ニュースの記事を見ていて「ネット参拝」というタイトルに目が止まった。
メールによって願い事を神社に送信し、あとは祈願をしてもらうだけだという。
僕個人の考えとしては、いくら利便性を求めた結果だとしても、これはやってはいけない部類に入ると思う。
国際的な観点で、問題を大きくしないため、首相が靖国参拝をせめてネット上でというのならまだ理由がつくにしても、これはただの怠慢に過ぎない。
その根底にあるのは「行くのが面倒だから」ということに他ならないだろう。
神が存在するのか、神社を参拝することによって本当に御利益があるのかどうかは人それぞれ考え方があるだろう。
しかし、遠方だからとか、面倒だからという理由で、その場所に行かないで御利益だけ得ようとするというのは、あまりにも信念が腐ってはいないだろうか。
また、こうしたネット参拝というサービスを提供してしまう神社側にも多大な問題があるように思う。
以前ここでも触れた「モンサンミッシェル」を例にとれば、昔の人達は、聖地を巡礼するために命をかけてそこへ渡ったのだ。
昔の人たちがそうまでしてその場所を訪れたのは、純粋な信仰心はもちろん、その場所がどんな歴史によって、どんな経緯によって「聖地」たるのかをよく理解していたからだろう。
ネットが普及して、遠く離れた相手ともコミュニケーションができたり、好きなときに好きな情報が得られたりと、現代技術がもたらした利益は大きく、素晴らしい点も多い。
一方、使い方を謝ってはならない気がする。
とくに、今回の神社への参拝にしても、祖先のお墓への参拝にしても、単に御利益だけを求めるというのは、求めている側の心が汚れてはいないだろうかと思う。
神を信じるも信じないも別として、宗教というものが生まれたのは、本来、神や死者の霊魂という存在を通じて、現に今を生きている人たちの「心」のあり方を導くためのものとしてだと思う。
長い歴史の中で、何らかの理由から、神や祖先の霊がある場所として大切にされている神社。
人々がこうした場所をないがしろにして、御利益だけ求めようとする「心」に染まってしまったとしたら、罰が当たるように思えてならない。
メールによって願い事を神社に送信し、あとは祈願をしてもらうだけだという。
僕個人の考えとしては、いくら利便性を求めた結果だとしても、これはやってはいけない部類に入ると思う。
国際的な観点で、問題を大きくしないため、首相が靖国参拝をせめてネット上でというのならまだ理由がつくにしても、これはただの怠慢に過ぎない。
その根底にあるのは「行くのが面倒だから」ということに他ならないだろう。
神が存在するのか、神社を参拝することによって本当に御利益があるのかどうかは人それぞれ考え方があるだろう。
しかし、遠方だからとか、面倒だからという理由で、その場所に行かないで御利益だけ得ようとするというのは、あまりにも信念が腐ってはいないだろうか。
また、こうしたネット参拝というサービスを提供してしまう神社側にも多大な問題があるように思う。
以前ここでも触れた「モンサンミッシェル」を例にとれば、昔の人達は、聖地を巡礼するために命をかけてそこへ渡ったのだ。
昔の人たちがそうまでしてその場所を訪れたのは、純粋な信仰心はもちろん、その場所がどんな歴史によって、どんな経緯によって「聖地」たるのかをよく理解していたからだろう。
ネットが普及して、遠く離れた相手ともコミュニケーションができたり、好きなときに好きな情報が得られたりと、現代技術がもたらした利益は大きく、素晴らしい点も多い。
一方、使い方を謝ってはならない気がする。
とくに、今回の神社への参拝にしても、祖先のお墓への参拝にしても、単に御利益だけを求めるというのは、求めている側の心が汚れてはいないだろうかと思う。
神を信じるも信じないも別として、宗教というものが生まれたのは、本来、神や死者の霊魂という存在を通じて、現に今を生きている人たちの「心」のあり方を導くためのものとしてだと思う。
長い歴史の中で、何らかの理由から、神や祖先の霊がある場所として大切にされている神社。
人々がこうした場所をないがしろにして、御利益だけ求めようとする「心」に染まってしまったとしたら、罰が当たるように思えてならない。
すべてがデータ化した、現物の存在しない世の中にはなってほしくないなと思う。人間が自ら生み出した技術に人間自身が飲み込まれている気がしてならない。