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第190回古都旅歩き小説 「おはん」

2018-02-23 14:39:33 | 小説

第190回古都旅歩き小説

  「おはん」 作 大山哲生

  時は幕末。京都の下京に菊川屋という小さな旅籠(はたご)があった。その菊川屋の主は藤助と言った。藤助には、おはんという娘がいた。年は二十二であった。

藤助は娘のおはんに、

「これ、おはん、おまえもそろそろ嫁にいく年や。気に入った相手がいたらすぐにわしに言うんやで」と常々言っていた。

おはんは「あほらしい、そんな人はいはらへんえ。あたしは、この旅籠でおとっつぁんの手伝いをしてるときが一番やさかい」と言うのだった。藤助としてはうれしい反面、おはんが不憫でもあった。というのは、藤助の妻は数年前に亡くなり、菊川屋は藤助と番頭、それに二人の手代とおはんの五人で切り盛りしていた。藤助はおはんには早く嫁にいってもらいたいと思う反面、おはんなしでは菊川屋は回らないのであった。

番頭とおはんを夫婦にすることも考えたが、番頭に全くその気がない。藤助は、おはんや菊川屋の行く末を思うと悩みが尽きない。

 九月。彼岸を過ぎた頃。

おはんは、店の入り口に今日手に入ったばかりの野菊を数輪生けた。その後、桶と柄杓をもって道にていねいに打ち水をする。

 江戸時代のはじめに角倉了以(すみのくらりょうい)の作った運河は高瀬川と呼ばれ、京都の水運として重要な役を果たすようになる。大阪に集まった物資は、淀川を上り京都南部の伏見港に集まる。さらに伏見港からこの高瀬川を上り京都の町に物資が運ばれる。

 この日も高瀬川で荷下ろしをした物資を荷車に積み替えて、「どきやどきや」というかけ声とともにふんどし姿の男たちが慌ただしく荷車を引っ張っている。

 東から来る荷車には荷物が積んであるのでごとんごとんという音がするが、東に帰る荷車はたいてい空であるから、がらがらと軽やかな音がする。

 打ち水を忘れようものなら、砂埃がまいあがって店の入り口が砂だらけになる。そこで商店が話し合って、毎朝打ち水をすることになったのである

その時ふらりと入ってきた男がいる。

「ごめん」

「あ、お越しやす」とおはんはのれんを押し上げて店先に出た。男は、えらくくたびれた商人であった。

「お泊まりどすか」とおはんは言った。

「ああ、一日泊めてもらえるかいな」と商人は言った。おはんは驚いた。朝から旅籠にきて宿泊する客など普通はいない。たいていこの時間は出立する時間である。そもそも、おはんは今から部屋の掃除をしようと思っていたくらいである。

「そしたら、宿帳にお名前を」とおはんは宿帳を差し出した。商人は目玉を動かしてあたりのようすをうかがったあと、宿帳に「因幡屋手代、七之助」と黒々と書き記した。

「七之助さまですね。二階の桜の間にご案内します」とおはんは言い、階段を上がり始めた。

おはんが桜の間でお茶を入れていると、

「あのな、七之助というものはいるかと尋ねてくる者があっても、知らぬ存ぜぬで通してな。取引の都合があるさかいな」と七之助は言った。

「わかりました」というとおはんは下に降りた。昨今の京都ではいざこざが絶えないというのが日常であったから、なにかわけがあるのだろうということくらいは理解した。

七之助は旅籠から出ることなく部屋の中で過ごしていた。

 七之助は、その後も菊川屋を何度か訪れた。七之助は三十歳前後で、いつも用心している風だった。七之助はもの静かに酒を飲んでいることもあるし、時におはんに商売というものを熱く語って聞かせることもある。おはんにとっては、七之助の話は実に興味深いものであった。

 あるとき、おはんが夕食を七之助の部屋にもっていったとき、お膳を置くなり七之助に腕を捕まれた。おはんは「あ」と声をあげたが、こうなることはなんとなく予想していた。

 しかし七之助はそれ以上のことをしようとはしなかった。七之助はおはんを近くに引き寄せると、

「おはん、おまえは秘密を守れるか」

「ええ、七之助はんの秘密やったらとことん守りますえ」とおはんは言った。

「よく言った。実はな」と言うと七之助はおはんの目をじっと見つめながら、

「わしは長州藩の桂小五郎という者だ」と言った。

「え、桂小五郎はんどすか」とおはんは驚いた。桂小五郎と言えば、長州藩の大立て者である。おはんのような者でもその名前は知っている。長州藩とりわけ桂小五郎の主張は、幕府が政権を朝廷に奉還して、天皇を中心とした国家を作ることであった。この主張は幕府を守ろうとする新選組と激しい対立を生むこととなっている。

「その桂はんがなんでここに」とおはんは尋ねた。

「わしは、京の町をおおっぴらに歩ける立場ではない。商人に身をやつしながら京の町の情勢を探っているのだ」と桂は言った。

「京の町には、わしの命を狙っている者が多い。特に新選組はわしを殺そうと躍起になっている。だから、おはん、おまえには言っておかなくてはならんのだ」と桂は続けた。

「はい」とおはんは言った。

「もしここに」と桂は続けた。

「桂小五郎はいるか、と新選組の連中がやって来ても知らぬ存ぜぬでしらばっくれてほしい。桂小五郎という人物も知らないしここに来たこともない、七之助という商人も知らないと」

「あたしは難しいことはわからへんけど、桂はんのお命はこのおはん命かけて守ります」とおはんは言った。おはんは、桂のような大物が自分を信用してくれたことがうれしかった。

 ふたりが話し終えたそのとき階下で、

「新選組だ。ご用改めであるぞ。ここに桂小五郎と言う者が来ておろうが」と男がわめいた。

 桂は、ふいをつかれ立ち上がったがどうしていいかわからない。

「桂はん、こっち。ここから出て外の階段をおりて裏木戸を抜けると、仏念寺という寺の境内にでます。そこからお逃げやす」とおはんは言う。

「かたじけない」と言うと、刀を腰に差しながら桂は暗がりの中へ飛び出していった。

 そのとき新選組の土方歳三(ひじかたとしぞう)ら数人が二階に上がってきた。

「こりゃ女中、ここに桂小五郎という者が来ておろう」と土方が言った。

「いえ、誰もいたはらしまへんえ」とおはんは平然と言った。土方らは部屋を調べた。夕食が手つかずで残っているのでこの部屋に誰かがいたことは間違いない。しかし、土方はここで女中を問い詰めるのも無粋なことだと思ったのか諦めて帰って行った。

 その後、桂は一度だけ菊川屋を訪れた。ただし表からではなく、裏の仏念寺からであった。

 十月のある日。夜も更けたころ、おはんはこの日もいつものように店じまいをするために菊川屋の六枚の大戸を閉めた。そのとき、遠くで男たちの怒号がした。刀の触れ合う音も時折聞こえる。おはんは、こういうご時世なので、斬り合いやけんか騒ぎには慣れていた。ただ、この日いつもと違ったのは、一人の駆ける音が、パタパタは大戸の向こう側までやってきたことである。

 おはんは、桂が追われてここまでやってきたのだと直感した。大戸の下の小さな木戸を開けると、「こっちこっち」とおはんは暗がりの中で手招きした。

「かたじけない」と言うとその男は小さな木戸から飛び込んできた。おはんはすぐに木戸を閉めかんぬきをかけた。

 入ってきた男をろうそくの灯りで見ると、桂小五郎ではなく土方歳三であった。おはんは一瞬「しまった」と思ったが、何食わぬ顔をして、

「なんとか追っ手を巻いたみたいどす。よろしおしたなあ」と言った。

「すまん。助かった」と土方は笑みを浮かべて言った。

「そやけど、なんで土方はんみたいな強いお方が逃げはるんどす ?」とおはんは聞いた。

土方は床几に腰掛けると、

「今日は、祇園で飲んでいて酔いつぶれてしもうてな。壬生(みぶ)の屯所(とんしょ)に戻ろうとしたら、長州藩の十人くらいに取り囲まれた。この酔いでは勝ち目はないと思い、ひたすら逃げたというわけさ」というと照れもあるのか少し笑って見せた。

 おはんは、先日のご用改めの時と今の土方の表情の違いに驚くと同時に、その笑顔に惹かれるものを感じた。

 土方は「水をいっぱいくれぬか。どうも飲み過ぎたようだ」と言った。水を飲み干すと「さて、屯所にもどろうか」と立ち上がった。

おはんは「まだ、連中がうろついているのと違いますか。今日は遅いしお泊まりやしたらどうどす」と言った。「そうだな、お言葉に甘えるとするか」と言いながら、土方は二階に上がっていった。

 翌日、土方は菊川屋を出て屯所に戻っていった。

 その後、土方は何度か菊川屋を訪れた。おはんは、土方が、桂をかくまったことを知っているのかどうか謀りかねた。土方は、おはんに桂のことは一切尋ねない。おはんにはそのことがうれしくもあり、心苦しくもあった。

 おはんは、土方から新選組の内情を仕入れて桂に知らせてやろうと思った。しかし、土方は、おはんの前では政情の話は一切しなかった。江戸には自分を好いてくれた女がいたことや、江戸の試衛館で近藤や沖田と腕を磨いたことなどを話すが、浪士取り締まりのことは一切口にしなかった。おはんは情報を仕入れてやろうという当初の目的は忘れ、土方のそういう話を聞くのが楽しみになっていた。

 土方の目は澄んでいて時に夢を見ているような表情になる。「鬼の副長」と噂されている土方とは別人であるように見える。おはんはそういう土方に惹かれていった。

 土方が帰ると、おはんは心にぽっかりと穴が空いたような気持ちがした。土方と会うたびそれは強くなり、切ない気持ちに変わっていった。おはんは、土方を好きになっている自分を発見した。

 土方が何度目か菊川屋を訪れた時に、おはんは、土方に身も心も捧げたいとすら思うようになった。

「土方はんがきてくれはると、あたしはとってもうれしい。いっそのこと夫婦になりたい」と言った。

 土方は、一瞬驚いたような表情を見せたが「わしのようにいつ死ぬかわからん者と夫婦になるのは損だぞ。それに江戸に残してきた女もいるしな」と土方ははぐらかした。

「ところで、毎度毎度菊川屋の表から入るというのも誰かに見られているようで困る。裏口のようなものはないか」と土方は尋ねた。

おはんは一瞬困った表情をしたが、

「二階のそこの戸からでる外の階段があります。そこを降りて木戸を抜けると裏の仏念寺の境内に出ます。そこからお越しやしたら誰にも見つからしまへん」と言った。

土方は「なるほど」と言ったっきり黙った。

 翌日、おはんの心には激しい後悔の気持ちが渦巻いていた。裏口のことを土方に言ってしまったことで、桂小五郎を新選組に売ったような気がしていた。今度桂がやって来たら新選組は当然裏口も固めておくだろう。自分は桂を裏切ったのかもしれないと思った。今は、桂より土方の方に気持ちが揺れているとは言え、桂とて自分を信用してくれた相手である。無下にするのはおはんの気持ちが許さない。

それに、土方も聞くことさえ聞いたらもう菊川屋へは来てくれないのではないか、土方にもう会えないのではないかと胸がふさがれるような思いがした。

 さらにおはんは思う。自分は、新選組にも長州藩にもどちらにも味方しない立場と思っていたのに、桂さんに不利なことを言ってしまった自分は許せない、と思った。

 おはんはため息をついた。そして思いなおした。

でも、自分が土方さんに裏口のことを言ってから桂さんは来なくなったのではないし、まして桂さんが捕まったわけではない。だから自分が裏口のことをしゃべってしまったからと言って桂さんには迷惑をかけていない。

 しかし、おはんは最後にこう思った。自分が桂を逃がしたことを土方にしゃべってしまったようなものだと。

 おはんは、悩んだ。

 それから二、三日はぼうっとしていることが多かった。朝の打ち水も忘れるほどだった。

藤助はそういうおはんを見て、

「おはん、最近ぼうっとしていることがあるけど何か気になることでもあるんか」と聞いた。

おはんは、桂と土方のことを藤助に打ち明けた。

「そういうことがあったんか」と藤助は言った。

「でもおはん、おまえのしたことは正しかったと思うで」と藤助は言った。

おはんは、はっと顔を上げて「そうどすか」と言った。

「そうや、つまりおまえは長州藩も助けたし言わば新選組にも味方したわけや。これで公平っちゅうもんや。もしも、長州藩だけに味方したら、菊川屋は長州藩の根城みたいにいわれて、取りつぶしにあったかもしれん。だから、これでよかったんや」と藤助は信楽焼の湯飲みで茶をすすりながら言った。

 それだけのことを言うと藤助はうれしそうに義太夫の会に出かけて行った。

 おはんは、部屋の掃除をしながら、桂小五郎と土方歳三という敵同士を同時に好きになってしまった自分の業を恨んだ。藤助の言い方では、おはんがどちらを選んでもこの菊川屋自体がなんらかの政争の標的にされかねない。

 この二つの恋は、忘れるのが一番いいのだけれど、忘れられそうにない。桂が、自分が桂小五郎であることを告白したのはおはんを心底信用してくれたからではないか。あのとき、おはんは桂の信用に答えようと胸が熱くなったのを覚えている。

 土方歳三は、鬼の副長といわれているが、澄んだ瞳で遠いまなざしをするときは、少年のような表情になる。やわらかい物腰とあいまって、夫婦になりたいとすら思っている。

 そして、おはんの気持ちが桂と土方のどちらに傾いても、一人の男を裏切ったとの思いがよぎる。その思いは、日々おはんを苦しめるのだった。

 その後、土方は何度か菊川屋を訪れた。おはんは相変わらず話し相手にはなったが、決して体を許そうとはしなかった。それはささやかながら桂への操立てであった。土方はそういうおはんの気持ちを見抜いているかのような目をしていた。おはんはそれでも土方といることがうれしかった。

 ある日、風のたよりで桂小五郎が訳合って長州(今の山口県)に帰ったということを聞いた。おはんは、これで桂とは二度と会えなくなったと悟った。恋しい気持ちは募ったが、桂が遠くに離れたことで、おはんは諦めようと努力した。

 しかし、政情は風雲急を告げていた。一度は京都から長州藩の連中が追放されたが、その後薩長同盟が成立し、ここに巨大な倒幕勢力が誕生した。徳川慶喜は倒幕の動きをかわすかのように二条城で大政奉還を宣言した。これで京都の勢力分布が逆転し、新選組は京の町から逃げだし、伏見から大阪へと敗走した。そして徳川慶喜ともども江戸に逃げ帰ったのであった。

 おはんは、桂と土方への恋はどちらもかなわぬものになったと思った。桂は新政府の要職についており、土方は遠く江戸に戻った。おはんは、土方は江戸に残してきたという女とうまくやってるのだろうと思った。

二度と会えないと思うと、二人の男を恋しいと思うおはんの気持ちはよけい募った。特に土方の少年のような面影はおはんを苦しめた。土方ともう一度会えたら、今度こそ夫婦になるのだと心に決めていた。

 明治二年五月十一日、おはんは夢を見た。土方が静かに酒を飲みながら遠い目をしている。「土方はん」とおはんが呼ぶと、こちらを見て笑う。その澄んだ目と笑顔がおはんの心をとらえて離さない。

「土方はん、これからどちらへ」とおはんが聞くと土方は、

「これから楽しいところに行くのさ。もう会うこともないが体には気をつけるのだぞ」と言う。

 おはんは、夜中にはっと目を覚まし、「はて、おかしな夢だった」とつぶやいた。

 それから四、五日したある日、土方歳三が函館で戦死したという噂が京の町に流れた。

 おはんが、旅の者にくわしく聞くと、土方が亡くなったのはおはんがあのおかしな夢を見た日だった。

 おはんは、それを聞くなり店の奥に走り込み、仏間を開けてろうそくに灯をともし線香を立てた。そして心静かに土方歳三の冥福を祈ったのであった。

 藤助はおはんに養子をとった。おはんは一男二女をもうけ、文明開化の世を生き延びた。藤助が亡くなった後は、おはんの夫が菊川屋を継いだ。菊川屋は昭和二十年代まで続いた。

ちなみにおはんの息子は、菊川歳三というらしい。

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