偏平足

里山の石神・石仏探訪

石仏番外 佐渡・壇特山(新潟)

2014年08月15日 | 登山

 壇特山(だんとくさん) 弾誓(たんせい)

 5320 【データ】壇特山 906メートル▼国土地理院25000地図・小田▼最寄駅 JR上越新幹線・新潟駅▼登山口 新潟県佐渡市の和木・石名林道の大佐渡石名天然杉入り口▼石仏 檀特山の北西山中にある清水寺奥ノ院。地図の赤丸印(位置は正確でない)、青丸は登山口

 【独り言】佐渡の壇特山は、戦国期から江戸時代初めにかけて念仏布教をした弾誓が籠った山。宮島潤子氏の『謎の石仏 作仏聖の足跡』(平成5年、角川選書)によると、壇特山は北インドの弾多落迦(だんたらか)の旧称で、釈尊が菩薩行をされた所だそうです。釈尊の菩薩行に続こうとして、弾多落迦に誓願をかけて?弾誓〟の法名が生まれたと、宮島氏は解釈しています。
5321 5322 弾誓が修業をしたという場所に、私が初めて出会ったのは
40年前、神奈川県丹沢の大山山麓にある浄発願寺跡の洞窟でした。当時のこの場所は手入れもされず荒れていたので、洞窟は薄気味悪く、中央に立つ行者の石像=写真左(いまこの像はふもとの淨発願寺に移されている)=を撮影して早々に引きあげました。その像が弾誓だと知ったのは、昭和62年に出た『日本石仏図典』(日本石仏協会)に載っていたのを見てだったと思います。その後、宮島氏の『謎の石仏 作仏聖の足跡』から、弾誓とその一派である但唱・長音・空誉・明阿・山居などの作仏聖を知り、彼らの修業地が各地にあることがわかって機会を作っては訪ねてきました。神奈川県箱根の塔ノ沢、長野県須坂市の奇妙山=写真右=、長野県長野市の虫倉山ほか、この一派の活動地がすべて山の中だったのが訪ねるのに好都合でした。そして今回の佐渡の壇特山です。
5323 5324 5325 壇特山の仮堂には木彫仏が二体ありました。如来立像と僧坐像で、詳細はわかりません。仮堂の裏には宝篋印塔。こちらの詳細も不明です。実は壇特山の奥ノ院の所在地がわからぬまま山に入ったので、この奥ノ院に来るだけで体力を使い果たし、調べる気力は失せていました。それより、深い森のなかの奥の院は、ただ佇むだけで満足す5326 るまさに聖地なのです。一方宮島氏が、弾誓が冬の間の修業地とした岩谷口の洞窟は、海岸近くの県道のそばなのですぐわかりました。洞窟内に〝竜眼の池〟をもつこの入り口の岩には、弾誓の書を手本とした名号が彫られています。

 

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