二階堂校長の事件簿 エピソード20
「別れた友」 作 大山哲生
私は二階堂晴久。花散里中学校の校長である。
私が小学校4年のときであった。10月に転校してきた子がいた。名前を前田和郎といった。
たまたま席がとなりになったので私たちはすぐに仲良くなった。前田君は、きれいな色の消しゴムを持っていた。私も使わせてもらったが、消したあととってもいいにおいがするのであった。昼休みは、運動場の隅で二人で遊んだ。知り合って半月くらいすぎたある日、私は「今日、家に遊びにいってええか」と言うと、「おお、こいや」と前田君は言ってくれた。
その日、家に鞄をおくと私は前田君の家に向かった。小学校の前を通り、第一軍道を少しのぼってすぐに右に折れる。長屋の中に前田君の家はあった。
「前田くん、あそぼー」と声をかけると、前田君が「入れや」と入れてくれた。
前田君の家には、漫画がたくさんあった。冒険王という漫画雑誌や別冊付録があり、夕焼けが濃くなるまで、二人で読みふけった。
明くる日、教室で前田君が、「ぼく島根に帰るかもしれんねん」と私にいった。
私には、前田君の言っていることがあまり理解できず、そのときは気にもとめなかった。
翌日、前田君は来なかった。
担任の吉井先生が、「前田君は島根に転校しました」とおっしゃった。
私は、となりの空っぽになった席を見ていた。さびしかった。こんなにすぐ帰るとは思わなかった。こんなことならちゃんとお別れをしておくんだったと後悔した。
そのとき、机の中にプリントが一枚入っているのを見つけた。手にとってみると、45点と書かれた算数のテストであった。少しななめになった字で「前田和郎」と書かれていた。
裏返すと、『にかいどうくん、たのしかったよ。きっとまた会えるから』
と書かれていた。前田君は昨日これを書いて机に入れておいたのだろう。私は、ていねいにおりたたむと、元のとおり机の中にそっていれておいた。
その後、20歳のころに前田和郎が交通事故で亡くなったという話を風のうわさに聞いた。
現在、私が校長を務めている花散里中学校の一年生に前田和郎という生徒がいる。たまたま委員会活動でこの生徒と話すことがあった。この生徒は私を見るとき、懐かしそうな目をすることがある。
そして夕焼けを見ながら「冒険王はおもしろかったな」とつぶやいたのを、私は確かに聞いたのだった。