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NHKスペシャル ドキュメント北朝鮮 第二集「隠された世襲」(3)

2006-04-10 | 記録
◆ファン・ジャンヨブの証言――――――――――――――

キム・イルソンは我が国の最高指導者はキム・ジョンイルだと語るようになりました。
85年以降のことです。
キム・イルソン(金日成)はうまく自分の権力を息子に委譲しました。
それ以前も親子二人の共同政権でしたが、85年から、
キム・ジョンイルがキム・イルソン(金日成)を上回る存在となったのです。
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<ナレーション>
これは金親子の指示で当時国際担当書記であったファン・ジャンヨブが東ドイツへ送った書簡です

◆東ドイツへの書簡―――――――――――――――――――
ソウルオリンピックは、単にスポーツの問題ではありません。
朝鮮半島で社会主義と資本主義のどちらが優位か我が国の運命を決める重要な政治的問題です。
オリンピックヘの参加は我々の革命に大きな障害となる2つの朝鮮を認めることになるからです。
社会主義陣営は、一致団結して南の単独開催に反対すべきです。
――――――――――――――――――――――――――――

ベルリンでは、党の幹部が急遽集められ、対応が協議されました。
当時東ドイツは2つの東西両ドイツの共存を認める<2つのドイツ政策>をとっていました。

◆ホルスト・ジーベックの証言――――――――――――――
北朝鮮の政治的立場は理解できました。
しかし同じような分断された国家としては、我々のほうが、現実的でした。
朝鮮半島に2つに国があることは議論の余地がありません。
2つの朝鮮を認めない彼らの考え方は、非現実的でした。
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<ナレーション>
東ドイツがオリンピックボイコットの要請を受けた翌年、最高指導者ホーネッカーが平壌を訪れます。

  ◆映像:ホーネッカーを歓迎する式典の映像

当時東ドイツは経済の立て直しのため、西側の投資を必用としていました。
ホーネッカーとキム・イルソン(金日成)の二人だけの会話を、ヘルガ・ピヒトが通訳しました。

◆ヘルガ・ピヒトの証言――――――――――――――――――

ホーネッカーは、キム・イルソン(金日成)に直接こう伝えました。
 『東ドイツはソウルに選手を派遣しなければならない。
   国家の再建のため、国威発揚のため、ボイコットはできない。』
二人は互いの政治路線を理解し、それを妨げないことだけを確認しました。
そして会談は終わりました。
金正日は無言でした。
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当時北朝鮮は韓国とオリンピックの共同開催を協議していました。
しかし東ドイツは北朝鮮の狙いは他にあると分析していました。


◆朝鮮情勢の発展に関する情報―――――――――――――――
オリンピックに対する北朝鮮のこれまでの発言を判断するに、北朝鮮側に共同開催の意志はない。
彼らの目的はソウルオリンピックの妨害とみられる。
(1987年3月作成・機密文書)
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<ナレーション>
オリンピックが翌年に迫った87年11月、大韓航空機爆破事件が起こりました。
北朝鮮の秘密工作員キム・ヒョンヒによる犯行でした。

取り調べに対し、自分は拉致された日本人から教育を受けた工作員である。
そして、オリンピック妨害を狙った金正日の指令を受けたと供述しました。
北朝鮮は南の自作自演と関与を強く否定しています。

  ◆映像:ソウルオリンピック開会式の模様

ソウルで第二十四回オリンピックが開催されました。
参加したのは当時史上最多の160の国と地域。
北朝鮮とキューバなどを除く社会主義の国が選手団を派遣しました。
東ドイツは288人の大選手団を送り国の威信を世界に示します。

  ◆映像:クリスティン・オットー、メダル獲得のシーン

オリンピックをきっかけに社会主義国は、相次いで韓国と国交を樹立。
韓国の優位は決定的となります。

  ◆映像:1988年9月建国40周年パレード

<ナレーション>
ソウルオリンピックの一週間前、平壌で建国40周年の式典が行われていました。
国民は、ソウルオリンピックを知らされていませんでした。
式典では社会主義建設の成果が高らかに歌い上げられました。
パレードには100万人の平壌市民が動員されました。

  ◆映像:パレードの様子

このとき、韓国との格差は4倍まで広がっていました。
金親子は友好国である社会主義国を招待しました。
東ドイツが派遣した代表団は5人でした。

  ◆映像:1989年11月
      ベルリンの壁崩壊

翌年ベルリンの壁が崩壊。
冷戦は終結しました。

  ◆映像:拘束されたホーネッカー

東ドイツの最高指導者として君臨したホーネッカー。
市民への発砲を理由に逮捕されました。
後に亡命したチリで死亡します。

  ◆映像:隠れていた場所から引き出されるチャウセスク

壁の崩壊はルーマニアにも伝わりました。
金正日と親交を深めていたチャウセスク
軍による処刑の映像は世界に配信されました。

  ◆映像:北朝鮮の様子

このニュースは北朝鮮では伝えられませんでした。

このとき国内で何が起こっていたのか、その詳細を知る人物が来日しました。
朝鮮人民軍で部隊の指揮を執っていた幹部です。
金正日の動向を間近で目撃していました。

◆朝鮮人民軍元幹部の証言――――――――――――――
東ヨーロッパに留学していた軍人たちが突然粛正されました。
金正日は、自分がルーマニアのチャウセスクと同じように
軍により処刑されるのではないかと恐怖心を抱いたのだと思います。
金正日はこんな言葉を使うようになりました。
『あなた達は私の信任がないと、肉のかたまりのようなものだ。』
忠誠を尽くさない幹部は無慈悲に粛正されました。
新たな強権政治の始まりでした。
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  ◆映像:人民軍創設60周年記念式典の様子(1992年4月)

<ナレーション>
92年4月人民軍創設60周年の式典です。
金正日総書記は、かつての親衛隊員を軍の幹部の登用。
最高司令官の地位を父キム・イルソン(金日成)から譲り受けていました。
このとき、わずか4秒の肉声を世界ははじめて耳にするのです。

◆金正日の演説―――――――――――
英雄的朝鮮人民軍将校に栄光あれ
――――――――――――――――――
このあと軍が全てに優先する得意な軍事国家を作りあげ、体制の強化に突き進んでいきます。
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NHKスペシャル ドキュメント北朝鮮  第一集「個人崇拝への道」(1)
NHKスペシャル ドキュメント北朝鮮  第三集「核開発を巡る戦慄」(1)


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