偏平足

里山の石神・石仏探訪

石仏681万座・熊四郎山(群馬)地蔵菩薩

2016年09月09日 | 登山

万座・熊四郎山(くましろうやま) 地蔵菩薩(じぞうぼさつ)

【データ】 万座・熊四郎山 1984メートル▼最寄駅 JR吾妻線・万座鹿沢口駅▼登山口 群馬県嬬恋村の万座温泉▼石仏 熊四郎山の登山口に建つ薬師堂、地図の赤丸印。青丸は熊四郎山▼地図は国土地理ホームページより



【案内】 医薬の仏である薬師如来を祀る温泉は多く、万座温泉でも温泉街の奥に薬師堂が建ち、薬師如来が鎮座している。薬師堂は古くからあり、正徳三年(1713)建立の記録が残っていると『嬬恋村誌』(注1)にある。その境内に坐しているのが宝珠を両手で持つ地蔵菩薩。石像には珍しい胸飾りが美しい地蔵である。銘はない。
 境内の入り口に建つ「文久元年(1861)」造立の石燈籠には、願主として「門貝瀧澤傳左エ門」「大前同馬次郎」、そして「別当 大笹無量院」とある。門貝も大前も万座温泉の入り口にある嬬恋村の集落名。大笹無量院も同じ村にある寺である。『近世硫黄史の研究』(注2)をみると、門貝と大前の滝沢家は本家・分家の一族で、ともに硫黄・明礬稼ぎによって財をなした家であったことがわかる。熊四郎山から吾妻山にかけての谷は、古くから硫黄・明礬の採掘が行われていた。



 熊四郎山は薬師堂から奥に続く遊歩道を登る。途中に山名のもとになった熊四郎洞窟=写真上=がある。猟師の熊四郎が万座温泉の発見者との伝えありと、入り口にある嬬恋村の案内にある。遊歩道はさらに上部の大岩まで続く。ここから熊四郎山への山道になる。岩の上に祀られているのは「天照大神」=写真下=。国土地理の地図にある神社記号はこれを指しているのか。ここから先は岩場のトラバースが続き、藪のなかの踏み跡を辿ると樹林のなかの小ピークに達する。しかしこれば熊四郎山かどうかは不明。
(注1)『嬬恋村村誌』昭和52年、嬬恋村誌編纂委員会
(注2)小林文端著『近世硫黄史の研究 白根・万座・殺生ケ原の場合』昭和43年


【独り言】 吾妻硫黄鉱山跡 嬬恋村三原から万座に向う万座ハイウェイ、その中ほどにあったのが昔栄えた吾妻硫黄鉱山でした。この鉱山は大正3年に採掘が始まり、小学校が開講したのは昭和15年、そして昭和46年に閉山という短いながら大きな歴史がありました。国内の硫黄鉱山はどこもそうですが、重油から不純物を取り除く段階で硫黄回収の技術が進んだ結果、鉱山での採掘の必要がなくなってしまいました。万座温泉一帯では他にも小串鉱山、長野県側の米子鉱山などかつて栄えた大きな鉱山跡が残っています。



 ハイウェイ脇に立つ地蔵菩薩の台座には「昭和廿五年十月建立 吾妻鉱山分校PTA会員一同」とあり、鉱山が一番賑やかな時の造立だったようです。その脇の石碑には「このお地蔵さんには、雪深い辺境の地で厳しい労働に携わった親たちが子供達の健やかな成長と未来を託した熱い思いが込められている。(略)しかし時が経ち吾妻鉱山は閉ざされ、取り残されたお地蔵さんは淋しそうに見えた。いつでも逢えるように、遠く離れた仲間達も見守れるように 願い込めたここにお移りいただいた」とありますから、小学校の近くにでもあったのでしょうか。この地に移されたのは平成22年5月で、〝望郷の地蔵尊〟と名付けられました。学校跡には体育館がのこり、鉱山口の上には万座高原神社=写真下=が建っていました。


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