ベトナム5日目。ホイアン2日目。 昨晩は完全に日が暮れての到着だけに、ホイアンがどんな街なのかよく把握できていない。今日はじっくりとこの街を歩き回ってみることにしよう。 できるだけ俗化されたメインストリートを避け、人の営みが色濃く感じられる裏通り歩いてゆく。 ホイアン川の畔に出た。今も昔も変わらないであろう光景がそこにはあった。 恵み多いホイアン川。そうした恵みで生計を立てる川漁師も多い。 目抜き通りは観光客で一杯。しかし一つ裏通りに入るだけでこうした光景が飛び込んでくる。 昨晩、入店を果たせなかった店へ。幸いなことに営業中。 このお店は牛肉のフォー「フォー・ボー」の専門店だった。連日のフォーだが寒いので願ったり。オーダーを告げるとすぐにドクダミやパクチーなどの香菜と漬物を出してくれる。香菜好きとしては嬉しい限り。 で、やってきたフォー・ボー。牛骨から丁寧にとったスープは、滋養に満ちた甘みがあって実に美味ぇ。寒いので啜るスープが文字通り胃の腑に染み渡り、「やべえ、すげえ美味ぇ」という言葉が自然と口を吐いて出てしまう。 フォー・ガー同様、塩ベースのスープでさっぱりとしているが、その味わいは全く異なる。 こちらは前述のようにほんのりと甘みがあり、鮮度の良い牛肉だからか、どこかすき焼きの割り下にも煮た懐かしい風味を感じる。フォー・ガー、フォー・ボーいずれも日本人ならば誰もが美味いと感じる味であるが、後者の方がやや味が力強い分、香菜類との相性がいいように思える。 牛骨ベースのスープというと、台湾で食べた牛肉麺を思い出すが、向こうはかなり濃厚でクセも強く、野趣に満ちた味わいだったが、こちらはもっともっと上品ですっきりとしている。俺としてはどちらも甲乙付けがたい味であり、毎日喰っても飽きないことには変わりない。写真を撮った後、どっさりと香菜をぶち込んで喰った。 予想通り、この店は地元らしいローカルフードを喰わせてくれるナイスな店だった。 さて、どこへ行こうかな。 ツレがオーダーメイドのサマードレスを作るというので付き合う。それなりに値は張るが、上質な生地に細部に渡っての指定が可能なフルオーダーだけに、正しい金の使い方だと思う。 街の外れになにやら立派なレリーフが。石版のベトナム語から判断するに、KAZIMIERZ KWIATKOWSKYというポーランド人の建築家らしい。かなりホイアンの街に貢献した人らしいのだが詳細は読み解けず。 華僑が多いだけに中華系の学校も。この日は休校。 こんな霊廟も多い。 雨に降られながら辿り着いた市場。心踊るものを感じる。 バナナの葉でくるまれた、ベトナム版のういろうともいうべきお菓子。お店の軒先で見ていたら、おばさんが葉を剥いて見せてくれたのでパチリ。思ったよりも美味そうだったのと剥いてもらった手前、さいならとは言えないので一つもらって軒先で囓る。見た目よりも上品な味で美味い。お茶請けとして喰うと尚美味いだろう。さすがベトナム。 ちまきを喰っていたら、昨日JETSTARのディレイにより、空港内のレストランで隣り合わせたオーストラリアからのカップルと遭遇した。「一日中雨だってさ」「昨日といい今日の雨模様といい……ったく」みたいな言葉を交わし合い、旅の安全を祈り合う。 青空市場の中程にこんな場内市場もある。面白そうなので入ってみよう。 一階は食材がところ狭しと並べられている。精肉に野菜、調味料など。 二階は衣類が中心。日本の郊外によくあるファッションセンターが凝縮された感じ。女性や子供に向けた服が多い。ちなみに俺の住む街にも、こんな混沌とした老舗の総合衣料品ビルがあり、幼少期の原体験を味わうことができる。 再び青空市場へ。するとフォーとは異なる細い麺を供する屋台を発見。腹が一杯だが激しく興味に駆られ、啜っていくことにした。 供された麺は「ブン・ボー・フエ」というフエ名物の牛肉の汁そば。モヤシや香草の上に大量の骨付き肉が載り、さらにチョコレイトのような血のゼリーまでトッピングしてくれる。麺はフォーではなく、「ブン」と呼ばれる米粉の細麺。ライムをギュッと絞り唐辛子入りの酢をぶち込んで喰う。かなり辛い食べ物とされているらしく、対面のおじさんがフーフー言いながら額の汗を拭う仕草でおどけて見せるが、日頃カレーまみれの食生活を送っているせいか、辛さに関しては楽勝(何の自慢にもならないが)。だが、つい今し方フォー・ボーを喰ったばかりなので、正直なところかなり腹がくちい。つーことで恥ずかしながらツレに手伝ってもらいながらなんとか食べきる。ちなみにおじさんはこの麺にフランスパンを浸して食べていた。いかにも地元然とした食べ方でかっこいい。 だんだんと雨が強くなってきた。どこかで雨宿りすることにしよう。 ホイアン市場前のクアンコン寺。いわゆる関帝廟である。有料で拝観できるが、ご覧の通り雨が強くて撤退することに。 いよいよ雨が強くなり、本格的に冷えてきた。 ホイアンに多くの恵みを与えてきたトゥボン川も明け方からの雨で氾濫気味。聞けばこのトゥボン川、年がら年中溢れ出して街を水浸しにしているという。確かにこの護岸の作りを見れば、あまりに決壊への備えに乏しいかがよく判る。しかしそこはおおらかなベトナムの人々。あえて治水対策を施すことなく、溢れるがままに任せているとのこと。浸水すると喜び勇んで水遊びに高じる子供すらいるてえのだからたくましい。芯から冷える寒さの中では考えただけで鳥肌が立ってくるが、暑い夏期ならばその場に遭遇してみたいとも思う。 いい感じのテラス席のあるカフェがあったのでここで雨宿りすることに。 もちろん頼むはコンデンスミルクがたっぷりと入ったベトナムコーシーである。通りを行き交う地元の人々を眺めつつ、運ばれてきたベトナムコーシーで一息……ぶほうっ! あ、甘ぇ! 酸味や辛み、アルコールが喉を焼くってのはよく聞くが、甘さで喉を焼かれるってのはベトナムならではだろう。「ベトナムのコーシーは甘い」とは聞いていたがまさかここまで激甘とは。しかし不思議なもんで、ングッ、ングッと無理して喉をくぐらせると、3口目あたりから甘みが一レベル下がったように感じはじめ、4口目にはコーシーの風味が甘さを覆い始め、5口目で甘さと苦みのバランスがちょうどいいものに思え、6口目で「意外と旨いかも……」となるから人間の味覚なんていい加減なもんである。だが、さすがに冷えた身体にアイスコーヒーはツラすぎる。スイートフルなコーシーを飲み干し、間髪入れずに温かい茶をポットでもらう。ちなみに連日摂取し続けているドクダミやパクチーをはじめとした香草の薬効成分により、やたらと排尿が快調で、何度もトイレに行った。そのたびにむくみが取れていくようで実に気持がいい。ブルッと来るけどね。 ひっきりなしに地元の行商人が通りかかる。なかなかに美味しそうなフルーツを勧めてくれるのだが、いかんせん、この寒さでは手が出ない。 待てども待てども雨は弱まる気配がない。 そうやって軽く2時間以上はここで雨宿りをしていただろうか。一向に雨が止む気配がない。同じようにテラス席で雨宿りをしていた欧米の旅行者たちが意を決して次々と雨の中に飛び出してゆく。よし、我々も雨の中に飛び込んでいくことにしよう。 店や民家の軒先、街路樹、前を歩く人の傘などを巧みに利用し、辿り着いた「日本橋」。有料で橋を渡ることが出来るが、この寒さ・この雨にも関わらず見物待ちの行列が。とりあえず身体が芯から冷え、歯がガチガチ鳴り始めたので歩き続けることにする。 地元民を運ぶための渡し船。どこまで行くのだろうか。 トゥボン川沿いを歩いていたら、カオラウと並ぶホイアン名物の「ホワイトローズ」を供する屋台を発見。芯から身体が冷え切り、歯がガチガチ鳴っているが、どうしても見過ごすことができず、一皿いただいていくことに。 ホワイトローズとは米粉で作った皮でエビのすり身を包み、蒸し上げた料理。薔薇十字社の構成メンバーが好んで食べたことからこの名前が付いたらしい、というのは嘘で、餡が透けて見えるほどに瑞々しい透明感がある皮の美しさを白い薔薇に例え、ホワイトローズという名前が生まれたのだとか。味だが、文字で感想を綴るのが野暮なほど美味い。見た目通りの“綺麗な味”である。 先客であるオーストラリアからの年配夫婦と意気投合し、自己紹介し合う。我々と同様、新年のバカンスでベトナムにやってきたとのこと。旦那氏はミニングマシーンの整備エンジニア、と判ったのは後のことで、当初、「ミニングマシーン」(Mining machine)がよく理解できず、勝手にマシニングセンターだと思い込んで話を進めていた。拙い会話に親身に付き合ってくれるとってもオープンなご夫婦だった。良い旅を。 ますますもって雨は強くなる。そんでもって虚弱ッキーな俺様氏はついに発熱。激しい悪寒と頭痛。そして身体の節々――特に背骨――の痛み。(これはヤバい……)と確信できるほどに酷い。バカは風邪をひかないのではなかったのか。 すんごくいい雰囲気の路地だが、それを愉しむ余裕がない。ツレには悪いが戻ることにした。 もう、これに乗って宿まで連れて行ってもらいたい。なんなら自分で引いてもいい。 さすがにこれからレストランを選定して晩飯、という気力はどう考えても湧いてこない。またもやツレには悪ぃのだが、テイクアウトで済ませることにした。テイクアウトと言えばバイン・ミーだろう。これとフォーがあれば生きていける。 バイン・ミーだけでは寂しいので、昨晩、夕食を摂った店でホイアン料理を数品テイクアウトし、宿にて食す。あまりに寒いので、蓑虫の如く身体に毛布を巻き付け食事を摂る。 その一時間後、何故かルームサービスでスパゲッティ・ボロネーゼを頼んでいた。さすが欧米人の多いリゾートホテルと言うべきか、予想よりもかなり美味かった。食欲が減退しないのは幸いというべきか。 その後、熱が急上昇。日本でも経験のない酷い発熱で、身体の節々はもちろん、肌までが痛い。凍るように寒いのだが、それ以上に全身の激しい疼痛に耐えきれず、リノリウムの床に素っ裸のまま直寝したり、コテージの玄関に立ち尽くすなどの奇行に走り苦しさからの逃避を図る。眼球まで痛くて持参したノートPCの液晶すら見ることが出来ない。結局、一睡もせぬまま朝を迎えることになってしまったのだった。己の虚弱体質を呪う。 |
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