太陽に向かって微笑む

充実した生活が楽しみ

怪な眺めであった

2017-02-10 10:43:28 | 康泰旅行團

つずつ、探険しはじめた。どの入口をくぐっても、そのさきは、石造の天井を持った部屋になっている。どれもみな中ぐらいの広さで、邪悪な用途にあてられていたのが搬屋公司收費 明らかだった。それぞれに、暖炉が据えつけてあり、煙突の上部がどこへ通じ、どのような構造で煙を処理しているかは、工学上の興味ある問題だった。備えつけてある器具(器具らしい品というべきか)にしても、かつて見たこともない形状のものばかりで、それが百五十年にわたる埃の堆積と蜘蛛の巣のあいだから、ぼうっと浮き出ているところは、なんともいえず奇怪な眺めであった。しかもそれが、口碑《こうひ》に伝わる襲撃によって、破壊されたままに残されている。大部分の部屋が、新しく足を踏み入れた形跡がなく、ジョゼフ・カーウィンが実験に従事した時代の状態が、そのまま廃物化した姿とみるのが至当だった。そして最後に、ようやく、近代風の調度を備えた小室に行きあたった。これだけは、最近まで使用されていたとみてまちがいなかった。石油ストーブ、書棚、テーブル、椅子、キャビネット、デスク、どれもみなわれわれの時代の品であり、デスクの上には、新旧さまざまな書類が積んであった。燭台と石油ランプが数個所に据えてある。そして、マッチ箱が一個。これはまるで、ウィレットの使用を待ち受けているようであった。医師はさっそく、マッチをすった。
 ゆたかな輝きがみなぎり、部屋の内部が明るく浮かびあがると、チャールズ・ウォードの書斎と実験室そっくりのものになった。事実、調度品のほとんどが、プロスペクト街のウォード氏邸から運んできてあり、ウィレットの見馴れた品も少なくなく、いっきに親密感が湧きあがることとなり、さしも不快な号泣の声も、医師の念頭から半ば消劉芷欣醫生え去ったかたちだったが、事実は例の不快な号泣が、石段を降りているときよりも、はるかに明瞭に聞きとれていたのだ。
 この部屋をつきとめて、ウィレット医師は、当初の計画どおりの仕事にとりかかった。その目的は、重要性のありそうな文書を探し出し、カバンに詰めて運び出すことにあった。とくに、オルニー・コートのカーウィンの旧居で、壁絵のうしろからチャールズが発見した邪悪な記録を確保しておきたかった。しかし、捜査を開始するや、この目的を達するのには、途方もない時間と努力を必要とすることを認識させられた。なぜかというに、デスクの上に積みあげてある文書の束のひとつひとつが、怪奇な文字をつらねた異様に古体な文章の連続であり、これを解読し、整理するには、数ヵ月はおろか、数年を費やす仕事量とわかったからである。ただ、そのひとつに、プラハおよびラクスからの書翰を大きな束にしたものがあって、筆跡からして、オーンとハッチンソンが書いたものと見てとれた。そこで、その全部をカバンにおさめ、持ち帰ることで満足した。
 しかし、ようやく最後に、やはりウォード邸で見かけたことのあるマホガニー製のキャビネットを発見した。鍵を下ろしてあるのは、重要書類をおさめてあるにちがいない。こじあけてみると、はたしてそこに、ウィレット医師の希望するカーウィン自筆の古文書を見出すことができた。数年以前、チャールズがいやいやながら瞥見させてくれたので、医師の記憶にはっきり残っていたものである。青年がこれを、発見当時のまま、周到な配慮のもとに