういわれている天台寺は、明治維新の廃仏毀釈で平安時代からの仏像はじめ、建物まで壊滅的な打ちこわしにあい衰退、そしてこの伐採で代々の信者までも93_4 足を運ば なくなってしまった、と『天台寺 そのナゾに挑む』は伝えています。その立て直しを始めたのが浄法寺町の有志たちで、のちに天台宗本山から今東光、瀬戸内寂聴らが住職となって入山し、再建がやっと軌道にのってきたそうです。こうい人たちが住む街にそびえる稲庭岳ですが、高曲原高原からの登山道は、ブルドーザーで成らした林道のような道が山頂まで続いているのはどうしたわけか。赤茶けて、味のない山道になっていました。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 畑に行ってきました。 | トップ | 日本の石仏 №122 »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。