たんぽぽ日和

吠えます。
噛みます。
そんな遠吠え日記。

おばあちゃん

2006年01月14日 01時10分39秒 | 奇想天外な家族のなかで
昨日おばあちゃんの話書いたのでさらに続いておばあちゃん話。

うちは共働きだったので私と妹は小さなころからおじいちゃん、おばあちゃんに育ててもらってました。

特におばあちゃんっていう人はおかあさんより変わってて。。
よく言えば「自由気ままでフリースタイル」悪く言えば?「天上天下唯我独尊」みたいな人でした。人の意見は全くきかない。こうと思ったらこう!みたいな人で。。でも、とっても気さくでどこでも友達を作り、どこへ行っても笑顔でいる人でした。そして、寂しがりでもありました。

おばあちゃんは私と妹に「これでもか!」ってくらい120%の愛情を注いでくれました。人は「過保護すぎだ」とよく言いました。
度が過ぎていろいろおかしな事をしちゃうくらいおばあちゃんの愛情をいっぱいもらって育てられました。
(おかしなこと例)
・一人暮らしを始めた私が心配で一日何十件も留守番電話しかも鼻息のみをいれる
・「プリンがすき」と言った私のおやつはひたすらプリンであり続け今現在はプリン大嫌いに
・中学のとき部活で朝五時半に家を出た私をチャリで後から追いかけてくる
・風邪ひいて病院に行った私(たしか4歳くらい)に「うつる」とわけわかんないこと言いながら息をフーフーかけて何かから予防している・・などなど)

そんなおばあちゃんの存在がうれしくもあり・・時には、けむたくもあり・・めいっぱい甘えて、甘やかされ、時々反抗もしながら私は成長させてもらいました。

そして、どこへいっても「おらち(私の家)のKYANANちゃんは・・」と言ってぜんぜんたいしたことないような事まで自慢して歩いてました。私はそれが嫌で恥ずかしくて人から聞くたび「ほんとやめて。。」とうんざりもしてました。

そして、一昨年の冬そんなおばあちゃんが末期がんであと数ヶ月だと知りました。

私は横浜の幼稚園を続けていくつもりだったけど
死ぬと分かってる大切なおばあちゃんが長野にいるのに、横浜で人の子をみてる場合ではないと思い、意を決して長野に帰ることを決めました。(他にもいろいろ重なったんだけど)

一緒にいられた時間はほんとに数ヶ月だったけど、おばあちゃんが苦しいときにそばにいて、してほしいことをその場で聞けて、いっぱい話せたその数ヶ月はとっても貴重なものでした。

うそもいっぱいついた
「今日はとっても顔色いいね」
「なんだか検査結果いいよ」

モルヒネを投与しはじめると幻覚でいろんな物が見えたり聞こえたりしているおばあちゃんに
「そうだね」「いるね」「なんの話してるんだろうね」とあいづちをうち続けました。

おばあちゃんの私への唯一の願いは「幸せな結婚」でした。
20歳ころから「結婚したらひ孫はおばあちゃんがみるぞ」「いい人はいねーだかいや?」「たのしみだわい」と言ってました。

お医者さんから意識があるのはあと数週間だと聞かされ
私は友達に協力してもらいウェディングドレスで写真を撮りました。(写真)
せめて、ウェディングドレス姿だけでも見せたい。。見たら喜ぶかなと思い・・・

私「おばあちゃん。結婚する友達の試着に一緒にいったらウェディングドレス着せてもらっちゃった」
おばあちゃん「・・・・」
私「ほら!みて!」

おばあちゃん「まだ、いかねえんだからしまっとけ」

私はそのとき、自分の考えは浅はかだったと思いました。
おばあちゃんは私のウェディングドレス姿が見たかったわけではなく
「結婚して幸せになることをずっと願ってた」ということが分かりその愛情の深さにどうしようもなく泣きました。

おばあちゃんはたぶん分かってたけど何も言わず、何も問わず、だけどとても苦しそうでした。
でも、どんなに苦しくても個室に行ってからも一生懸命ご飯を食べようとして生きることをあきらめなかった。
そして、自分は歩くことも出来ないのに、背中がでる服を着てる私に「だめじゃねえか。腰を冷やすとよくねえぞ」といって一生懸命服を下にひっぱろうとしたり、「かぼちゃは体にいいからこれ食え」と言って私に自分の病院食のおかずを食べさせようとしました。

どれだけの言葉を使ったらありがとうが言えるのかわからなかったから
私はひたすらおばあちゃんの痛いところをさすり続けました。
おばあちゃんは
「おねえちゃん(私)にさすってもらうのが一番だわい」と言ってくれました。

最後の夜
個室に泊まる事にした私が
私「今日、おねえちゃんこの部屋とまるね」というと
おばあちゃん「二人だったらさみしくないね」
私「そうだね。一緒だからさみしくないね」

そういっておばあちゃんは次の日亡くなりました。

私はありったけの愛情をもらったおばあちゃんに少ししか恩返しできなかったから
おばあちゃんから受けた愛情をちがう形で返していけたらいいなと思いました。

今もおばあちゃんがいないのはかなしいけど

「二人だったらさみしくないね」という最後の夜に話せた言葉がとても胸に残り


なんだかいつも二人でいるような気がしてます。














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2 コメント

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Unknown (tasogare)
2006-01-15 23:10:51
私もちょっと思い出したことがあります。

ばあちゃんのこと。



kanaちゃんのおばあちゃん、きっと今でもとっても幸せだろうな。そう思うの。



トラックバックさせていただきました。
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たそがれさん (KYANAN)
2006-01-17 19:29:26
ふもふもブログ読ませていただきました。

私も祖母の死で、家族がいなくなることは本当につらいことだけど、そのつらさを経験していくことが人生でもあるように思いました。



たそがれさんの言うとおり「生かされている」ということをいつも心にとめておきたいですよね。



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