最初のクレジット |
公開 1967年 カラー
配給 東宝
製作 渡辺晋
(渡辺プロダクション創業者)
監督 坪島孝
上映時間 157分
(当時としては珍しい1本立て)
制作費 1億8千万円
(当時大卒初任給が5万円位だと思います)
興行収入 3億4千万円
観客動員 290万人
上映予告編クレジット
日本映画初の
アメリカ大陸銃縦断ロケ
クレージー黄金作戦
Las Vegas Free-For-All
黄金と恋と大冒険
ドデかい夢を求めて
クレージーアメリカを行く
スリル
笑い
藤田まこと
ザ・ピーナッツ
ジャニーズ (ジャニーズは渡辺プロから独立)
ザ・ドリフターズ
ブルー・コメッツ
豪華スター総出演
浜美枝 (この年『007は二度死ぬ』にも出演)
加山雄三
快調 坪島孝監督
爆笑黄金活劇
堂々二時間半
ギャンブル王国殴りこみ
近日公開
ブログのレッスンではなくて映画のお話です。
渡辺晋さんのプロデューサーとしての才能が世間に知れ渡った頃のお仕事です。
当時渡辺晋氏を始め、クレージーの面々が40歳そこそこでしょうか。
ストーリーよりも当時の渡辺プロダクションの売れっ子スター達個々の
芸の見せ場が沢山あります。
お正月に放映される「オールスターかくし芸大会」のようです。
そして浜美枝さんのファッションが、丁度今の流行にマッチしていて素敵。
1967年。私は5歳。高度成長時代の風のおこぼれをもらいながら育ったように思います。
新宿富久町近くにフジテレビがあり
文化放送は四ツ谷にあり
加賀まり子さんや山本陽子さんが赤いスポーツカーに乗っていて
すっごくかっこよくて
渡辺プロは有楽町にありました。
(今は飯倉キャンティー傍に移りました)
東大学園紛争が東大医学部からくすぶり始め
本郷周辺からお茶の水にかけて沢山の学生が喫茶店で話し込んでいました。
私の小さい頃の初めての記憶です。
「クレージーキャッツショーがありますよ。」のネオンまで。すごい!
ラスベガス中央の大きな通りでロケーションしたこの場面。
合成ではなく、本当にロケーションしたってすごい。
両脇の道路には観客も沢山います。
本郷通りより少し広い程度の道に、リハーサル無しで
踊って歌うプロミュージシャン7人の粋な事ったらありえないよね。
渡辺晋さんは、この1分弱の撮影にこの映画の命をかけたのではないかと思います。
クレージーキャッツの面々が一番生き生きしています。
プロミュージシャンのテクニックが全てこの場面に集約しているように感じます。
1967年。昭和42年。1ドル360円。外貨持ち出し500ドル、ジョニ黒が貴重品で
アメリカと言えばパン・アメリカン航空。
日本なんか弱くってちびっちゃい時代でしょう。
左から 犬塚弘氏 石橋エータロー氏 植木等氏 安田伸氏 ハナ肇氏 桜井センリ氏 谷啓氏
このシーンに挿入されている『ハローラスベガス~金だ金だよ』の作曲は宮川泰氏です。
(NHK教育クインテッドの宮川あきら氏(ピアノのお兄さん)のお父様・故人)
マンボともルンバともつかないリズムで、コメディックとシリアスを足して2で割ったような
雰囲気を出しています。
マネーゴールドキンキラキンのキン・・・
とうとう着いたぜラスベガス
やっぱりあったぜラスベガス
待っててくれたぜラスベガス
どーんといこうぜラスベガス
金なんかなくてもラスベガス
びゅーてぃふる・わんだふる・パワー ラスベガース
ラスベガース
日本がすごく素直に成長して成熟を向かえる少し手前だったんだろうか。
今、歴史を振り返ると
1970年の大阪万博が、素直な成長の最後の花火だったように思えます。
クレージーキャッツ(wikipediaより)
皆さん本当はすっごいインテリなんだよね。
母は犬塚弘さんのベースが大好きでした。
「パパが反対してもママが授業料出してあげるから、文化学院(犬塚氏の出身校。お茶の水の山の上にある高校と専門学校の単独校)に行ったら?」
と言う程でした。
7名のメンバーのうち、4名が神様の処へ行かれました。
4名の方が神様の処へ行く前
きっとラスベガスの撮影を思い出されたんじゃないかと思います。
渡辺晋さんも。
3月27日。植木等さんが神様の処へ行かれたと知った時
白山(文京区)の東洋大学で市民講座のご講義に来られた事を思い出しました。
穏やかで、静かで、姿勢がよくて、
とても大人しい方でした。
テレビ映像の時代を開拓し
「不特定多数の人に楽しい芸を見せる」事に専念した人達。
日本の政治とか建造物は大して長持ちしないけれど
クレージーキャッツの芸は永遠に輝き続ける事でしょう。
どうぞ。天国から私達を見守って下さい。そして有難うございました。
クレージ・キャッツって凄い芸能人だったんだな。
と、不思議姉さんのログが凄い
なんか、かっこいいな。
すっげー若いおばあちゃんじゃないっすか?ありえにゃーよ どえりゃー驚き
植木等さんのサラリーマンシリーズしか知らなかった。なんかなんか全部スゴ!
植木等さんありがとう。
植木等が80歳と聞いて驚いたんだが。メンバーみんな足が長い。ご冥福をお祈りします。
すみませんが、このログもなかなかマニアックで(笑)
どんどん昭和のスターが天国へ行くね。
寂しい・・・・・・・。
実に素晴らしいグループでした。一人ひとりの個性がぶつかりあって面白かったです。
このようなパワー溢れるバンドはもう出てこないでしょうね。
おれもホントここ最近疲れ気味でつまらないことばかりですが、植木等の死はショックだったな。
それにしても、不思議姉さんラスベガスすっげーですね。
映画はずぅーっと残るからなぁ。
ここの皆さんに幸せを!