gooブログはじめました!

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

些細なことを大事にしよう

2014-02-02 11:11:02 | 日記
世間ではお茶汲みやゴミ出し等は雑用だと言う。しかし、雑用という用はありません。私達が仕事を雑にするから雑用になる。例えば、食堂で皿を洗うにしても、一枚洗うごとに、食べた人が幸せになるように、と祈ると雑用どころろか人格づくりになる。あるいは、チラシ一枚折るごとに、あの障害児が健康になりますようにイメージしながら折ると、祈っている自分が変わる。
何か辛いことを人から言われると、ああこの辛いことを私が我慢すればこの人がちょっと楽になると思うのです。


『星の王子様』に「本当に大切なものは目に見えない、肝心なことは心の目で見なくては見えないよ」と言う。自分の本当に愛するぬいぐるみがある人は、次から次へとぬいぐるみを買う人より幸せなのだ。
これからの一生の間に、何かをなさっている時に「これをあの人のためにしよう」と思ってください。まな板に包丁を下ろす度に祈りながら、願いながらする。これは他の動物には出来ない人間の特権です。
朝は暗闇から始まるのはすばらしい。世間では闇は悪いと考えます。暗ければ電気をつける。あかりをつけるともったいない。暗闇には暗闇の価値がある。友達に裏切られ、みんなから捨てられた、その孤独を安易なもので紛らすのはもったいない。人は孤独の中で成長します。いやが上でも襲ってくる孤独感があれば、しっかり受け止めて、闇がもったいないという感覚で、、孤独を味わって、安易なものでこわされないようにしよう。仕事が終わると、孤独を恐れるためにテレビをつける。音楽を聞く。それは孤独から一時的に逃避しているので、その時逃れても容赦なく再び襲ってくる。それに打ち勝つには素直に今の心の状態を見つめる。そうすると人間が深くなります。孤独を知った人の優しさ、ほほえみ、強さ、そういうものが生まれます。
当たり前を輝かすことを知らないと、愛する力は育たない。輝くものばから追い求めると、生活は非常に貧しくなる。当たり前を輝かして生きていく。感動することを忘れないで生きていく。当たり前を当たり前ととらないで、ありがたいと取る。感動するものを、新しいもの、珍しいもの、お高いもの、誰もが感心するようなものに求めないで、みんなが見過ごしてしまうようなものに見出せる人になる。どういうことかというと、日常の何気ない一コマ例えば、幼児が道端で笑ったのを見ると、あの笑いは以前の姪の子供の笑に似ているなとか、木々の鳥の鳴き声は普段より元気あるなとかと思い感動することです。
小説家のメレデイスは、ユーモアは愛するものを笑って、しかも愛し続けることができる能力だという。「あなたのセーターやぶけてるわ」と言われると、「風通しがよくって、どうりで涼しいわ」と言えるユーモアです。
最近、腰痛に日記を書くと治るというデータがある。第三者になって自分を観察してみる。これは腰痛治療だけでなく、自分にユーモアを持たせるためにも実行してみたい。
飽食の時代に美味しいご馳走を食べて、毛皮のコートを身に包み、外車を乗り回している人の喜びの顔と、一人の行き倒れの人に水を与えて、「
ありがとう」と言って安らかに死んでいく顔を見ながら、喜ぶ顔は同じでない。自分の喜びは、どういう質の喜びかと考えるべきだ。
人の顔。これを見るだけでも日々感動が湧いてくる筈だ。同じものはただ一つとしてない。
海の中で溺れている人に宝石より板切れ一枚の方が価値がある。死というものが行く手を阻む時、死ぬまでに何をしなければならないかというプライオリティができる。制限を受けることは、私達に優先順位を選ばせます。何もかもあれば死ぬまでになに一つできないで終わってしまう可能性がある。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿