今日もArt & Science

写真付きで日記や趣味を勝手気ままに書くつもり!
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ちょっといっぷく46 cyt c でScientic Artを試そう

2013-06-29 11:34:44 | アート・文化

 

2b4zcartoonspacefill2

 

図1 cyt c(PDBID:2B4Z)の1.5A高分解能結晶構造図。Chem3Dを用いて、Protein をcartoon, ligand moleculeをspace filling 指定で描いてみた。蛋白の色はへリックス、シート、コイル全て白色。リガンドのみatom color を用いた。バックは空色を白色にミックス。遠近、フォッグの3Dソフトを使用。

 

何ともはや、芸術的(我田引水?)である。cyt cに限らず、芸術的なProteinが多い!

 

Abstract:

 

Cytochrome c is one of the most studied proteins probably due to its electron-transfer properties in aerobic and anaerobic respiration. Particularly, cytochrome c from bovine heart is a small protein, M(r) 12,230 Da, globular (hydrodynamic diameter of 3.4 nm), soluble in different buffer solutions, and commercially available. Despite being a quite well-studied protein and relatively easy to manipulate from the biochemical and electrochemical viewpoint, its 3D structure has never been published. In this work, the purification, crystallization and 3D structure of one of the cytochrome c isoforms is presented to 1.5 A resolution. It is also shown how the presence of isoforms made both the purification and crystallization steps difficult.


<速報>土器に墨書きでいろは歌全文 平安京「堀河院」跡から出土

2013-06-28 14:29:02 | ちょっといっぷく

毎日新聞 6月27日(木)20時32分配信

京都市中京区の平安貴族邸跡から30年前に出土した平安末期~鎌倉初期(12世紀末~13世紀初め)の土器に、平仮名でいろは歌のほぼ全文が墨書されていたことが分かった。27日発表した京都市埋蔵文化財研究所によると、三重県で平仮名のいろは歌が9文字ほど書かれた土器(11世紀末~12世紀前半)の破片が見つかっているが、ほぼ全文が判読できるものとしては国内最古。専門家は、手習い歌による文字教育の歴史を知る上で貴重な史料としている。

【赤外線写真で見る】土器に浮かび上がる文字

 土器は1983年、平安京にあった藤原氏の邸宅「堀河院」跡から出土した。詳しく調査しないまま保存されていたが、昨年、西約1キロにある藤原良相(よしみ)邸跡から出土した土器に国内最古級の平仮名が書かれているのが確認され、同研究所が平安京の出土品の写真データベース約9万点を再調査して分かった。

詳しくはちょっといっぷく39:かなの歴史参照!!

http://blog.goo.ne.jp/bigarrowhiro/d/20121212


ちょっといっぷく45 上賀茂神社社家の坪庭

2013-06-23 13:16:21 | まち歩き

200802281614_3(クリックで拡大)
図1 上賀茂神社社家の坪庭(藤木社の楠の木の傍)。竹の衝立が道路と坪庭を二分して、おそらく手前が正面!

上賀茂神社の社家町で、思いもよらぬ芸術作品に出くわした!社家の町並みが明神川に沿って並び、石橋、土橋や木橋が各家ごとに、この川に架けられている。図1は一軒の玄関前の小空間を利用して坪庭が創られている。見事言うほかない。竹製の衝立の前に一本の若木と数個の組石、それに超現代的灯篭が陣取っている。スギ苔を含むコケ類が隙間を埋めてオブジェを一つに纏めている。それに2,3箇所に萌黄色シダが点在してアクセントをつけている。素人目にも何かいいな~と思わせるのである。

今の梅雨時に、リハビリを兼ねてまち歩きをすると、京町家の玄関前、玄関庭、中庭、等々、小空間を利用して小庭が創られているのが垣間見える。特に梅雨時には、アジサイの一鉢が色を添える。住人の奥床しさがしのばれる。

京都では池坊をはじめ、各流派の生け花の手習いが発達した。その素養が微小小空間を利用した芸術作品の創成に結びついたのであろう。図の坪庭のデザインは生け花とも取れる。


いま、Mnクラスターが熱い!

2013-06-18 08:33:42 | ESR

最近JACS等を賑わしている話題にマンガンクラスターがある。古くから取り上げられてきた話題は植物葉緑素中のPSII 内にあるMnクラスターであるが、最近ではRNR(RiboNucleotide Riductase)内のMnクラスターが盛んに取り上げられている。その導火線となったのは、SPring-8による成果の次の論文である。

"Crystal structure of  oxygen-evolving photosystem II at a resolution of 1.9A"。

Y. Umena, K.Kawakami, J-R. Shen, and N. Kamiya,

Nature 473, 55-60 (2011). 

Psiipng
図1 上記文献のPSII結晶構造図。紫色の集団がMnクラスター。サブユニットは20個。Chem3Dで編集。蛋白は白色、基質はspace fillingで表示。

(概要) 光化学系II複合体(PSII)は、太陽からの光を受けて、水を分解して酸素分子を発生させ、同時に電子を発生させている。この発生した電子は、二酸化炭素をブドウ糖まで変化させるために利用される。これまでPSIIの酸素発生反応は、4個のマンガン原子(Mn)と1個のカルシウム原子(Ca)が複数の酸素原子(O)により結びつけられた金属・酸素クラスターの上で進行しているとされていたが、そのクラスターの正確な化学組成と詳細な原子配置は明らかにされていなかった。最近、PSIIの結晶の解像力を1.9Aまで上げた大型放射光施設(SPring-8)の3本のビームラインを利用してX線結晶構造解析に成功した。これにより、そのクラスターはMn4CaO5の組成をもち、全体として歪んだ椅子の形をしており、1つのMn(図1のMn4)と1つのCa(図1のCa )にそれぞれ2個の水分子が結合していることが明らかになった(図2)。これら4個の水分子(図2の水色の酸素)のいずれかは、Mn4CaO5クラスターから発生する酸素分子の中に取り込まれるものと考えられている。このクラスター構造を応用した触媒が開発されると、触媒まで太陽の光エネルギーを伝達する部分と、その触媒が水から作り出す電子を用いて水素分子やメタノールを合成する部分を組み合わせることが可能になり、人工光合成が実現できるようになる。これにより、近い将来に人類が直面するエネルギー問題や環境問題、食料問題を一気に解決する足がかりになるものと期待される。

(注: 6月17日、NHKクローズアップ現代でも「人工光合成」の特集として取り上げられた)。

Mncluster

 Mn4cao5aq4(クリックで拡大)

 図2 Mn4CaO5(aq)4 の結晶構造(PDBID:3ARCからクラスターのみを抜粋)。4個の水分子(水色の酸素)は、Mn4CaO5クラスターから発生する酸素分子の中に取り込まれるものと考えられている。

 

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洛中洛外図舟木本の作者はこんな人!(追加2)

2013-06-09 16:43:20 | うんちく・小ネタ

洛中洛外図舟木本の作者はこんな人!(追加2)

キーワード「浮世又兵衛」でgoogleを検索したところ、木下長宏氏のウェブログ:浮世又兵衛その1~その4が見つかった。氏の説明を要約すると、一つ目の「波乱」は前回述べた岩佐又兵衛の波乱に満ちた経歴である。

2つめの「波乱」は、「6世紀朝鮮・中国から伝来した「漢画」が曲折を経ながら狩野派へと継承されていき、その漢画に対抗するように生長していった「大和絵」が土佐派を生んだ。又兵衛はその日本の絵画の二大流派の、狩野派と土佐派、そして浮世絵のうちの肉筆とこの三つの流派の特徴をそれぞれに会得した絵を描いている。その上に江戸時代は大津絵という、一気に筆を走らせ描いた民衆仏画があったがその作者でもあった。つまり、伝説・伝聞の上で「岩佐又兵衛」は当時の四つの流派の絵をこなした、工房を運営する「絵師」だったのである。

3つ目の「波乱」は、その評価・鑑定の「波乱」である。最初の大波は明治30年代にあって、砂川幸雄著『浮世絵師又兵衛はなぜ消されたのか』草思社1995に書かれているが、「彦根屏風」(図1)が又兵衛作ではないという説が出たのもそのころである。自画像(前回参照)や「岩佐家系」由緒書、「廻国道之記」など、又兵衛の実像へ迫る手がかりが続々と出てきたときである。

Hikone_2(クリックで拡大)

図1 彦根屏風(部分)。

二つ目の大波は、昭和3年、第一書房という出版社の社長・長谷川巳之吉が「山中常盤絵巻」を手に入れたところから始まる。問題はその後いくつか出てきた肉筆浮世絵を又兵衛筆と認めるか否かで、見解が二つに分かれる歴史が1930年代から40年間続いたことである。東京大学の日本美術史の教授であった藤懸静也氏は、この肉筆浮世絵群を又兵衛筆と認めない立場を貫いた。藤懸氏は浮世絵の権威でした(ナニシロ東大デス)から、その間平凡社の大百科事典も浮世絵関係の項目は藤懸説を踏襲している始末。それに反対して、これこそ又兵衛だと頑張ったのが長谷川巳之吉氏はじめ在野の研究家たち(春山行夫氏ら)で、この対立の歴史に見られるのは、単に又兵衛真贋論争というようなものではなく、「美術史」のみならず、日本における学問が抱えた病弊である。日本の学界は、明治以降、欧米の学問の方法論を学び、それを真似て公式化し、日本の現象に適用することが「アカデミズム」と信じ、その方法が権威となってしまった。その病弊はいまも快癒していない、という問題で学界の人々は、ヨーロッパの学問の方法を日本という風土で起きている現象に適用し、思考として体系化することばかりに心と眼が行き、現実を熟視することが出来なくなってしまったといってもいい.。真贋問題だけだと、明らかに骨董派に分があり、のち東大美術史の教授になる辻惟雄(つじのぶお)氏は、大先輩に当る藤懸説を斥ける説を立て、いわば骨董派と学界派の大団円を目論む。現在はこの辻説を基盤に「又兵衛」観は定着しているようである。しかし、辻氏はまだ舟木本の「洛中洛外図」を又兵衛とすることには躊躇している。面白いのは、2004年、千葉市美術館で大きな「岩佐又兵衛」展が開かれた。もちろん辻惟雄氏の企画監修でである。それに合わせて『芸術新潮』が派手な特集を組んで、そこで山下裕二氏と辻氏が対談している。辻氏は山下氏の学生時代の指導教授であるが、この山下氏が、辻氏をつかまえて、「そろそろ舟木本を又兵衛筆と認めなさいよ、先生」なんて言っているのを読んだ。舟木本が次の又兵衛展に並べられるのは間違いなさそうである。こんなふうにして、浮世又兵衛の評価は有為転変の歴史を辿っている。

これら3次元の「波乱」はまだまだ当分続きそうである。なにせ、落款のない美術品を始め、固定端のない弦振動(波乱)であるから今後どの様な解が出てくるか判らない。人気のある「なんでも鑑定団』も暫く活況を呈するであろう。(木下長宏氏のウェブログ:浮世又兵衛その1~その4より気に入ったところを抜粋)。