※吉田利幸 大阪地方議員の会会長
私は大阪から参りました。
実は大阪にですね。
北朝鮮に拉致された大阪地方議員の会というのがありまして、私その会長を仰せつかっております大阪府議会議員の吉田と申します。(拍手)
また後ほど私がお話をさせていただきますが。
反面、(こちらは)この全国組織でございます。
北朝鮮に拉致された日本人を奪還する地方議員の会、副会長をなさっておられます。
八尾市議会の三宅さんの方からですね。
まずいろいろとご意見なり、あるいは告発に至るまでの経緯をよろしくお願いします。
★三宅博 地方議員の会副会長
皆さんこんばんは。(拍手)
ご紹介頂きました地方議員の会の副会長をしております三宅と申します。
着席してお話させて頂きたいと思います。
今日はお手元にお配りしてますレジュメに添ってですね。
お話をさせて頂きたいと思います。
今政府認定の拉致被害者は10件16人ですね。
その中で原敕晁さんの拉致事件と言うのは非常に大きな特色がございまして、その辺のことは後刻お話させて頂きたいと思います。
原さんは長崎にお生まれになられましてですね。
その後就職の為に大阪の方に来られまして、中華料理店ですね。
天王寺区の鶴橋の駅の近くの宝海楼(ほうかいろう)という中華料理店のコックとして勤められておったと。
そのときですね、昭和55年に北朝鮮に拉致をされたと言うことなんですけども。
この拉致に至る経緯と言いますか、これは非常に過去ですね。
多くの雑誌・新聞あるいはテレビ等でですね、その全容については詳しく述べられております。
先ほど佐藤先生がお話されましたが、昨日の夜テレビにも報道されましたですね。
今朝の朝刊にも載っておりましたが辛光洙事件ですね。
この辛光洙事件が原敕晁さんの拉致事件のまさに首謀者であると、こう言うことでございます。
後ろに貼っておりますこのチャートなんですけど、これは・・・(聞き取れず)の方に頂いたんですけど、韓国の情報機関が作成したチャートでございます。
ここにですね、原さん拉致に至る実行グループの役割とかですね。
そういったものがチャートとして載せられておると言うことでございます。
原さんもですね。
多くの特定失踪者の方と共通しておりますけども、非常に身寄りの少ないお方です。
さっき増元さんからお兄さんの事がご紹介されましたけども、それ以外にですね。
本当に身寄りの少ない方でございます。
原さんのプロファイルといいますか、原さんは昭和11年に長崎市にお生まれになられたと言うことでございます。
お兄さんは原耕一さんといって今も長崎にご存命でございます。
原さんはですね、大阪の中華料理店にお勤めになっておられた。
勤めておった勤務先の宝海楼、宝の海の楼閣の楼ですね。
宝海楼と言う中華の料理店ですね。
店主これは李三俊といいますが、彼は朝鮮総連の大阪府商工会の理事長であったということでございまして。
まさか店主にこういうふうに策略にハメられて北朝鮮に連れて行かれるとは、原さんご自身全く予想だにしなかったことであろうと思います。
このチャートもそうなんですけども、原敕晁さん拉致事件の全容につきましてはですね。
辛光洙が1985年ですね。
ソウルで捕まりまして全てを白状する、自白しておりまして。
ソウル地方法院、日本で言いますと地裁みたいなところですね。
そこで死刑判決を受けておるということでございまして。
首謀者として辛光洙、その配下にいる金吉旭。
あるいは先ほど言いました中華料理店の李三俊ですね。
こういったそれぞれの役割ですね。
拉致の経緯と言うのもすでに広く知られておる。
それは先ほども申しましたように多くの雑誌・テレビですね。
テレビ朝日の石高健次さんがこの問題非常に当初から追及されておりましてね。
済州島にまで行かれて一味の人間に会われてですね、その模様をテレビで放映されています。
いうことでございますね。
今一人これは亡くなったんですけど、朝鮮総連の大阪府商工会の李吉炳と言う人がいるんですね。
彼は今は死亡しておりますが、店主の李三俊は今も存命で。
しかもそのお店は今も従前どおり現在も営業されておると。
店主も店に出て商売をしており、ごく普通の市民生活を送っておると言うことでございます。
ソウルのですね、裁判記録なんですけども。
これが原文のコピーでございます。(白い紙の束を掲げる)
訴因も起こしてございます。
訴因も日本語に翻訳したのがですね、こちらでございます。(もうひとつの紙の束を掲げる)
ソウル地方刑事法院判決1985年12月30日、判決宣告と言うことで、被告人辛光洙を死刑に処すると
いうことが書かれております。
この中に非常に詳しく全体が述べられております。
かいつまんで言いますとですね。
辛光洙の拉致の目的なんですけども、背乗りと言いまして、自らが日本人としての合法的な身分を手に入れるためにですね。
だれか対象となる者をを探しなさいということで、朝鮮総連を通じて背乗りの相手を探しておったと。
朝鮮総連の役員がそういう指令を受けましてですね。
該当者と言いますが適当な人物を探しておったと。
その中で朝鮮総連大阪府商工会の李三俊理事長が、全く外部の人間を探すと言うのはゼロからで難しい。
ちょうどですね、該当する人物が自分の店に勤めていると。
それが原敕晁さんだったんですけども。
しかも原さんはですね、過去にパスポートを取得していない。
あるいはですね、過去に運転免許も確か持ってなかったはず、あの原さんは持ってなかったんですね。
過去に罪を犯したりと言うようなことも全くなく、丁度背乗りをする相手としては最も相応しいんじゃないかな?ということで報告をどうもしたらしいんですね。
それじゃ原敕晁さんを対象として拉致しようということになったらしいですね。
それで原さんに対しましてですね。
貿易の仕事をしないか?と言うことで、実行グループの連中がですね。
原さんを交えて、金吉旭ですとか人物を使ってそれを貿易会社の社長だと言うことで、大阪の焼肉の名月館というところで彼に会わせた。
その場でですね、お金をどうも100万円を原敕晁さんに渡しまして。
その後宮崎の方に連れて行きまして青島海岸の別荘ですね。
こちらで原さんにお酒を飲ませてぐでんぐでんにした挙句、上陸した工作員に渡してゴムボートで連れて行かれたと。
どうもこういうことらしいと言うことでございます。
その後ですね原さんにつきましては、小泉総理が初めて北朝鮮に訪朝した折にですね。
北朝鮮の方は、5人は生きておる・8人はすでに死亡した・2人は未入国であると。
原敕晁さんは他の田口さんと同様にですね、もうすでに死んだと言うことが発表されておりますが。
基本的に、確か原さん肝臓病だということだったと思うんですが。
原さんはあまりお酒を嗜まれないということも聞いております。
ですからそういうことで死んだと言うのはおそらく嘘であろうと。
今も我々自身は、原さんは北朝鮮に生存しておって救出の手を待っていると、そういうふうに信じております。
先ほどの判決の詳報なんですけども、これは平成9年の12月8日・9日。
これは産経新聞でですね、詳しく二日間に渡ってその詳報が詳しく紙面に載せられたということです。(新聞のコピーを掲げてみせる)
我々がですね、この刑事告発に至った理由なんですけども。
多くの日本国民が原敕晁さん拉致の全容をですね。
だいたい事件の全容をご存知の方が非常に多いということですね。
一般の国民の方。
しかるにこの部分について捜査の手が伸びていない。
しかもこの判決、公判のですね。
ソウルの判決文と言う、これにまさる公的のお墨付きのある書類は無いと思うんですけど。
ここでも詳しくそれぞれの役割、あるいは経緯等も記入されているということですね。
それを知っている日本国民。
しかも一味の一人が今も日本国内に生存しているにも関わらずですね。
法の裁きって言いますか、司直の手が彼の元に伸びていない。
こういうことなし崩しに放置するとどういう事になるか?と言うと、これは警察制度に対しましての不信感と言いますか、こういう部分が芽生えてくるんじゃないか?と。
もちろんそれを放置する日本政府に対する国家の威信と言うものも低下してくるであろう。
しかも国民の順法精神と言いますかね。
こういう大きな大罪を犯して違法行為をしたと。
それになんら法的制裁を打ててないと。
そういうのを放置すると様々な部分で悪影響を及ぼすと。
これは何としても捜査をしていただかなければいかないということで。
昨年1月20日に大阪府警の外事課の方へ刑事告発をいたしました。
その後この事案につきましては、警視庁の外事の方へ移管されました。
実は今日こちらに参ります前にですね、警視庁を訪問いたしまして、警視庁の公安外事へ参りまして担当者と面会をしてきました。
刑事告発をした捜査の捜査の進捗状況ですね。
それと今後の見通し、そういったものはどうかなと言うことで今日二人で会いに行ったわけでございます。
その時に担当官の方からですね、非常にこれについては鋭意取り組んでおると。
裏づけ捜査をしておるということを話されておりました。
本当に真剣な眼差しでお話をされて、我々としても全く刑事告発をしてその後ほったらかしにはなってなかったんやなと。
今日も警視庁の公安外事の方も最大限この事件の解明については力を入れておりますというふうなお答えもありましてですね。
ちょっとホッとしたようなことでございます。
原さんの拉致事件につきましてはですね、そういうことで全容が明るみに出てるんですけども。
他の多くの拉致事件ですね。
私は全容を解明していかなければならないんじゃないかと思っております。
私は実は特定失踪者問題調査会の理事もしておりまして、特定失踪者の方400数十名ほどの方が登録されておるということで。
調査会の荒木会長の感覚で言いますと、少なくともこのうち100名ほどは拉致をされているんじゃないかな?と、言うふうにお話をされております。
私もそういうふうな思いを持っておりますが。
その他ですね。
我々が把握していない多くの被害者もいるであろうということは推し量ることが出来るんですね。
それじゃ、100名以上の日本人が拉致されていると言うことはですね。
相当日本国内に大掛かりな拉致を支援あるいは実行するグループがいるんじゃないかな?と。
全くここの部分については今現在手付かずでありますから、なんとしても全容解明をしていかなければならない。
こういう大きな犯罪を犯す人間が今全く口を閉ざして姿を隠しておりますが、これを明るみに出してですね。
彼らに、先ほど言いましたように犯した罪に正しい法の裁きを与えなければならないんじゃないか。
そうじゃないと国民の政府、それから警察制度に対する信任というものが取り戻すことは出来ないんじゃないか?と思う。
また彼らをですね、捕まえることによってですね。
未だ姿を見せない多くの拉致事件ですね。
こういったものを、この中にはかくれた被害者も多くいらっしゃると思いますので、全体像を浮かび上がらせなければならないんじゃないかな?というふうに思います。
私自身も李三俊ですね。
彼には直接会いました。
店に行きましてですね。
「あなたの所に勤めておった原さんが、どこに行ったかあんた知っているか?」と当人に直接聞きました。
その時彼が言うにはですね、
「原はうちに勤めておりました。
しかしうちを辞めて、職場を辞めた、仕事を辞めて、そこからどこかへ行って行方が分からなくなった。」
本当に彼の果たしたこの拉致事件での役割と言いますか。
明るみに出ているにもかかわらず白々しい嘘を今でも平気でついてる、と言うことでございます。
なんとしてもですね。
そういう白々しい嘘をですね通用できないように、彼を警察は取り調べていただきたい。
その時に彼はですね、「何度か警察の事情聴取は受けました」と言うふうなことは言っておりましたね。
ただし先ほども言ったように、「うちにおりましたが辞めていった」と。
事情聴取でもそういうふうなことしか言ってないのかな?という感覚はいたします。
特に原さんにつきましては非常に身寄りが少ないということですね。
横田さんとか有本さんとかですね。
横田めぐみちゃん、有本恵子さんなんかにはご両親が今もご家族全員でですね。
自分の家族を取り返すということで熱心に取り組んでおられると。
原さんについては、お兄さんが体が弱いと言うことで動くことが出来ない。
そういうことで家族の声が国民の所に届くことも無い。
そういう意味で違う哀しさと言いますが、そういったものを感じます。
原さんに似たような状況でですね、身寄りの少ない方で家族と連絡が取れない。
そういうなかで拉致された被害者も他にもかなりいるんじゃないかなぁという思いがいたします。
だいたい大まかな説明はこんな程度なんですけども、吉田先生の方から補足でお願いします。
私は大阪から参りました。
実は大阪にですね。
北朝鮮に拉致された大阪地方議員の会というのがありまして、私その会長を仰せつかっております大阪府議会議員の吉田と申します。(拍手)
また後ほど私がお話をさせていただきますが。
反面、(こちらは)この全国組織でございます。
北朝鮮に拉致された日本人を奪還する地方議員の会、副会長をなさっておられます。
八尾市議会の三宅さんの方からですね。
まずいろいろとご意見なり、あるいは告発に至るまでの経緯をよろしくお願いします。
★三宅博 地方議員の会副会長
皆さんこんばんは。(拍手)
ご紹介頂きました地方議員の会の副会長をしております三宅と申します。
着席してお話させて頂きたいと思います。
今日はお手元にお配りしてますレジュメに添ってですね。
お話をさせて頂きたいと思います。
今政府認定の拉致被害者は10件16人ですね。
その中で原敕晁さんの拉致事件と言うのは非常に大きな特色がございまして、その辺のことは後刻お話させて頂きたいと思います。
原さんは長崎にお生まれになられましてですね。
その後就職の為に大阪の方に来られまして、中華料理店ですね。
天王寺区の鶴橋の駅の近くの宝海楼(ほうかいろう)という中華料理店のコックとして勤められておったと。
そのときですね、昭和55年に北朝鮮に拉致をされたと言うことなんですけども。
この拉致に至る経緯と言いますか、これは非常に過去ですね。
多くの雑誌・新聞あるいはテレビ等でですね、その全容については詳しく述べられております。
先ほど佐藤先生がお話されましたが、昨日の夜テレビにも報道されましたですね。
今朝の朝刊にも載っておりましたが辛光洙事件ですね。
この辛光洙事件が原敕晁さんの拉致事件のまさに首謀者であると、こう言うことでございます。
後ろに貼っておりますこのチャートなんですけど、これは・・・(聞き取れず)の方に頂いたんですけど、韓国の情報機関が作成したチャートでございます。
ここにですね、原さん拉致に至る実行グループの役割とかですね。
そういったものがチャートとして載せられておると言うことでございます。
原さんもですね。
多くの特定失踪者の方と共通しておりますけども、非常に身寄りの少ないお方です。
さっき増元さんからお兄さんの事がご紹介されましたけども、それ以外にですね。
本当に身寄りの少ない方でございます。
原さんのプロファイルといいますか、原さんは昭和11年に長崎市にお生まれになられたと言うことでございます。
お兄さんは原耕一さんといって今も長崎にご存命でございます。
原さんはですね、大阪の中華料理店にお勤めになっておられた。
勤めておった勤務先の宝海楼、宝の海の楼閣の楼ですね。
宝海楼と言う中華の料理店ですね。
店主これは李三俊といいますが、彼は朝鮮総連の大阪府商工会の理事長であったということでございまして。
まさか店主にこういうふうに策略にハメられて北朝鮮に連れて行かれるとは、原さんご自身全く予想だにしなかったことであろうと思います。
このチャートもそうなんですけども、原敕晁さん拉致事件の全容につきましてはですね。
辛光洙が1985年ですね。
ソウルで捕まりまして全てを白状する、自白しておりまして。
ソウル地方法院、日本で言いますと地裁みたいなところですね。
そこで死刑判決を受けておるということでございまして。
首謀者として辛光洙、その配下にいる金吉旭。
あるいは先ほど言いました中華料理店の李三俊ですね。
こういったそれぞれの役割ですね。
拉致の経緯と言うのもすでに広く知られておる。
それは先ほども申しましたように多くの雑誌・テレビですね。
テレビ朝日の石高健次さんがこの問題非常に当初から追及されておりましてね。
済州島にまで行かれて一味の人間に会われてですね、その模様をテレビで放映されています。
いうことでございますね。
今一人これは亡くなったんですけど、朝鮮総連の大阪府商工会の李吉炳と言う人がいるんですね。
彼は今は死亡しておりますが、店主の李三俊は今も存命で。
しかもそのお店は今も従前どおり現在も営業されておると。
店主も店に出て商売をしており、ごく普通の市民生活を送っておると言うことでございます。
ソウルのですね、裁判記録なんですけども。
これが原文のコピーでございます。(白い紙の束を掲げる)
訴因も起こしてございます。
訴因も日本語に翻訳したのがですね、こちらでございます。(もうひとつの紙の束を掲げる)
ソウル地方刑事法院判決1985年12月30日、判決宣告と言うことで、被告人辛光洙を死刑に処すると
いうことが書かれております。
この中に非常に詳しく全体が述べられております。
かいつまんで言いますとですね。
辛光洙の拉致の目的なんですけども、背乗りと言いまして、自らが日本人としての合法的な身分を手に入れるためにですね。
だれか対象となる者をを探しなさいということで、朝鮮総連を通じて背乗りの相手を探しておったと。
朝鮮総連の役員がそういう指令を受けましてですね。
該当者と言いますが適当な人物を探しておったと。
その中で朝鮮総連大阪府商工会の李三俊理事長が、全く外部の人間を探すと言うのはゼロからで難しい。
ちょうどですね、該当する人物が自分の店に勤めていると。
それが原敕晁さんだったんですけども。
しかも原さんはですね、過去にパスポートを取得していない。
あるいはですね、過去に運転免許も確か持ってなかったはず、あの原さんは持ってなかったんですね。
過去に罪を犯したりと言うようなことも全くなく、丁度背乗りをする相手としては最も相応しいんじゃないかな?ということで報告をどうもしたらしいんですね。
それじゃ原敕晁さんを対象として拉致しようということになったらしいですね。
それで原さんに対しましてですね。
貿易の仕事をしないか?と言うことで、実行グループの連中がですね。
原さんを交えて、金吉旭ですとか人物を使ってそれを貿易会社の社長だと言うことで、大阪の焼肉の名月館というところで彼に会わせた。
その場でですね、お金をどうも100万円を原敕晁さんに渡しまして。
その後宮崎の方に連れて行きまして青島海岸の別荘ですね。
こちらで原さんにお酒を飲ませてぐでんぐでんにした挙句、上陸した工作員に渡してゴムボートで連れて行かれたと。
どうもこういうことらしいと言うことでございます。
その後ですね原さんにつきましては、小泉総理が初めて北朝鮮に訪朝した折にですね。
北朝鮮の方は、5人は生きておる・8人はすでに死亡した・2人は未入国であると。
原敕晁さんは他の田口さんと同様にですね、もうすでに死んだと言うことが発表されておりますが。
基本的に、確か原さん肝臓病だということだったと思うんですが。
原さんはあまりお酒を嗜まれないということも聞いております。
ですからそういうことで死んだと言うのはおそらく嘘であろうと。
今も我々自身は、原さんは北朝鮮に生存しておって救出の手を待っていると、そういうふうに信じております。
先ほどの判決の詳報なんですけども、これは平成9年の12月8日・9日。
これは産経新聞でですね、詳しく二日間に渡ってその詳報が詳しく紙面に載せられたということです。(新聞のコピーを掲げてみせる)
我々がですね、この刑事告発に至った理由なんですけども。
多くの日本国民が原敕晁さん拉致の全容をですね。
だいたい事件の全容をご存知の方が非常に多いということですね。
一般の国民の方。
しかるにこの部分について捜査の手が伸びていない。
しかもこの判決、公判のですね。
ソウルの判決文と言う、これにまさる公的のお墨付きのある書類は無いと思うんですけど。
ここでも詳しくそれぞれの役割、あるいは経緯等も記入されているということですね。
それを知っている日本国民。
しかも一味の一人が今も日本国内に生存しているにも関わらずですね。
法の裁きって言いますか、司直の手が彼の元に伸びていない。
こういうことなし崩しに放置するとどういう事になるか?と言うと、これは警察制度に対しましての不信感と言いますか、こういう部分が芽生えてくるんじゃないか?と。
もちろんそれを放置する日本政府に対する国家の威信と言うものも低下してくるであろう。
しかも国民の順法精神と言いますかね。
こういう大きな大罪を犯して違法行為をしたと。
それになんら法的制裁を打ててないと。
そういうのを放置すると様々な部分で悪影響を及ぼすと。
これは何としても捜査をしていただかなければいかないということで。
昨年1月20日に大阪府警の外事課の方へ刑事告発をいたしました。
その後この事案につきましては、警視庁の外事の方へ移管されました。
実は今日こちらに参ります前にですね、警視庁を訪問いたしまして、警視庁の公安外事へ参りまして担当者と面会をしてきました。
刑事告発をした捜査の捜査の進捗状況ですね。
それと今後の見通し、そういったものはどうかなと言うことで今日二人で会いに行ったわけでございます。
その時に担当官の方からですね、非常にこれについては鋭意取り組んでおると。
裏づけ捜査をしておるということを話されておりました。
本当に真剣な眼差しでお話をされて、我々としても全く刑事告発をしてその後ほったらかしにはなってなかったんやなと。
今日も警視庁の公安外事の方も最大限この事件の解明については力を入れておりますというふうなお答えもありましてですね。
ちょっとホッとしたようなことでございます。
原さんの拉致事件につきましてはですね、そういうことで全容が明るみに出てるんですけども。
他の多くの拉致事件ですね。
私は全容を解明していかなければならないんじゃないかと思っております。
私は実は特定失踪者問題調査会の理事もしておりまして、特定失踪者の方400数十名ほどの方が登録されておるということで。
調査会の荒木会長の感覚で言いますと、少なくともこのうち100名ほどは拉致をされているんじゃないかな?と、言うふうにお話をされております。
私もそういうふうな思いを持っておりますが。
その他ですね。
我々が把握していない多くの被害者もいるであろうということは推し量ることが出来るんですね。
それじゃ、100名以上の日本人が拉致されていると言うことはですね。
相当日本国内に大掛かりな拉致を支援あるいは実行するグループがいるんじゃないかな?と。
全くここの部分については今現在手付かずでありますから、なんとしても全容解明をしていかなければならない。
こういう大きな犯罪を犯す人間が今全く口を閉ざして姿を隠しておりますが、これを明るみに出してですね。
彼らに、先ほど言いましたように犯した罪に正しい法の裁きを与えなければならないんじゃないか。
そうじゃないと国民の政府、それから警察制度に対する信任というものが取り戻すことは出来ないんじゃないか?と思う。
また彼らをですね、捕まえることによってですね。
未だ姿を見せない多くの拉致事件ですね。
こういったものを、この中にはかくれた被害者も多くいらっしゃると思いますので、全体像を浮かび上がらせなければならないんじゃないかな?というふうに思います。
私自身も李三俊ですね。
彼には直接会いました。
店に行きましてですね。
「あなたの所に勤めておった原さんが、どこに行ったかあんた知っているか?」と当人に直接聞きました。
その時彼が言うにはですね、
「原はうちに勤めておりました。
しかしうちを辞めて、職場を辞めた、仕事を辞めて、そこからどこかへ行って行方が分からなくなった。」
本当に彼の果たしたこの拉致事件での役割と言いますか。
明るみに出ているにもかかわらず白々しい嘘を今でも平気でついてる、と言うことでございます。
なんとしてもですね。
そういう白々しい嘘をですね通用できないように、彼を警察は取り調べていただきたい。
その時に彼はですね、「何度か警察の事情聴取は受けました」と言うふうなことは言っておりましたね。
ただし先ほども言ったように、「うちにおりましたが辞めていった」と。
事情聴取でもそういうふうなことしか言ってないのかな?という感覚はいたします。
特に原さんにつきましては非常に身寄りが少ないということですね。
横田さんとか有本さんとかですね。
横田めぐみちゃん、有本恵子さんなんかにはご両親が今もご家族全員でですね。
自分の家族を取り返すということで熱心に取り組んでおられると。
原さんについては、お兄さんが体が弱いと言うことで動くことが出来ない。
そういうことで家族の声が国民の所に届くことも無い。
そういう意味で違う哀しさと言いますが、そういったものを感じます。
原さんに似たような状況でですね、身寄りの少ない方で家族と連絡が取れない。
そういうなかで拉致された被害者も他にもかなりいるんじゃないかなぁという思いがいたします。
だいたい大まかな説明はこんな程度なんですけども、吉田先生の方から補足でお願いします。