偏平足

里山の石神・石仏探訪

石仏147弥彦山(新潟)

2008年06月07日 | 登山

弥彦山(やひこやま) 宝篋印塔(ほうきょういんとう)

147  【データ】弥彦山 634メートル▼25000地図 弥彦▼最寄駅 JR弥彦線・弥彦駅▼登山口 新潟県弥彦村の弥彦神社▼石仏 弥彦山の南、猿ヵ馬場

 【案内】宝篋印塔は中国五代末期に造られた「宝篋印陀羅尼」を納めた鋳造塔が始まり、とするのが定説。『日本仏教史辞典』(吉川弘文館、99年)には「宝篋印陀羅尼を誦すれば、地獄の先祖は極楽に至り、百病・貧窮の者も救われる」とある。現存する石造宝篋印塔は鎌倉時代以降のもの。笠の隅に飾りがついた隅飾突起が特徴であ1471 る。江戸時代になると墓塔として盛んに造立されるようになり、隅飾突起が大きくなったり、相輪が膨らんだ独特な形が登場する。弥彦山の宝篋印塔も隅飾突起が大きくなっている。塔の基礎に刻まれた文字は風化して読み取れないが、『弥彦の石仏』(弥彦村教育委員会、平成18年)には、明和8年(1771)造立。寺泊の人が「為先祖百歳忌父母五十廻菩提」の目的で立てたとある。塔身に刻まれたウーン(阿閦)・タラーク(宝生)・キリーク(阿弥陀)・アク(不空成就)の金剛界四仏の種字は鮮明である。猿ヶ馬場は弥彦山の南、雨乞山南麓の峠。宝篋印塔は弥彦スカイラインの道端にある

1472 【独り言】妙多羅天 吹雪の夜に悪い子を連れ去るヤサブロバサ、この話の元になったとされるのが妙多羅天といわれています。弥彦山の麓にある宝光院の秘仏・妙多羅天を、機会があって拝観させていただきました。その姿は奪衣婆、あの世の入り口三途の川で亡者の衣服をはぎ取る鬼女です。しかし妙多羅天は奪衣婆とは違う伝承が伝えられていました。それを『弥彦郷土史』第11号(平成8年)から要約しますと、「弥彦神社造営の折、鍛冶職の弥三郎の処遇に不満をいだいた母が鬼女となり、空をとんで悪行を重ね、人肉を食う“弥彦の鬼婆”と恐れられるようになった。後に高僧に諭され改心、妙多羅1473_2 1474 天の名をいただいて悪人を戒め、善人を守り、子供の守り神となった」そうです。住職は「妙多羅天の信仰が新潟県内にひろく残されているのは、出開帳が行われたためでしょう」と話し、それに出された妙多羅天像=写真左=も残されていました。素性の不思議な妙多羅天ですが、由緒ある寺社がそろう弥彦山ですから一帯に伝承が多く、妙多羅天の信仰も伝承と史実の見極めが難しいようです。宝光院の裏山には妙多羅天が住んだという婆々杉=写真右=が残っています。御開帳は1015日。

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1 コメント

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新潟県石仏の会HP編集担当のやまだ漫歩です。 (やまだ漫歩)
2008-06-07 17:27:22
新潟県石仏の会HP編集担当のやまだ漫歩です。
いつも各地の山の石仏の写真とコメントを楽しく拝見しています。今回は新潟の石仏を取上げていただきありがとうございます。先日お送りいただいた金城山の三十三観音の写真をトップページの「今週の石仏」に掲載させていただきました。ありがとうございました。
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