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創作童話 「黄色いコマ」

2015-03-11 08:18:30 | Weblog

 私の引き出しの隅に、木製の黄色いコマがある。中学生のときによく遊んだコマである。かなり使い込んだので裏側の木地のところがアメ色になっている。

 私にとっては、50年間も持っているものであるから懐かしいには違いないのだが、見るたびに胸が痛むのであった。

 私が中学生の時、京都の池の山町の団地に住んでいた。当時その団地は子どもが多く、団地の前の空き地で皆とよく遊んだ。もちろんコマ回しもよくやった。私はコマ回しが得意であったから、ほかの子どもにいろいろと教える側だった。

 中学一年の秋に、池の山町のすぐ近くに家が二軒建った。そこに、山本秀太という子が引っ越してきた。秀ちゃんの家は周りが畑で、自然と私の団地の方に遊びにくるようになった。

 秀ちゃんも中学一年で私とはすぐに仲良くなった。

 いつものように私や秀ちゃんとほか数人の子どもで、コマ回しに興じていたときのことであった。誰かが鬼ごっこをしようと言い出した。たまたま一人が大きな缶をもってきていたので、私たちは各自のコマとひもをその缶に入れて鬼ごっこをした。秀ちゃんのコマは私と同じ黄色であった。

 鬼ごっこにも飽きてコマを持って帰ろうとすると、秀ちゃんのこまに手が触れた。秀ちゃんのこまの裏側は木の模様がでてきれいだった。私のコマは、木の節くれのような模様がありよごれたような感じだった。

 私は、秀ちゃんのきれいな方のコマを手にとると「バイバイ」と言って家に帰った。

 夕食後、コマをみると実にきれいなのであった。でも、私の気持ちは晴れなかった。

 どうしょう、秀ちゃんに返しにいこうかとも思ったが勇気が出なかった。

 結局私は、秀ちゃんが言いに来たらまちがってごめんと言ってコマを交換しようと考えた。

 その後、秀ちゃんは何も言ってこなかった。学校ではクラスが違い、校舎も違ったので顔を合わせることもなかった。そのうちコマのことは忘れてしまった。

 秀ちゃんとは同じ中学であったが、高校は別々のところに進んだ。

 その後、大学に進んだ私は、卒業前の220日から冷蔵倉庫で働き始めた。

 働き始めて10日ほどたった33日、早めに出勤した私は新聞を見て驚いた。

『フランスの空港を離陸直後の旅客機が墜落。348名全員死亡』

 私は、大変なことが起こったんだなと思いながら新聞に目を通していった。死亡した40名あまりの日本人の写真と名前が目にとまった。

 私は、全身の血が引く思いがした。死亡者『山本秀太(22)

 別人かと思ったが、写真は私とよく遊んだ秀ちゃんに間違いなかった。私は息がとまるほど驚き、やがて涙をこらえることができなくなった。

「大山君、仕事前に泣いてたらあかんで」古田次長が私に声をかけた。

「はい」わたしは、精一杯の声で返事をした。

 その日は一日中秀ちゃんのことばかり考えていたので、仕事はあまりはかどらなかった。  家に帰るとあの黄色いコマを引き出しから出してみた。いつか、秀ちゃんには本当のことを言おうと思っていたのに、とうとう言えないままになってしまった。秀ちゃんはあのときコマが入れ替わったことに気がついていたのだろうか。それとも本当は怒っていたのだろうか。今となっては知るすべはない。

 私は秀ちゃんの黄色いコマを手のひらで回し、また泣いたのだった。

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2 コメント

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Unknown (野いちご)
2015-03-11 16:41:58
初めまして、野いちごです。
今日は「野いちごひとりごと」にお越しいただいてありがとうございました。

素敵なブログです。
「黄色いコマ」は創作なのですか。
ちょっぴり胸がキュンとなりました。
またお邪魔させていただきます。
Unknown (やま)
2015-03-11 16:58:05
お読みいただいてありがとうございます。こういうものをよくだしております。これからもよろしくお願いします。

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