私は「アイヌに先住性はない、しかしアイヌをアイデンティティとする人間は存在する、現在はアイヌという存在の見直しをするときに来た」そう解釈しています。
◇
アイヌという呼称が使われ始めたのは明治前後からであり、それまでは蝦夷(えぞ)、または夷狄(いてき)などと呼ばれていました。変な話、日本全体が近代国家化していく中で初めて「アイヌ」となったわけです。
さらに掘り下げると寛文蝦夷蜂起の時代(1669年頃)に見られるように、各地の蝦夷は今で言う都道府県のように地域で違いがあり、その頃の自称というのは「メナシクル(東の人)」「サルンクル(沙流の人)」といった具合に「~クル(~の人)」となっており、全体をさす総称は存在していませんでした。
またその集団間で戦国時代よろしく各地で戦いがありました。抗争の理由は様々で、信仰の違い、先祖からのしがらみ、食料や宝の奪い合いなどです。
こういった状態から、いわゆるアイヌはひとつの集団としてまとまったことがないと言われます。寛文蝦夷蜂起においてもシャクシャインの檄に対し、石狩や新冠、釧路は拒否をしました。現代においても各地で「どこそこがだめだ」という話題が出ます。
以前、ツイッターのフォロワさんたちとアイヌ文化を広く知ってもらうために、「アイヌ語ひとつとっても地方差があるから、標準ないし基準となる設定が必要では」と話した際、「“なんであそこを標準にするんだ”といった頓珍漢な話が出てきて頓挫するのが目に見える」と、教えられたことがあります。
2008年の国会決議において、アイヌを「とりわけ北海道に住んでいた」として先住性を示しましたが、これは東北地方が含まれ、おおよそ蝦夷(エミシ・エビス)とアイヌをイコールで結んでいるのかなと思います。しかしこれを前提とするとひとつ面白い現象が起きます。
東北地方では蝦夷(エミシ・エビス)から派生した日の本という集団が存在し、そのうちである安倍姓安藤氏という一族が日の本将軍となり(自称とする説もある)、広く認知され、当時は室町の朝廷にまで知られていました。
日の本将軍の安倍姓安藤氏は、現在の青森県の日本海側にある十三湊を拠点としており、戦などの影響から一族は北海道へ行って一部は下国氏として留まり、また一部は安東と名を変えて秋田へと移ります。よって、アイヌは実は大名となって戦国の世を生きていたということになります。
安東氏で見たように、和人化したアイヌと言われるのはこのことです。大名にならなかった一般の蝦夷も存在しますが、江戸時代へ向かうにつれて東北の諸地域でも藩となる基盤が出来上がり、その中へと徐々に組み込まれていきます。
松前藩も家臣のうちに安倍姓安藤氏から派生した下国家を抱えているほか、松前氏が誕生する前から具体的な地理的境界も定めず、蝦夷の移動も制限していなかったため、いわゆる和人集落と蝦夷の融合も起きていたと推測されます。よって和人とアイヌの境界が曖昧でした。
よく誤解されているのが、松前藩は中央から蝦夷地の支配権を与えられたという話ですが、これは支配権ではなくてあくまで交易権であり、蝦夷の人々に失礼があってはならないと念押しをされています。
それから寛文蝦夷蜂起があって松前藩は、本州人の流入を制限し、蝦夷には日本的風習の禁止をしました。皮肉にも戦いで負けたことによって、現代に知られるアイヌ文化の熟成期が訪れます。
◇
“アイヌ民族”の定義とはなんぞや、という話題に「定義はできない」「帰属意識があればいい」「外部から決められるものではない」「“定義”という言葉の使い方が誤り」などと言った言説が飛び交い、“アイヌ民族”という言葉は立場や場面によって如何様にも使えてしまうという印象が拭えません。
かと言って“アイヌ系日本人”ではどうなのかと言うとそれではいけないらしく、件の発端になった「アイヌ民族はもういない」という発言も、記事などのタイトルでは「アイヌはもういない」と書かれることも多く、印象操作ではないかと疑問に思いますし、どうして“アイヌ民族”でなければいけないのか、理由がよく分からないままです。
こういった状態なのも、結局は誰もが「アイヌとはなんぞや」と根を詰めず、個々のイメージに偏ったり、またはアイヌの置かれた環境を利用しようとしたり、自己陶酔の材料にされたりと、うやむやにされてきた結果です。
更には、先に述べたように地域別に存在してひとつにまとまらなかった、いわゆるアイヌが、現在になって偏った歴史と負の感情とその煽動でしかひとつにまとまれないというのは、なんとも悲しい話です。
また、生活実態調査などから北海道のおおよそのアイヌ人口が推定されましたが、そのうちアイヌ協会に携わっているのが全体の約1割であるといい、そこへ各保存会や「~の会」などといった“アイヌ系の諸団体”に携わる人々を加えたとしても極端な割合増にはならないでしょう。よって、いわゆるアイヌの多くはごく自然に日本国民として暮らしているわけです。
私は「アイヌ協会やアイヌ文化振興・研究推進機構を含む“アイヌ系の諸団体”とは距離を置く、多くの一般アイヌを巻き込んでいいのか?」と常々考えるところです。
ツイッターやほかネット上のサービス、公開質問状などで、アイヌ系の諸団体や個人が物騒な表現を使っていたり、先鋭化したりしているのを見ると、アイヌ全体の印象を損なってしまう危険があり、むしろ既にその状態になりつつあります。一般アイヌの中には先鋭化したアイヌと同じに見られたくないと距離を置く人もいます。
負の感情を煽って団結しようとする動きを私はよしと思いません。
もとより、アイヌ側の負の感情を煽る方々は・同化を浄化と言ったり、虐殺はないと言っても魂は虐殺されたと言ったり、物騒な言葉遣いや印象操作、事実誤認ともとれる言説がどうも気にかかります。
確かに中には真っ当な主張もあり、それらは受け入れ、必要ならば反省や検討をし、次につなげていかなければいけません。しかし同時に、事実と違う主張には指摘を入れる必要があり、主張する側はそれを受け入れる必要が出てきます。
民族やその権利について論じる方々はよく世界や他国を引き合いに出しますが、世界から審査されたときに事実誤認があればアイヌにとってマイナスになってしまいます。それではせっかくの主張も意味がありません。
一方で私が会ってきたアイヌ系の人々の中には、「もう負の部分はいいから、良いものは良いとして残していきたいし、広げていきたい」という方々が居ました。
今あるものを最大限に活かしていいものを作る、技術や知識を追い求める・応用する、楽しさを共有する……文化の継承者が少ないという現実もあり、気軽に触れてもらえるように工夫をし、それぞれがそれぞれの方法で新しいアイヌのあり方を模索していました。
新しいことをはじめるにあたり、失われていくものもあって寂しさが出てくるのは確かで、その胸のうちを明かしてくださった方もいました。それでも前向きにいこうとする様子をみると、それぞれがその工芸なり文化なりが好きなのだと思います。
逞しい方々に会ってきた一方で、挫かれてきた人たちにも会ってきました。
いわゆるアイヌ利権によってアイヌ以外の人間の横行や事業の停滞、コミュニティ内におけるアイヌ同士の嫌がらせもあり、それらが重なって意気消沈・無気力化した人、アイヌ系の諸団体を自分から抜けた人、辞めさせられた人たちを見てきました。
そういったアイヌの闇などと言われる部分を見た人たちをネットでは殆ど見ることはなくても、確実に存在し、アイヌ利権を追及する勢力の支えとなっています。
アイヌの闇やアイヌ利権というものはないと言う人たちもいますが、それらはいかにアイヌ系の諸団体が閉鎖的で排他的であったか、アイヌに関わることは北海道だけのものとされてきたことの証左であると考えます。
また、アイヌと直接の関係がない人たちの中には、アイヌが持つ「苦難に立ち向かう逞しさ」「ミステリアスさエスニックさ」「工芸品の芸術性」などという“イメージ”に惹かれた人も多くいると思います。
あくまでイメージなので事実とは違う面も否めませんが、私はこういったイメージから入ったライトな理解者や共感者の存在はとても大切だと考えています。私自身もアイヌ神謡の世界観に惹かれて入った人間です。
知れば知るほど自制をかけてしまうのはよくある現象で、それと対称的存在であるライトな理解者は、ライトであるからこそできる行動というものもあります。
例えば私の知る人たちの中には、アイヌ文様を衣装デザインに活かすひともいますし、伝統工芸に挑戦しているひともいれば、歴史的時流を検討しようとするひともいます。
ライトな理解者は新しい発想と多角的視点をもたらす存在だと感じます。何かしらアイヌへの葛藤を抱えたとしても、だいたい共通して前向きな人たちである印象があります。
アイヌ側は負の感情を煽って、自身の評価を下げるどころか進もうとするアイヌの思いや、ライトな理解者たちの思いを踏みにじってはいないか、まだ見ぬ理解者を遠ざけていないか……追及する側も主張の仕方に問題はないか、こういった人たちまで過剰に否定をしてはいないか……私は気がかりでなりません。
気を揉ませるだけではだめだと思って、私は久しぶりにちょい真面目なブログを書きました。
味方だ敵だ、勝つ負ける、右だ左だで考えることを放棄することなく、落としどころを探っていけたらいいなーと思います。