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ブログタイトルを変更しましたが特に意味はありません。

2013 マレーシア旅行 その2 シンガポール――スルタン・モスクへ

2013年04月07日 23時18分25秒 | 旅――海外


美味いカレーで腹も膨れたし、次に行ってみよう。
向かうはアラブ・ストリートにあるスルタン・モスクだ。



カラフルなローチョー・センター(rochor centre)。
この中にはホーカー(屋台街)があり、その中にバクテーの名店があるらしい。
バクテーもシンガポールやマレーシアの名物料理であるだけに、味わっておかなければならないのだが、
カレーがあまりに美味いこともあって、実は中華料理にイマイチ食指が動かない。



ルルドの聖母教会。
聖母マリアの出現伝説がある聖地ルルドに縁を持つカトリック教会。
ちなみにベイエリアのクラークキー周辺には、
観光名所ともなっている英国国教会のセント・アンドリュース大聖堂がある。残念ながら未訪…。



そんなキリスト教会地区を抜け、アラブ・ストリートを歩くと見えてくるスルターン・モスク。
シンガポール最大にして最古のモスクである。
荘厳にして粛然としたその佇まいはハッと息を呑まずにはいられない。ここを見学する。



素晴らしいことにこのモスクは記帳を行えば礼拝堂内部を見学することができる(礼拝時刻外のみ)。
男女とも露出度の高い服装は禁止。その場合はアバヤと呼ばれるヴェールを借りる。我々はセーフ。
まさか撮影はダメだろうと思って聞いたら「もちろん撮っていいよ」とのこと。凄い。



初めて入るモスクの礼拝堂。その美しさに思わず嘆声を漏らしてしまう。
外は猛暑だが、ここはひんやり。そして聖なる場所ならではのピンと張り詰めた厳粛な空気が流れる。
この先は礼拝時間外であってもムスリム以外は立入禁止。



礼拝時刻を過ぎているが、礼拝堂には信徒の姿が。
一日に五回、夜明けと正午と午後の中時と夕方と夜に、メッカの方角に向かって祈りを捧げる。



礼拝時刻から外れた時間だからだろうか、礼拝堂横で午睡に浸る人も。
外は酷暑。堂内は冷房など必要ないほどに涼しいのでまどろみに誘われるのもよく解る。



日々、神(アッラー)の存在を感じながら生きる。無神の国で生きる人間にとっては、とても素晴らしいことに映る。
ファンダメンタリストたちの過激な行動によってイスラムとテロリズムが結び付けられてしまっているが、
この光景を見ていると、それがとんでもない誤解だということがよく分かる。



次の祈りの時間やシンガポールの日の出時間等を知らせる電光掲示板。
礼拝時刻になると、モスクのミナレット(尖塔)からそれを告知するアザーンが流される。



モスク内には資料コーナーもあり、イスラムの基礎知識に関し、写真とともにアラビア語のほか英語などによる
説明文が付されたパネルが展示されている。
ついつい興が乗ってしまい、釣りやゴルフ、ジャズなどについて語る大橋巨泉の如く得意満面に
メッカ、メジナ、エルサレムといったスンニ派の3大聖地、ナジャフ、カルバラといったシーア派の聖地
についての薀蓄を相方にカマしまくる。今年はこうしたウザい系のキャラを色濃く発揮していくことが
わたくしのテーマである。



かつてのイラン革命によるパーレビ王朝の終焉やイラン・イラク戦争、イスラエルVSアラブ連合軍による
4度に渡る中東戦争、さらには90年代に入ってからのボスニア紛争やチェチェン紛争、コーカサスの
ナゴルノ・カラバフ問題などをきっかけにイスラムの世界に興味を抱き、自分なりに文献や映像等で
知識の研鑽に励んできたつもりではあるが、そこで得たどんな知識よりもリアルなモスクの礼拝風景は
さらなるイスラム世界への興味と尊崇の念を抱かせてくれた。ここへ来てよかった。



美しいスルタン・モスクを後にし、次に向かったのはラッフルズ・ホテル。
今日のシンガポール発展の礎を築いた東インド会社のトーマス・ラッフルズ卿にちなみ、
アルメニア人実業家によって1887年にオープンしたホテル。シンガポールを代表する観光名所の一つ。
ちなみに第二次世界大戦中における我が国のシンガポール占領により、このホテルは旧日本軍に
3年の間接収されていたことがある。
と、歴史を語ってみたが、「ラッフルズ・ホテル」と聞いて真っ先に頭に思い浮かぶのは、
村上ドラゴンの小説の方だったりする。



シンガポールを代表する観光名所でもあるだけに、見学で訪れる観光客も多い。
ラッフルズアーケードでのショッピングやハイ・ティー、シンガポールスリングなどを目当てとする人々で賑わう。
が、悲しいかな。まったく興味が湧かないのであった。


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