Blue jewel

拉致の解決を願って
「蒼き星々」関連テキストなど(ココログにも掲載)現在gooがメイン。
デザイン時々変更。

■関谷俊子さんの失踪について

2006-01-23 | 記録
■2006/1/23の記者会見での発表

 調査会では本日17時より、産経新聞朝刊に掲載された記事に関し臨時の記者会見を開きました。発表した内容は以下の通りです。なお、発表文中Bさんは産経の記事では実名になっていますが、調査会のリストはAさんとともに2000番台(非公開)リストにあるため、実名は伏せてあります。

● 関谷俊子さんの失踪について
                              2006.1.23
特定失踪者問題調査会
――――――――――――――――――――――――――
失踪日      1974年(昭和49年)7月11日  1957年生まれ
失踪当時の年齢  17歳
失踪当時の職業  県立千葉商業高校学生 夜間部(学年は不明)
         千葉市内のスーパー・マーケット勤務
失踪場所     千葉県千葉市内
失踪の経過

 親戚の男性(A)と幼馴染の友人女性(B)と3人で、Aの兄妹が勤務する千葉市内の飲食店で食事をした。Aが、「二人を家まで送ってくる。戻ってくるから、食事を用意しておいてくれ」と兄妹に言い残し、車で飲食店を出たまま三人とも失踪。Aの車(赤いマーク�)も未発見。失踪の当日は、関谷さんの引越しの日だった。引越しが終わったあとに、三人で飲食店に食事に来た模様。失踪以降、何ら手がかりとなるものは無かった。

――――――――――――――――――――――――――
★他の事件とのつながりについて

 藤田進さんの拉致を手伝わされたと証言した男性が、藤田さんの事件(1976年)の2年後に、二人の女性の拉致も手伝わされたと証言していた。その男性は「顔を見ていないので誰だか分からない」と証言していた。

 古川了子(1973年失踪、1955年生まれ)さんと、同じ県立千葉商業高校である。同時期に、同じ高校に通っていた。関谷さんの職場は、古川さんの職場の近くである。

 また、産経新聞の記事に、山本美保さんの失踪について「警察が『自殺の可能性』と結論づけ、拉致の過程での死亡の疑いを事実上置き去りにしている」という記述があるが、山本美保さんのご家族ならびに特定失踪者問題調査会ではこの山梨県警の発表を認めていない。

★AさんとBさんの非公開について

産経新聞の記事では、Aさん、Bさんが特定失踪者であることが曖昧であるが、以前より特定失踪者問題調査会の非公開リストには掲載されていた方々である。

 調査会は、AさんとBさんのご家族とは接触をしていたが、ご家族が公開を希望していなかったので、公開を差し控えていた。当面、AさんとBさんのご家族は非公開のままを希望している。

 公開を希望されたご家族は、本人に危害が及ぶ可能性を覚悟して公開をされているが、 非公開の失踪者をこのような形で、事実上の公開になると、本人の生命にも危害が及びかねないものであり、ご家族としてもそれに耐えられない状況がある。したがって、このような形で事実上の公開をされることのないよう、マスコミ関係者には厳に慎んでいただきたい。

★総合的な記事への評価について

 この記事の内容をもって、この三人の失踪者を1000番台とすることはできないが、今後あらたな情報を得るなどの進展があれば、1000番台としていくよう、今後とも注視していきたい。

●峰島栄子さん(関谷俊子さんの実姉)のコメント

 今日の記者会見は、急なことで、また仕事の都合もあり、欠席させていただきます。

 今回のことで、警察をはじめとする関係当局が、捜査・調査をもっともっと全面的に進めていって下さることを期待しています。

 他の二人の公開については、今後、家族と特定失踪者問題調査会との相談の上、検討してまいります。


―――――――――――――――――――――――――――――――

●調査会
〒112-0004 東京都文京区後楽2-3-8 第6松屋ビル401
Tel 03-5684-5058 Fax 03-5684-5059
email:chosakai@circus.ocn.ne.jp
調査会ホームぺージ
戦略情報研究所ホームページ
資金カンパのご協力をよろしくお願いします。
ストラップ

郵便振替口座 00160-9-583587 特定失踪者問題調査会
(ポスターの代金・ストラップの代金と混乱する可能性がありますので、通信欄に「調査会へのカンパ」「家族支援基金へのカンパ」「ポスター代金」など、使途をご記入下さい)
◆―――――――――――――――――――――――――◆
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■北朝鮮で外国放送の受信急増

2006-01-23 | 記録
調査会ニュースから
■北朝鮮で外国放送の受信急増

 韓国のインターネットサイト「Daily NK」は1月20日付のニュースで脱北者からの情報として、最近北朝鮮で外国のラジオを聴く人が急増していると伝えています。「しおかぜ」についてではありませんが、放送が受信される可能性が高いことを示すものとして注目されます。

 Daily NKの原文(韓国語)は下記にあります。
http://www.dailynk.com/korean/read.php?cataId=nk04500&num=17631

 また、韓国保守派の論客である趙甲済・元「月刊朝鮮」編集長のサイトにも「北朝鮮、海外対北放送聴取者大幅に増加」との記事が掲載されています(下記アドレス、韓国語)。
http://www.chogabje.com/board/view.asp?C_IDX=11737&C_CC=AZ


 Daily NKに書かれている脱北者(複数)の証言の要点は以下の通り。

・国境地域の都市は外国ラジオを聴く人間が10軒に5~6軒程度いる。

・KBS(韓国放送公社、日本のNHKにあたる)とFENが良く受信され、短波ラジオを持っている人は自由アジア放送(RFA)をよく聞く。

・昨年12月10日頃「開かれた北韓放送」(韓国のNGOが「しおかぜ」と同様の方式で行っている対北短波放送)を聞いて、その中で北韓人権大会を(ソウルで)開催すると聞き、信心が生まれた。

・VOAも聞いた。「米国の声」と言ったが朝鮮語で行っていたので大変驚いた。諜報放送(宣伝放送の意味か?)だと思ったが、内容は良かった

・自分が大学に通っていたとき、寄宿舎の同室8名の中で私1人を除いた残り7人全てが国境地域出身者でラジオを持っていた。血書を書いて杯に血を注いで一緒に飲み秘密を守る誓いをした後に皆で聞いた。ある友人は日本製短波ラジオを持っていたがそれが一番よく聞こえた。

・脱北してから北朝鮮に戻った人間は外部の情報がいつも欲しくなるため、ラジオを聴かなければ我慢できなくなる。

・ラジオを聴いて摘発されれば電子製品を没収される程度で終わる。テレビ、冷蔵庫、ビデオなどすべてのものを没収されて罰金も課される。これも重い処罰だが、かつてのように厳重ではない。ただ、聞いている現場を摘発されれば、そのときは無条件で政治犯になる。

・罰金は時によって異なる。「コヤンイ」(猫)煙草何箱かやって、15万ウォン位渡してやれば大体処理されると思えばいい。「これからはやるなよ」と、咳払いをして見逃す。
◆―――――――――――――――――――――――――◆
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山茶花

2006-01-22 | フレーズ


東京は、雪になりました。
南越谷の集会に行けなくなって残念でした。特定失踪者的失踪者ご家族のお話を聞きたかったので。

東京もずいぶん積もりましたね。
北朝鮮はどんなに厳しい冬を迎えているでしょうか?
コッチョビには食料があるのでしょうか。

東京には、濡れ雪の重さを、しなやかな枝のバネではたき落としながら雪の中に咲いている山茶花がありました。
北に残されている被害者のみなさんも、山茶花のように、雪をはねのけて咲いていてほしい。

山茶花は、早紀江さんが苗木で買ったものを、新潟から東京に引っ越すときに、となりのおばあちゃまに差し上げてその方が育ててくださったと、早紀江さんの著書に書いてありました。年賀状にはいつも赤い山茶花のことが触れられていたそうです。
―――――引用―――――――――――――――――
「あの山茶花をみるたびに、めぐみさんは絶対何処かで生きているとしか思えません。きっと元気でいますよ」と書き添えてくださいました。
「めぐみお母さんがきっと助けてあげる」より
――――――――――――――――――――――――
平成9年には屋根の高さまで大きくなっていたという山茶花。横田家が新潟を離れてからもずっとめぐみさんを待っていた赤い山茶花。

今日、私は、赤い山茶花がめぐみさんのように見えました。
厳寒の北朝鮮でしなやかに寒さをかわして、生きて、生き抜いて待っていてください。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

おしらせ
特定失踪者、山本美保さんの双子の妹、森本美砂さんのしおかぜに乗せたメッセージが以下のブロクにUPされています。是非お聞きください。

http://ao-sora.cocolog-nifty.com/blog/

◆―――――――――――――――――――――――――◆
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よど号犯人と拉致問題 東京集会1 有本明弘さん

2006-01-21 | 東京集会
よど号犯人と拉致問題 東京集会1  2006年1月19日(木)
         『有本明弘さんのお話』

 


拉致家族の有本明弘です。
こんばんは。(拍手)
ありがとうございます。

拉致の問題・よど号の問題と言う話ですけど、私たちは死んだと言われた家族ばかりが今集まって運動しているんです。
だからどんな証拠を出てきても、どうしようもないんです、これ。
死んだと言われているんやから、これ生き返らすのが先決問題であって、生き返った時点で返せと。
どうか政府が厳しく迫って、向こうが「これはたまらんな」という状況を日本の国が力でこさえて、それで向こうは「いや~あないに言ったけど実は生きてました」と、それしか帰ってくる道がないんです。

そういう意味を込めて、1988年(北朝鮮からの)手紙が来てから、ず~~っと日本の国の北朝鮮に対してのやり方をず~~っと見て来まして。
最近になってアメリカが北朝鮮に厳しく迫るという状況が生まれて来て、やっとアメリカも偽ドルの件でマカオの銀行を差し押さえてしまったと。
こういう状況が生まれて来ました。
だから私はこれで北朝鮮もかなり厳しくなるやろうと、大変革起こるんと違うか?と、そういうふうに思ってるんです。

そういう中において、日本の国は制裁してくれと言うて私たちが、一回目の訪朝以降、そういう運動に切り替えて運動やって来まして。
やっと制裁を出来る法案が出来ましたが、政府はそれを施行すると言う気持ちも気迫も無い、と言う事も皆さんご存知の事と思います。
でも拘らず私たちは、制裁をせよと言い続けて運動をやっているんです。

で考えてみたら、空しい事をしているんじゃないか?と。
小泉さんがおる間は、制裁は絶対あの小泉さんは課さない。
それはなぜかと言いますと、5人の子供を連れて帰ってくるそのために、もう制裁はせないと金正日に会うなりそう言う事を口にしてしまって、それで子供を連れて帰ってきた。

これが現実であって、そういう現実・事情を知っている人は小泉さんの訪朝はするべきでないと。
5人の子供を取り返すだけならば、誰か代わりの人が行ったらいいんだと。
誰も行きひんやったら私が行きましょうと、(拉致議連の)平沼会長はそういうふうに仰ったんです。
それも声明文を出したんです。
これはそこまでの情報はみな平沢勝栄先生、秘密外交をした人から皆事情を聞いてるんですよ、これ。
大連から帰って来た。
他所へ寄らさんと直行させて議連で聞いてるんです。
そういう中において平沼先生がそういう声明文を出したんです。

だから小泉さんがおる間は制裁は日本の国は出来ないんです、これ。
だけど、私たちはそれしか運動、もうないんです。
私は小泉さん辞めというような運動、これ出来ないんです、日本の国の状況下で。
こういうような問題が一番大きな問題として今現在現実の問題として、これあるんです。
だから私たちはこの運動をしてるけれども、小泉さんが総理の座におる間はちょっと無理だなと。
ぜひ(次の)政権を担って頂く人にあの国に制裁を発動してもらうしかないかなと。
そんなような思いで運動をしているんです。
これが私の偽らない本音なんです。

そういう状況下において秘密外交をしはった山崎拓さん、福岡の方ですわ。
これが福岡市内でいろいろな事を喋ってるんです。
3回目の訪朝があるかもしれない。
それは5分5分だと、そういうような事を喋ってる。
これはすでに週刊誌がすっぱ抜いて書いておりますが、むこうの福岡の地方議連の先生方が、こっちの関西の方に情報を寄せてくれている。

2兆円以上の金を向こうに賠償として払う、そんな話も政府では出来上がっているんだと。
そんなことも喋ってるらしい。
マスコミはそこまでよう書かないけれど、そういう情報が私たちに入って来てるんですわ。
それと山崎さんの秘密外交をした、この方の言ってる事が、ひょっとしたらひょっとする可能性も無きにしもあらずなんです。
ああいう性格の人やから2回目の訪朝と同じように、何かのきっかけをこさえて、国内的にそういう世論が声が上がった場合、すぐそういうような行動に移す可能性も考えておかねばならない。

そういうような情報はメディアの関係の人たち、その中の一人が私のところへ来て、そういう裏の話もしてくれました。
経済制裁せよと言ってる人たち今まで、そういう人たちももう経済制裁をすべきだと言うのも、私らみたいに少数派の意見になってしまったと。
そういうような情報も入れてきて、非常にこの山崎拓さんの言ってる言葉に関して、ちょっと危険性があるんじゃないかと言う事を仰って。
北朝鮮にしっかりした態度を示している先生方にお話してこの3回目の訪朝は絶対に中止、止めねばならないというような事も仰って帰りました。
そういう結果において、そういう情報を持って、警察とこ行ってお願いをしてきました。

これはこの間藤沢へ行った時も荒木さんもそういう事を仰ってた。
3回目の訪朝という事に関して危険性があると。
そういう中で警察が辛光洙の問題を出してきたと。
これも荒木さんは心配をしておった。
警察も一緒になって小泉さんの訪朝に手を貸すんじゃないか?というような荒木さんは物の言い方をしましたが、私はずっと以前からそういう情報を持って止めてもらいたいと言う話を、出るところに持って行っておりますので。
政府が強硬にやってくれるという事に関しては、これは今外務省サイドで交渉しているから、外務省はそういう事も北朝鮮に言わなければならない。
であるならばこの3度目の小泉さんの訪朝はちょっとやり辛いんじゃないかと、今現在は私はそういうふうに思っているんです。

この辺でもう時間が無いと言うので、話は終わります。(拍手)

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「横田めぐみストーリー」

2006-01-20 | 記録
 ◆「横田めぐみストーリー」予告編公開
 



予告編は上記画像か URL(http://www.safarimedia.net/)をクリックして「Trailer」のページでみてください。

詳細は電脳補完禄さんの記事でご覧ください。

(動画形式がmovとmp4です。Windows系でQuickTimeが入っていない方は、
電脳補完禄別館のFlashVideoでどうぞ。


この作品に関してのブロク
http://abductionfilm.blogspot.com/





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■生島孝子さんのお姉さんの著書刊行へ

2006-01-19 | 記録


―――――――――――――――――――――――
■生島孝子さんのお姉さんの著書刊行へ
              荒木和博

 昭和47年11月1日に東京渋谷区の自宅を出て失踪した生島孝子さんのお姉さんである生島馨子(けいこ)さんの著書『うらさんの祈りはダイヤモンドになって』(文芸社・税込1,470円)が2月に刊行されます。

 本書のテーマは昨年2月に99歳で亡くなられた母親のうらさんのことです。孝子さんの失踪でご苦労されたこと、それでも娘さんに会いたいという一念で懸命に生き続けられたことが切々と書かれています。深刻な話の割に読んでいて落込まないのはうらさんの前向きの生き方と、馨子さんの文章によるものだと思いますが、自分たち自身、活動の上でも(特にご家族と接するときの気持ちなど)色々と考えさせられることがありました。

 本の中に、調査会を分離する前、平成14年の末に救う会全国協議会として最初の特定失踪者リスト(当時はまだ「特定失踪者」という言葉自体がありませんでしたが)を発表する予定でご家族に了解をとったのに、直前になってその発表を延期したことに落胆されたくだりがありました。延期して調査会を分離し、1月10日の設立にあわせて発表したのは当時救う会の事務局長だった私の責任でやったのですが、延期を決めたときに、生島さんとは別の失踪者のご家族から、涙声で「何で延期したのですか」というお電話をいただいたことがありました。本を読んでいて、「あのとき同じ思いをしておられた人がいたのだな」と思い、自分の言動や行動の一つひとつをもっと大切にしなければならないと感じた次第です。

 本書は2月刊行なので書店に出るのはもう少し先ですが、ぜひご一読をお勧めします。

―――――――――――――――――――――――――
調査会ニュースから
参照:特定失踪者問題調査会

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「きまもり」

2006-01-19 | フレーズ
「きまもり」ということばを知っていますか?
晩秋、枝を埋め尽くすように実った柿の実が、すこしずつ減っていって、一つだけ残った最後の実のことを言います。
一本の木になるたくさんの柿の実のうち、ひとつだけ、最後までその木を守って朽ちていくように運命づけられた実があるという話。最後の実は鳥もその木から落とさないといいます。



「きまもり」のように、恵子さんを待っている母、嘉代子さん。
「きまもり」のように、松木家を守って、薫さんの帰国を待っている90歳になるスナヨさん。
横田家の「きまもり」のように、しおかぜにのせて
「お母さんですよ、頑張ってますか?」
「必ず助けてあげるから、必ず帰って来れるから、元気でいなさい」
と一生懸命に叫んだ横田早紀江さん。

強い寒波が訪れているだろう北朝鮮、被害者はどのように過ごして待っているのでしょう?
____________

北風は冷たいですか?
今朝は何を食べたのでしょう?
食べ物はちゃんとありますか?

風邪をひいていませんか?
どこか病気になっていませんか?
家族はみんな元気ですか?

暖房は十分ですか?
燃料はありますか?

寂しくないですか?
日本に帰りたいでしょう?

お母さんたちは待っていますよ。
一生懸命がんばっていますよ。
「きっと助けてあげる」と私たちも声を上げていますよ。

今年は、厳しい冬ですね。
負けないでください。
もう少し、どうか体を大事に、寒波に負けずに待っていてください。
____________

「きまもり」ように、母たちは待っています。
被害者の救出のために、私たちは家族と一緒に救出のために心をひとつにしていかなければなりません。

小さな力を集めていきましょう。
政府に声を届けていきましょう。
こんな厳しい冬を来年も過ごさせないために!

はがきの請求をお待ちしています。(金木犀)

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よど号グループの帰国再開に関する緊急声明

2006-01-18 | 記録
救う会神奈川事務局 よりの投稿から

本日、関西新空港によど号グループ関係者の帰国がありました。
一昨年よりよど号グループ関係者の帰国は止まっていましたが今回の動きは帰国運動の再開だと思われ、今後、昭和55年にスペインで拉致された松木薫さん・石岡亨さんの拉致事件関与の濃厚な森順子容疑者・黒田佐喜子容疑者の帰国も有ると考えられます。
今回のよど号グループの帰国再開に関して救う会神奈川として以下の緊急声明を発表します。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
  ■よど号グループの帰国再開に関する緊急声明
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


本日,報道等によるとよど号グループメンバーで赤木美智子の二女が関西新空港に帰国した。
よど号グループの帰国は一昨年十月によど号犯妻の水谷協子以来の帰国である。
今回の帰国はよど号グループの帰国再開を意味している。
マスコミ報道によると今後も残りのよど号グループの帰国が予定されているそうである。
その中には昭和55年にスペインで拉致された松木薫さん・石岡享さんの拉致事件に関与した疑いが濃厚で旅券法違反で国際手配されている黒田佐喜子容疑者・森順子容疑者も含まれている。
私たち「北朝鮮に拉致された日本人を救う神奈川の会」として関係機関に対して以下の三点を強く求めたい。

1、日本政府は北朝鮮側に無条件でよど号グループの全員の引き渡しを求めるように強く要求する。

2、国会は拉致問題特別委員会で国内にいるよど号グループ関係者や支援者を積極的に参考人や証人喚問を行いよど号グループが関与した拉致事件の真相究明を行うように強く要求する。

3、捜査当局は今後、帰国が予定されいてるよど号犯妻で昭和55年にスペインで松木薫さんや石岡享さんの拉致事件に関与した森順子容疑者・黒田佐喜子容疑者等に対して拉致事件の観点で徹底した捜査を行うように強く要求する。
また、拉致被害者家族に対して可能な限りの捜査情報の公開を行うように強く要求する。

平成18年1月17日

北朝鮮に拉致された日本人を救う神奈川の会会長 川添友幸

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マカオの拉致被害者(孔令インさん)について

2006-01-16 | 記録
★☆救う会全国協議会ニュース★☆(2006.1.15)より記録として保存

◆―――――――――――――――――――◆
■増元照明・家族会事務局長と西岡力・救う会常任副会長がマカオの拉致被害者家族と面会

 増元照明・家族会事務局長と西岡力・救う会常任副会長がマカオの拉致被害者家族と面会しました。その結果、Hong Leng-iengさんが拉致されていることは間違いないと判明しました。家族会・救う会では Hong Leng-iengさん拉致の真相を究明し救出を訴えていきます。

面会日時 2006年1月13日午後6時から8時頃まで
面会場所 マカオのホテル

拉致被害者  孔令イン(貝二つの下に言)Hong Leng-ieng 1957年生まれ
       1978年7月2日マカオで失踪 マカオのホテル宝石店店員
       同じ日、宝石店同僚ソー・ミオチュンと
       タイ人女性アノーチャ・パンジョイも失踪
       韓国人拉致被害者・崔銀姫が北朝鮮で孔さんに会ったと証言

面会した家族  弟Hong Leng-chun 1959年生まれ
        父親 1922年生まれ 本人の意思で名前非公開

面会概要
 西岡が2005年12月13日、ソウルで聞き取った崔銀姫証言を伝達し、事実関係を確認した。その結果、一緒に拉致された女性に関する情報だけが食い違うがそれ以外はほぼ完全に一致した。
 お父さんと弟さんは「今日聞いた情報と、崔さんが本に書いていることを見ると、姉は拉致されている可能性が高い」と話した。
 弟さんは、「同じ被害者の弟同士として増元さんに会いたかった。気持ちは同じだ。
2人の姉が早く無事に帰ってくるように願う」と話した。
 お父さんは「増元さんに心から同情する。西岡さんが貴重な情報をもたらしてくれたこと感謝する」と話す。
 増元が日本の家族の救出運動について説明したが、2人は「助けたい気持ちは同じだ。しかし、今のところ、静かにしていたい。記者会見のようなものはできない。」という立場を表明。
 増元の「北朝鮮にいる被害者の危険を心配しているからか」という質問に対しても、回答を避けた。
 2人は、日本の家族会・救う会と今後も連絡を取りあいながら確認作業を続けたいと表明された。
 増元、西岡は、孔さんを含むすべての被害者を救出するために運動している、今後日本と国際社会で孔さん拉致についても訴えていくことを約束した。

◆―――――――――――――――――――◆
●崔銀姫証言と家族の話の一致点、相違点

・家族関係「母親と弟がマカオにいる。父親は中国本土の大学教授でマカオに逃げてくるとき一緒に来られなかった」は完全に一致。
・母親の職業「針仕事」も一致
・父親の職業もほぼ一致 崔証言「大学教師」 実際「大卒で中学教師」
※ 崔は1988年に出版した著書の中では「父親は大陸で教鞭を執っている」と記述・本人の宗教 カソリックも一致 「洗礼名マリア」は家族が記憶しておらず調査することになった
・「高校時代にバレーボールの選手だった」は完全に一致、高校時代3年間バレーボールをしており、マカオ代表選手だった。
※この情報は崔の著書にはない。
・「高校を卒業後、大学に行きたかったが、弟を大学に進学させるため就職した」は完全に一致、母親に自分が働いて弟を進学させたいと申し出たという。
・「宝石店店員」は完全に一致
・「副業として観光ガイドをしていた」はほぼ一致 副業としてドッグレースの切符売りをしていた。失踪する1週間前に母親に、ある人から観光ガイドを頼まれ宝石店の同僚女性と一緒にいくだろうと話した。弟さんによると、観光ガイドはそれが最初ではないかという。
・拉致されたときの年齢「20歳の夏」は完全に一致
・一緒に拉致された女性の情報だけが食い違う
崔証言「2人の自称日本人男性の案内をして海岸に行き、そこで初対面の女性と一緒になった。その女性は孔さんより10歳程度上に見えた。飲み屋で働いていたという」実際 同じ日、失踪したのは宝石店の同僚ソー・ミオチュンさん。
ソーさんは事件当時22歳。ソーさん家族と孔さん家族は事件前からつきあいがあり、事件翌日連絡を取り合った。ソーさんが同じ日に失踪したことは間違いない。
弟さんは崔証言に出てくる女性は、タイ人女性アノチャ―・パンジョイさんではないかと推測。
◆―――――――――――――――――――◆

●マカオ女性孔さんについての崔銀姫証言記録(西岡が2005年12月13日、ソウルで聞き取り)

・1978年秋ころ 金剛山宿泊所玄関で目撃 もう一人のマカオ人女性と一緒だった。
・1979年6月頃から9月20日 平壌・東北里招待所4号閣に住む孔さんとしばしば会い話を交わした。崔は隣の招待所に住んでいた。
・1982年1月22日から3月8日 同上
・その後、工作員に中国語を教えているという話を聞いた。
・83年以降、申監督と再会し映画の仕事で忙しくなり、孔さんとは会っていない。
・ミス孔(コン)と呼んでおり、下の名前は知らない。
・カトリック信者、洗礼名マリア。82年近くの林の中に入り、落ち葉に胸までつかりながら、崔に洗礼を授けた。資格はないが「こういう場合は出来る」と言っていたという。
・家族 母親と弟がマカオにいる。父親は中国本土の大学教授でマカオに逃げてくるとき一緒に来られなかった。
・母親が針仕事をして生計を立てていた。
・高校時代にバレーボールの選手だった。
・高校を卒業後、大学に行きたかったが、弟を大学に進学させるため就職した。
・宝石店の店員をしつつ、副業として観光ガイドをしていた。
・20歳の夏、2人の自称日本人男性の案内をして海岸に行き、そこで初対面の女性と一緒になった。2人ともボートに乗せられ海岸近くを回ったあと、沖に出て無理矢理大きな船に乗せられ北朝鮮に連れてこられた。
・その女性は孔さんより10歳程度上に見えた。飲み屋で働いていたという。社会経験が豊富なので北朝鮮に連れていかれてからも激しく抵抗した。孔さんは泣いてばかりいた。拉致された直後、身の回りのものを買うために大使館街の外貨ショップに連れていかれた。そのとき、インドネシア大使館に飛び込み助けを求めたが、北朝鮮当局に引き渡された。その後、もう一人の女性とは別れた。
・孔さんからタイ人女性についてはまったく聞いていない。
・北朝鮮に連れていかれた後、胃の病気をした。子宮の手術もした。
・金正日の秘密宴会に出たことがある。金正日から良い結婚をさせてやると言われたと言っていた。
・孔さんの家族が韓国まで来るならぜひ会いたい。孔さんを助けてあげたい。

◆―――――――――――――――――――◆
 
■北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会

   TEL 03-3946-5780 FAX 03-3946-5784
   http://www.sukuukai.jp

―――――――――――――――――――
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北工作船交信類似(藤田さん、めぐみさん拉致時期)

2006-01-10 | 記録
(産経新聞より)
  記録として保存
 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 ◆藤田進さん 失踪直前に北工作船 交信、「めぐみさん」と酷似 
 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 北朝鮮に拉致された可能性が指摘されている埼玉県川口市の藤田進さん=当時(19)=が失踪(しっそう)する直前の昭和五十一年一月末、新潟・佐渡島沖を日本沿岸に向かって航行する北朝鮮工作船が確認されていたことが九日、分かった。船の無線交信を解析したところ、横田めぐみさん=拉致当時(13)=が拉致された五十二年十一月ごろ、捕捉された通信と交信状況が酷似していた。捜査当局は、この工作船と藤田さん失踪との関連を慎重に調べている。
 東京学芸大の一年生だった藤田さんは五十一年二月七日、「ガードマンのアルバイトに行く」と言って外出したまま消息を絶った。
 工作船はその十日前の五十一年一月二十八日、佐渡島の北西約八十マイル(約百五十キロ)を航行。海上自衛隊の対潜哨戒機P2Jが船の撮影に成功していた。
 船体に書かれた船名は五文字で、末尾に「丸」の文字があり、日本の漁船を偽装していたが、船尾に工作子船の格納室とみられる観音開きの扉があり、無数のアンテナが張り巡らされるなど北朝鮮工作船の特徴を複数備えていたという。
 船型などを詳細に分析、照合したところ、前年の五十年十一月四日に日本海で確認された船と同一であることが判明。この船は、特有の外観や航跡を示したことから、北朝鮮工作船と断定されている。
 五十年から五十一年一月にかけては、横田めぐみさんや原敕晁(ただあき)さん=同(43)=らの拉致に関与したとされる北朝鮮工作員、辛光洙(シン・グァンス)容疑者(76)=ICPO(国際刑事警察機構)に国際手配=が日本国内で活動拠点を確保、在日朝鮮人を補助工作員に仕立てるなど、活動を活発化させた時期と一致する。
 工作船が日本に接近する際、北朝鮮のラジオ放送に紛れ込ませた暗号放送を潜伏工作員が受信するほか、(1)北朝鮮の基地と工作船(2)工作船と潜伏工作員-の間で無線交信が行われることが分かっている。関係当局が傍受した場合、海自や海上保安庁が艦艇で海上警戒にあたり、警察も沿岸を警戒する。
 これまでに政府が認定した拉致事件でも、こうした無線や工作船の出現時期・場所と、事件発生の時期・場所が合致することが認定根拠の一つになっており、藤田さんのケースでも、工作船との関連は捜査の重要な要素となる。
 藤田さんの失踪をめぐっては一昨年十二月、救出活動を支援している「特定失踪者問題調査会」に国内の男性が「藤田さん拉致にかかわった」と告白。男性は「藤田さんの監禁先だった千葉県内から、車で(新潟県の)糸魚川まで運んだ」と話したという。調査会によると、糸魚川は、北朝鮮が拉致被害者を太平洋側から日本海側に連れ出すとみられている経路「大町ルート」上に当たる。
 調査会は、脱北者が北朝鮮から持ち出したとされる男性の写真を入手。専門家に鑑定依頼したところ、「藤田さんである可能性が高い」との結果が出ている。藤田さんの家族らは一昨年九月、埼玉県警に告発状を提出。警察当局は「拉致」の可能性も含めて捜査している。
     ◇
【用語解説】特定失踪者問題調査会
 北朝鮮に拉致された可能性が排除できない失踪事件について調査する団体。金正日総書記が日本人拉致を認めたことを契機に、拉致被害者の「家族会」を支援する「救う会」が平成15年1月に設立。全国から寄せられる失踪者情報について拉致の可能性を調べ、政府への調査要請や提言、拉致被害者向けの短波ラジオでの呼びかけなどを活動内容とする。これまでに公開調査している特定失踪者252人のうち34人を「拉致濃厚」としている。(産経新聞)
 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 上記のニュースに関して [調査会NEWS 323](18.1.10)より
  ■藤田進さん失踪時の情報について  
                       荒木和博
 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 
 本日の産経新聞に掲載された藤田進さん失踪時の不審船及びその電波情報は重要な情報だと思います。藤田進さんについては一昨年夏に出た写真があり、安明進氏の目撃証言があり、しかも実行犯の1人と推定される人間の証言もありで、政府認定されるに十分過ぎる状況です。現在の認定者16人の中にも認定された時点でここまでの基準を満たしていなかった人は存在します。それでも拉致認定はされていないのですから、今回のことはますます政府の認定基準がいい加減であることを証明するものです。

 何度も言っていますが、拉致は個別の事件ではなく国家の安全保障の問題です。政府は警察の「法と証拠」という建前にこだわらず、積極的な拉致認定をするべきです。また、さらに言えば認定するかしないか、家族が名乗り出ているかどうかにかかわらず、全ての拉致被害者を救出するという原則に立って迅速な対応をしてもらいたいと思います。

 そして、その前提で各情報機関はもっと積極的に情報を公開されるよう期待します。縦割り行政の弊害で、それぞれの情報機関の持っている情報をつなぎ合わせれば分かることが組織の壁に阻まれて明らかになっていないことは相当あると推定されています。CIA的な活動をする情報機関が必要だとは思いますが、現在の日本の各情報機関でも、かなりの蓄積はあり、優秀な人材も揃っています。それぞれの機関の持っている情報の一部が共有されるだけでも大変な力になるはずです。

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辛光洙事件 顛末記①

2006-01-10 | 記録
蒼き星々掲示板
安倍貞任さんの投稿より

「北朝鮮データブック」(重村智計著)に触れられている「辛光洙事件」
 



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
 北朝鮮が日本人を拉致している事実が明らかにされたのは、1985年5月28日であった。韓国の国家安全企画部は、日本のパスポートを利用し日本人と偽って韓国に入国した北朝鮮の工作員、辛光洙の逮捕を発表した。同時に、辛が日本人を北朝鮮に拉致した事実も明らかにされた。この拉致日本人は原敕晁さんであった。

 私は、当時毎日新聞のソウル特派員としてこの記事を送稿した。ところが、東京のデスクはなかなか信用してくれない。韓国の「でっち上げ」ではないか、というのだった。「問題ないから掲載して欲しい」と、私は強く要請した。それでも、夕刊社会面の左肩(ページ左側の上部をこう呼ぶ)に掲載されただけだった。今なら一面トップの大きな記事になる事件だが、当時は日本では注目を集めなかった。

 また、警察の捜査も冷たかった。もし、この時期に日本政府と警察・外務省、政治家が動いていたら多くの拉致日本人は救出されたかもしれない。だが、誰も動かなかった。また、韓国に留学していた在日韓国人学生の「スパイ事件」が摘発されたりした。北朝鮮の工作機関が、在日韓国人の留学生を利用した「工作活動」であった。しかし、こうした事実を日本の新聞はあまり大きく報じなかった。また、日本国内では社会党や岩波書店の雑誌「世界」などを中心に、武装工作員事件や留学生スパイ事件で、「でっち上げ」と非難する活動が繰り広げられた。

 当時の日本社会には「まさか北朝鮮が日本人を拉致するわけがない」との雰囲気が支配的であった。さらに当時は、日本の警察と韓国の情報機関・警察との捜査協力が、きわめて困難な状況にあった。これは、韓国側に多くの責任があった。

 韓国の国家安全企画部は、記者会見で原さん拉致に関する捜査資料を出した。この中には、原さんがコックをしていた大阪の中華料理店をはじめ、辛光洙が協力者と会合した喫茶店や食堂などに関する写真や資料がついていた。こうした資料は、国家安全企画部が日本国内で捜査活動を行ったことを意味している。外国の捜査機関が日本国内で勝手に捜査を行うのは、主権侵害である。なぜ、日本政府と日本の警察は抗議しなかったのか。

 実は、この捜査結果は安全企画部と大阪府警が同時に発表することになっていたという。ところが、功をあせった安全企画部が先に発表してしまったというのである。これでは、日本の警察は面子丸つぶれである。日本の警察と韓国の警察や情報当局の協力は、1973年に韓国中央情報部(KCIA)が東京のホテルから金大中前大統領候補(当時)を拉致して以来、中断していた。その協力関係が復活したのが、原さんを拉致した辛光洙事件であった。ところが、韓国側が先に発表してしまったことから、日韓の捜査協力は再び困難になってしまった。

 原さんは、辛光洙に無期懲役の刑が確定した(1986年6月)直後の7月19日に死亡した、と北朝鮮政府は通告した。この死亡の時期を確認するのは、北朝鮮が提出した1枚の死亡証明書だけである。きわめて不自然な死、というしかない。(本書p36~p40)

――――――――――――――――――――――――――――――――――――

辛光洙の事件について、重村氏は↓のように、考察しているようです。

・韓国の国家安全企画部が辛光洙の日本国内での工作活動を日本政府に極秘で捜査していた(主権侵害行為)

・(主権侵害行為ではあるが)国家安全企画部と大阪府警は、捜査結果を同時に発表することになっていた 。

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辛光洙事件 顛末記②

2006-01-10 | 記録
蒼き星々 掲示板
安倍貞任さんの投稿より

「拉致はなぜ防げなかったのか」(川邊克郎著)に触れられている「辛光洙事件」 




――――――――――――――――――――――――――――――――――――
 1985年6月28日の韓国国家安全企画部(NSP)の発表により、80年6月20日、大阪の日本人コック原敕晁さんが宮崎・青島海岸から北朝鮮に拉致されていたことがわかった。北朝鮮工作員・辛光洙は原さん本人に成り済まして日本に住み、対南工作のため原さん名義の旅券、運転免許証、国民保険証を持って渡韓した1985年2月24日に韓国当局に逮捕され、その後韓国の裁判で死刑判決を受けた。

 「宇出津事件」をはじめ、それまでの拉致捜査では、実行犯の特定が出来なかったことが、立件への大きな壁となっていたが、この事件(=原さん拉致事件)では主犯の辛が北朝鮮のスパイとして逮捕・起訴されていた上、韓国の法廷で東京、大阪、横浜、長野在住の在日韓国、朝鮮人とともに拉致などに関与した事実を証言したため、日本におけるスパイ活動の一端が明らかになった。

 この時の、日本の公安当局の立件に向けた行動は素早かった。まずは韓国の情報機関や日本政府の介入を避けるため、韓国の捜査当局が持っている資料の提供を外交ルートではなく、ICPO(国際刑事警察機構)を通じて依頼したが、順調に進むかに見えた拉致捜査は突然頓挫する。

 辛光洙事件の場合、日韓で法制度が異なる上に全斗煥大統領率いる軍事政権下で(拷問を含む取調べで)得られた「辛供述」の証拠採用に当時の日本検察首脳らが否定的だったことが立件を見送った理由のひとつであったが、最大の要因は捜査指揮に当たっていたリーダーの突然の交替だったという。

 韓国の辛光洙事件摘発の発表からわずか1ヶ月余の85年8月、警察庁警備局長・柴田善憲(1955年入庁)が近畿管区警察局長へ、柴田の後任と目されていた警視庁公安部長・福井與明(57年入庁)が埼玉県警本部長へと、揃って”放逐”された。

 当時の警察庁内部では、政治家への接近を深めるいわゆる”政治派”と警察の政治からの独立を守ろうとする”独立派”の間で、警察庁始まって以来といわれるほどの熾烈な派閥抗争が展開されていた。

 しかし、”独立派”のリーダー・三井脩警察庁長官(旧内務省1946年入省)が退官すると、その三井人脈に連なる柴田や福井らが一転”政治派”から「報復人事」(警察庁OB)を受けることになった。

 そして後任の警備局長には三島健二郎(56年採用)が、警視庁公安部長には城内康光(58年採用、後に警察庁長官=落選した城内実前議員の父上、らしいです)がそれぞれ就いたが、捜査指揮を執るにはいずれも「非力」(前出OB) であった。特に、三島新警備局長は外事課長時代に、外交問題にまで発展した「文世光事件」で「かなり痛い目にあっているので、このときも再び政治に巻き込まれるのを嫌った」(警視庁OBの言)という。

 また城内はその後警備局長に昇進する。88年3月26日参院・予算委員会で日本共産党・橋本敦委員から辛光洙事件の共犯として韓国当局に逮捕された安永奎(アンヨンギュ)の供述内容を問われ、「この北朝鮮工作員、安永奎が1978年に次のような指示を上部から受けておるということを承知しております。すなわち45歳から50歳の独身日本人男性と20歳代の日本人女性を北朝鮮に連れてくるようにという指示を受けていたということでございます」と、胸を張った。

 当時(88年3月)は大韓航空機爆破事件の金賢姫の日本人化教育係とされる「李恩恵」捜しに日本中が狂奔している渦中で、この反北朝鮮ムードを追い風に、国会答弁としては一歩踏み込んだものとなっているが、もはや”出し遅れの証文”といった感は拭えない。2002年8月、警視庁公安部は旅券法違反などの容疑で辛光洙の逮捕状を執ったが、「この程度だったら、背乗りということで、当時も(立件)出来たはずだと思うが」と、現職の警察官僚たちは当時の先輩たちの捜査姿勢に極めて批判的である。

 また、当時の捜査担当者らは「韓国の捜査協力を得て、日本に帰ってきたら、幹部が交替していた。もしこの拉致事件が正式に立件化されていたら、これを突破口に日本国内における北朝鮮スパイ人脈の解明が一気に進んだろう」「あの時ケジメをつけておけば87年の大韓機爆破事件などは起きなかっただろう」と、今も口を揃えて断言する。

 そして拉致事件の中心人物である辛は、2000年6月に平壌で開催された初の南北首脳会談の”見返り”として同年9月2日に「非転向長期囚」のひとりとして北朝鮮に”凱旋帰国”することになるが、日本警察の拉致捜査は辛光洙事件の立件失敗(85年)により、それ以降完全に隘路に入ってしまったことになる。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――

重村本の「警察の捜査も冷たかった」という部分についてはより詳細に記述されています。
またNSPは極秘に捜査したのではなく、ICPOを経由して資料を提出すなどして、日韓の公安機関は捜査協力をしていた様子です。

辛光洙の捜査に件に関しては、両書を通じて日本側の事情により中途半端に終わったのかなという印象は拭えませんが、少なくとも韓国司法機関がめぐみさんのことを伏せて、辛光洙を起訴、死刑判決を下したとは考えられませんね。

日本の警察庁としてはいろいろと辛光洙事件では苦汁を飲まされていますので、「辛光洙」情報には必要以上に前のめりになってしまうかもしれません。

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ぬくもりは裾野から伝わる~浦和署名活動

2006-01-08 | 記録
 ◆~浦和~◆
救う会埼玉を中心に、特定失踪者のご家族、田口八重子さんのご家族も参加してJR浦和駅前の街頭署名活動が行われました。参加者は20名ぐらいだったと思います。

埼玉では、以前の大宮から浦和に場所を移して、毎月一回、定期的に活動をなさっています。私がこの活動に初めて参加してから一年がたちます。最初に参加したときの感想は、正直言って、『埼玉は冷たいのかしら・・』というものでした。『我関せず』と、うつむいて通り過ぎる人が多かったのです。

ボランティアはほんとうに一生懸命なのに、立ち止まる人の少なさ(これは私の期待が大きすぎたからかもしれません)上野に比べると人々の視線が、冷たいように感じたのです。それでも、特定失踪者のご家族、ボランティアのみなさんは、一生懸命でした。私も、精一杯声を出しました。

振り返って一年、上田知事が参加してくださり、大きく署名の数が伸びたこともあります。でも、翌月には、もとの数に戻ってしまって、ちょっとがっかりしたこともあります。

しかし、今日、久しぶりに参加した署名活動は、違って見えました。署名活動が街になじんでいたのです。
定着ということはこれなんだと思いました。駅付近にいる方々の視線が違うのです。
埼玉の署名活動は、浦和の駅前にきちんと市民権を得ていました、確実に。

『あ、あの署名活動は、拉致被害者救出の為にいつもやっている、あの署名活動だな』『前回素通りしたから、今日は書いてあげよう』『ごめん、今日は忙しいから、この次ね』という声が、歩いている人の視線から感じ取れたのです。

頭を下げて、通り過ぎる人、『頑張ってください』と声をかけてくださる方、家族そろって署名してくださる方、ファーストフードの飲み物を片手に、署名してくれる、女子高校生。
『あなたと同じ年頃で、拉致されためぐみさんのために署名して!君に頼んでいるのよ』と声をかけた私を見つめて、『え、オレ?』と聞き返しながら、『めぐみさんは携帯だって、メールだってしらないのよ』と言う私のほうをみながら、署名してくれた、少しばかり茶髪の男子高校生二人組。

----------------------------
増元正一さんが信じた日本とは、あなたのことですよ。国民の一人として、その責任を、せめて、一行の署名で果たしましょう。救いたいという願いを、署名として政府に届けましょう。。。失踪者の多い埼玉の県民として、上田知事と共に埼玉が拉致被害者救出の先頭に立とうではありませんか。。
一人一人の特定失踪者にも名前があり、それぞれの人生があり、夢があったんです。
家族に会いたい願いは、皆さんと同じです。どうかその思いを共にしましょう。
どうかお願いいたします。
----------------------------

つたない私の訴えでも、人々に響くようになっていました。
すべては、救う会埼玉と、川口の特定失踪者ご家族、田口さんご家族の努力のたまものです。継続は力を、正に知りました。

今日は、日本テレビのニュース報道ディレクターが取材に来ていました。『しおかぜ』の録音をテーマに佐々木悦子さんのお母様の活動を追われているそうです。佐々木さんのお母様は、高齢にもかかわらず、12月、日比谷の街頭でも、チラシを払っていく人の多い、寒い街で頑張っていらっしゃいました。生島さんも、新木さんも、他の失踪者ご家族も同じです。井上克美さんのお母様もきっと群馬で今日の活動を心配なさっていたでしょう。

そろそろ私たちが代わりになって差し上げるときだとも思います。

 ◆~上野~◆
同じ日、上野では、ひとりっきりの署名活動が行われていたそうです。忘れ物をした主催者が、戻るまで一人で署名を訴えていたAさんの心細さがよくわかります。でも、ここも継続は力です。心細そうなAさんに『頑張って!あきらめないで。必ず帰ってくるから。応援している人はたくさんいるから』と握手してくださった女性がいらしたそうです。
かけられる声に励まされ、ただただ、ご家族の代わりに頭を下げる姿が目に浮かびます。

昨日高英起さんは『金正日は日本の世論を一番怖がっている。』とおっしゃっていました。その世論を醸成するために、こうして裾野を広げれば、いざというときに日本中の大衆世論が味方をしてくれます。具体的には活動や、集会への参加者がひとりふたりと増えていくはずです。
私は、こういった地道な活動で、一人一人、拉致問題に関心を持つ裾野を広げていく活動の片隅にいます。被害者救出活動には、リーダーの取り組みを支える大衆世論の醸成と拡大が必要なはずだと私は信じています。

この掲示板は集会や署名活動といった現実の活動と、NETの中での言論、主張、声とを結びあわせて、救出のための総合力にしていく一助になれる場所でありたい。


 佐々木悦子さんのお母さん 


 田口八重子さんのお兄さん(本田さん)

  

  駅頭に掲げられたのぼり

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青木直人著『拉致処分』のまとめ

2006-01-07 | 記録
『拉致処分』から中韓・米中・日中の絡み合い
蒼き星々掲示板より、安倍貞任さんの投稿から。

正月休みに「拉致処分」(青木直人著)を読みました。
中国専門家としてその立場から中朝、米中、日中、そして日朝という多国間の複雑な絡み合いを一つ一つの海外ニュースを集積して考察しています。

経済成長著しいといわれる中国も、東北三省(遼寧省、吉林省、黒龍江省)は北京、上海に大きく遅れを取っていて、この地域の再開発が中国政府の急務とされています。
この、東北三省はロシア、北朝鮮と国境を接し、それらの国を経て日本海へ通じています。
東北三省の成長には北朝鮮の正常安定、経済成長がどうしても必要であり、そのためには日朝国交樹立と日本から北朝鮮への経済復興資金の流入が、中国政府はのどから手が出るほど渇望していると、著者は指摘しています。

中国政府にとって日本人拉致事件などどうでもよく、中国の国益にとって日朝国交樹立と北朝鮮の復興が大きな関心事。
そうした思惑に対して、日本政府の現在の海外援助がどのような動きをしようとしているかを、アジア開発銀行に焦点を当てて解明しています。

以下は同書、第6章の中の

5 「対中ODA減少の肩代わりをするアジア開発銀行」と
6 「アジア開発銀行に『東北北朝鮮開発援助』セクション誕生」からの抜粋。


 ◆5 対中ODA減少の肩代わりをするアジア開発銀行
 アジア開発銀行(ADB)は北朝鮮への「人道援助」以上に、すでに北朝鮮プラス中国東北地方、それにロシアの極東、韓国など、6カ国協議の参加国が対象となる地域開発構想に前のめりである。

*アジア開発銀行と世界銀行は代表的な国際援助団体で、日本と米国が最大の出資国で(日本の出資比率はADBが16%)、日本は強い影響力を持っている。

東北アジア地域に、今後膨大なインフラ開発支援を予定している。これはもちろん北朝鮮への2カ国支援とはまったく別の援助になる。繰り返すが拉致問題は未解決なまま、援助へのシフト体制だけは着々と進んでいるのだ。国民はこうした事実をまったく知らない。

 政府開発援助(ODA)が私たち国民の血税であるように、日本政府がこれまでADBに対して行った膨大な財政支援の出所は日本国民の税金や財政投融資なのである。そればかりかADBの総裁ポストは創設以来一貫して日本の財務省(旧・大蔵省)の高官が就任している。財務省の植民地というのが霞ヶ関の陰の声なのだ。

 2003年末現在でADBの通常資本財源(応募済み資本ベース)520億ドルのうち、日本の出資額は82億ドル(9020億円、1ドル=110円計算)で、これはシェアで15.8%を占め、米国と共に加盟国中第1位である。
 またこれとは別に内部にあるアジア開発基金201億ドルのうち、日本の拠出額は75億ドル(8250億円・シェア37.3%)で、これも加盟国中No.1の金額である。アジア開発基金というのはアジア各国の中でもバングラディシュなど最貧国を対象にした人道援助資金のことである。北朝鮮の崩壊寸前の経済状況を見れば、日朝平壌宣言にある「国際機関からの人道援助」とは具体的にはこのADBのアジア開発基金を指すと思われる。

 そうなると北朝鮮には日本の円借款や無償援助に加えて、日本が最大の影響力を持つADBから最貧国への融資としてアジア開発基金からも支援が実行されるわけだ。当然ここにも日本人の血税と財政投融資が投じられるのである。

 ADBの融資で気になるのは、近年の中国向け融資の異常なまでの突出ぶりにある。しかも知れは日本政府が中国の経済成長を理由に、中国向けODA、なかでも90%を円借款を減らしはじめた2000年ごろを契機に急増しているのだ。つまり外務省主導のODAは減っているのだが、財務省が影響力を持つADBからの迂回融資は逆にうなぎのぼりなのである。

 具体的に数字をあげておくと(外務省主導の中国向け)円借款が2000年の2143億円をピークにして、03年度が967億円、04年度が859億円と一時の半分以下に縮小しているにもかかわらず、ADBの対中融資は今後、05年から07年までの3年間で毎年15億ドル(約1650億円)、年間で合計45億ドル(約4950億円)もの融資が決定している。毎年1650億円といえば、04年度の対中円借款のおおよそ2倍にあたる数字である。

ADBは日本の財務省が牛耳っている国際団体で、油脂の可否はすべて財務省から出向している日本人総裁の裁量に任されている。だがこれでは円借款削減の補填としてADBの支援がが行われていていると非難されてもやむを得まい。

*木を見て森を見ず、とはまさにこのこと。外務省主導のODA、対中円借款が減って喜んでいられるのもつかの間、対中援助は裏では継続しているし、さらには対北援助がひそかに、財務省を舞台に行われようとしている可能性が強い。

 融資の金額だけが問題なのではない。中味も大問題なのだ。外務省がすでに豊かになった中国には必要ない、自助努力でやってほしいと言う内陸の道路や鉄道など交通インフラに膨大な援助が実施されているのだ。外務省の対中ODAの供与額を見ていくと、2000年を境に、金額が減少し、しかも内陸地域の道路など社会的インフラに対する援助が姿を消している。これに代わって教育や医療、環境対策の案件が増えているのが実情だ。これは経済成長を続ける沿岸部がその富で貧しい内陸を支援するべきで、交通関連のプロジェクトは自助努力でやってほしいという考えからきている。確かに宇宙に有人衛星まで飛ばす実績を持つ中国なら自分のことは自分で解決すべきであり、国際機関からの援助はあくまで人道支援の範囲にとどめるべきだろう。それが日本国民の感覚でもある。

 だが奇妙なことに、同じ日本政府の役所の財務省高官が最高ポストについているADBではそうした日本政府の近年の中国戦略理念に逆らうように、インフラ援助が増大中なのだ。

 このような中国内陸支援以外にADBが熱心に援助を続けているのがメコン開発である。正式にはメコン川流域開発計画(GMS)といい、1992年、ADBの主導で計画されたメコン川流域の地域開発計画を指す。対象国は流域周辺の中国、カンボジア、ラオス、ミャンマー、タイ、ベトナムの6カ国である。

 GMSの事務局はADBの内部にあり、プロジェクト数は11。2012年には完成する予定だ。1992年からこれまで35億ドル(約3850億円)の投資が行われている。問題は中国がこの地域プロジェクトをASEAN(東南アジア諸国連合)との経済貿易協力の重点分野と位置づけていることだ。中国の狙いは自国の内陸開発と地域開発をリンクして、地域間の流通・交通ネットワークを拡大し、この地域を自由経済区にして、『中華南部経済圏構想』を実現する」ことにある。そのため、メコン開発大義名分にして、中国の貧しい南部の雲南省にADBからの融資で、最新の高速道路が建設される。具体的には雲南省の省都・昆明からラオスを経て、タイの首都・バンコクにいたるもので全長1800kmに及ぶ。「完成すれば、中国=ASEAN自由貿易圏建設のための主要道路になる」と『人民日報』の記事もその意味の大きさを伝えている。

 読者の方はこうした援助のカラクリがお分かりだろうか。日本の対中ODA、なかでも9割をしめる円借款は2008年度で終了する。そればかりか、今でもすでに中国の内陸にはインフラ整備のための円借款は供与されていない。だが、これが複数の関係国におよぶ「地域開発」プロジェクトとなると、事情は変わる。日本のカネがADBなど国際援助団体から「地域開発」の一環として中国の内陸の道路建設に投じられるのである。明らかにODA中止の補填行為と見るべきだろう。問題はメコン開発が中国・ASEAN経済統合のためのプロジェクトだったように、ADBのなかでひそかに中国東北経済圏構想支援の動きが始まっていることだ。


要約すると

・外務省の対中国援助(円借款)は減少している
・財務省の対中援助は地域開発を主眼に拡大している

こうしたことが現政権下で国民の批判を受けずに堂々と行われている、ということです。


  ◆6 アジア開発銀行に『東北北朝鮮開発援助』セクション誕生 

 2005年10月、実はADBのなかに東北北朝鮮開発援助を想定してあるセクションが誕生している。「地域経済統合室」という。

 実はこれは北朝鮮と日本や米国が正常化した後に、ODAによる北朝鮮支援とは別に、中国を含む東アジア経済圏構想にADBが援助を行うための布石なのである。

2005年9月、吉林省長春市で開かれた投資国際博覧会で中朝国境を中心にした「大豆満江開発計画」が合意された。参加国は中国、ロシア、韓国、北朝鮮、モンゴルの5カ国プラス日本である。先の中国、インドシナの開発が開発と表現されていることに注目してほしい。つまり「大豆満江開発」とは東北アジア版の「メコン開発計画」なのである。

 ADBはなぜここまで中国援助に前のめりになるのか。私(著者)はそもそも黒田東彦アジア開発銀行(ADB)総裁の中国間が問題なのではないかと思っている。黒田総裁は、「中国は覇権主義国ではない」と明言するほど、親中国官僚なのだ。しかし、東シナ海の中間線における中国側の不当な資源採掘、尖閣列島を巡る領有権問題、度重なる反日デモ、日本に向けられたミサイル、台湾に対する軍事的恫喝、16年間も毎年増え続ける軍事費と、挙げればきりがないくらい中国は周辺国との軋轢を生じさせている。中国を覇権国ではないと断定する根拠はどこにあるのだろうか。

 黒田見解とは反対に、政府部内では防衛庁はあきらかに中国の軍事的台頭を警戒し、そうした認識は『防衛白書』にも明記されている。先ごろ日本と米国の防衛関係者と外交関係者が確認した「2プラス2」の場でも、台湾に対する中国の軍事攻撃にどう対処するのかが確認されたばかりである。

私が黒田総裁に対して感じる危うさと違和感は、米国に対する日本外交の自立性の裏返しとして、安易に中国や北朝鮮との接近をはかる点にある。こうした財務省の金融マフィア勢力の姿勢と日朝国交正常化を画策した外務省の田中均氏らのイメージする「東アジア共同体」構想は、アジアシフトを強める財界の意向とも重なり合い、新革新官僚の外交理念ともなりつつある。そればかりか反米親中傾向をもつ一部メディアや学者、文化人の賛同まで獲得しつつある。


> 2005年10月、実はADBのなかに東北北朝鮮開発援助を想定してあるセクションが誕生している。「地域経済統合室」という。

第4回6カ国協議が合意した直後、すでに財務省が主導権を握っているアジア開発銀行では中国東北部・北朝鮮への援助を想定して担当機関が発足しているという日本政府・財務省の手回しのよさには恐れ入りますね。

表向き日中・日韓は靖国参拝を巡って冷え込んでいるとは言いますが(政冷経熱)、どうしてどうして中国が欲する大プロジェクト=東北三省・北朝鮮安定化という点について、日中両政府は、利害が一致しています。

ちなみに中国を動揺させたいと願うなら、歴史的に見ればこの東北三省(旧満州地域)をド突くことであることは、指摘するまでもありません。

靖国に目を奪われて、その影で親中の舵取りをしっかり取っている日本政府、小泉首相もお見逃しなく。
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よど号拉致事件を考える市民集会 藤沢速報

2006-01-07 | 記録
2006年1月7日、藤沢で行われた
よど号拉致事件を考える市民集会速報


有本さん夫妻


有本嘉代子さん


高英起さん(映像ジャーナリスト)



 荒木和博さん(特定失踪者問題調査会・代表)


展示されたパネル
松木さん 石岡さん 有本さん 福留さん



特定失踪者大澤孝司さんの兄大澤茂樹さん

パネルディスカッションの模様


パネルディスカッションの司会担当:救う会神奈川 川添会長

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