第44回京都旅歩き ラストミッション
「なで地蔵」~古きや今や拾遺物語より~ 作 大山哲生
江戸で徳川様が栄えていた頃の話です。
京都のはずれに小さなお寺がありました。ここの和尚さんがとても器用な人で、自分で木を彫って仏像を作っていました。
知り合いのお寺から仏像を作ってほしいと頼まれると、土間にこもってトントンカンカンとけんめいに槌の音を響かせるのでした。
「和尚さん、あんまり根をつめると体をこわしますよ」と越年がいいました。越年はこの寺で十五年も修行をしているので和尚さんの性格をよく知っていたのでした。
和尚さんは「心配無用や。頼まれていた仏様は全部しあげた。この上からは、地蔵菩薩像を造ってこの寺に安置したいもんやなあ」
「和尚さん、ちょっとは体を休めてください。今度の檀家の集まりではしゃべってもらわなあきません」
「そやった。なにをしゃべろかな」
越年にはわかっていました。和尚さんは言い出したらすぐに実行してしまうのでした。
次に日から、和尚さんは土間でトントンカンカンと槌の音が響かせ地蔵菩薩像を彫り始めていました。
三ヶ月ほど経ったある日、「おーい、越年、念願の地蔵菩薩ができたぞ」と和尚さんの声。
こういうときは、越年に形や彫りを見てほしいということなのでした。
「なかなかよくできていると思います」越年は言いました。和尚さんは、「でもなあ、わしは、この丸坊主の頭をピカピカに光らしたいんや。ええ方法ないやろか」と言いました。
これを聞いていたのが、この寺に来たばかりというという珍念でした。
珍念は言いました。「私におまかせください。ちょっとこの菩薩様を表に安置しましょう」といって本堂の前に持って行ってしまいました。
見ていると、本堂にお参りに来た人がみんな地蔵菩薩の頭をなでています。和尚さんが表にまわってみてみると、『頭を百回なでると御利益が授かります』という立て札が立っているのでした。
「珍念はなかなか、知恵者やなあ」と和尚さんは感心しました。
何年か経つと、地蔵菩薩の頭はぴかぴかになって黒光りがするようになりました。
和尚さんは大変喜び、地蔵菩薩を本堂の奥の仏壇に移し、毎日お勤めをしたのでした。
その後、その地蔵菩薩は『なで地蔵』と呼ばれるようになったということです。