~青いそよ風が吹く街角~

映画(主にミニシアター映画)の感想文を軸にマイペースで綴っていきます。

*『ふたりのヌーヴェルヴァーグ ゴダールとトリュフォー』* ※ネタバレ有

2011-09-12 02:34:12 | 映画【フランス】


  『ふたりのヌーヴェルヴァーグ ゴダールとトリュフォー』:公式サイト

視線の奥

フランソワ・トリュフォージャン=リュック・ゴダール
当時の貴重なニュース映像や作品からの抜粋映像を使い、
ヌーヴェルヴァーグのスタートから二人の作風の変化を描く。

サブタイトルは“ゴダールとトリュフォー”なので
観る前は二人の監督のドキュメンタリーなのかと思っていたんですけど、
観てみるとゴダールとトリュフォーを軸に、
二人の監督作品に出演し、その狭間で葛藤する俳優
ジャン・ピエール・レオ
クロード・シャブロルなども描かれていました。
それにしても50年以上前の映画なのに
撮影現場のメイキングが見れるフィルム状態で残っているのには驚きましたよ。
映画を芸術文化として大切にしていたからなのかな?

ハリウッド映画は監督の作風が明確だけど、
ヌーヴェルヴァーグ映画は一見、作風に差異はなく、
監督が違ってもその時代に発表された作品はテーマが地続きに存続されている印象。
目指すものはただ一つ、商業映画ではなく作家性のある映画。
そして、興行不振であろうが作品を非難されようが目指す映画に誇りを持つ事。
“映画あるのみ”な映画人達が時に愛おしく思えたりもしましたよ。

このテの映画はヌーヴェルヴァーグの事を何も知らないで客観的に観るか?
ヌーヴェルヴァーグの事を熟知して、作品や監督・キャストに想いを馳せながら観るか?
二つに一つだと私は思うんですけど、
私はここ10年はフランス映画の観賞本数が大幅に増えたけど、
本編中に映ったヌーヴェルヴァーグの各作品は観ている作品と観ていない作品が半々だったので
観方がつかめなかったり、脈略がつながらなかったりもしました・・・。

それでも、なんとなく感じとれたのは、
最初からゴダールとトリュフォーはライバルだったのではなく、
新しいフランス映画を提唱していく同志だったような気がするの。
ゴダールとトリュフォーの合作『
水の話 - goo 映画』では撮影が早いゴダールと
編集が上手いトリュフォーだからこそ成り立った作品だったそうですし。

 
5月革命によって政治に傾倒していくゴダール
 純粋に映画職人であり続けるトリュフォー
トリュフォーの『
映画に愛をこめて アメリカの夜 - goo 映画』をめぐり、
ゴダールは“ブルジョア的”と激しく非難・・・。
二人の方向性が対極のものとなり、二人の友情は崩壊・・・。
時代の波にのった寵児達を決別させたものも時代の革命というのは皮肉ですよね・・・。

トリュフォーの『
大人は判ってくれない - goo 映画』の少年アントワーヌ〔ジャン・ピエール・レオー〕が
視線の奥から見据えていたものは・・・。

 
『大人は判ってくれない』... ※ネタバレ有

そして、しっかりした受け答えで『大人は判ってくれない』のオーディションを受けている
ジャン・ピエール・レオーの模様が流れるエンドロール。
こうやってヌーヴェルヴァーグの一連の流れを眺めてみると
ヌーヴェルヴァーグの原点は『大人は判ってくれない』だったのかもしれないと思ったりもしましたよ。


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