「廃校の奇跡」 作 大山哲生
一
京都の旅雑誌を見ていると、廃校になった建物を展示施設などに利用しているところがけっこうあることに気がついた。そこで、私はある日京都の廃校めぐりをしようと考えた。
京都市内にある旧鶴沢小学校はテレビの博物館になっているし、旧龍池小学校はマンガミュージアムになっている。
私は、この二カ所を回ってみようと考えた。京都駅からしばらく歩いてテレビの博物館に着いた。
薄暗い廊下をぬけると、往年のテレビ番組についての写真や映像が展示されていた。中には懐かしいものもあり私はかなり時間をかけて見ていった。
この廃校は、取り壊された他の小学校の廃材を利用して修復されている。
廊下の横壁は、腰板といって床上一メートルくらいまでは板が縦向けにはりつけてあり、その上は白壁となっている。
私は、子どものころの目線で廊下を見てみようとしゃがんでみた。
なるほど、下から見上げると廊下の天井は高い。ゆっくりと視線を下に落とした時に、横の板に傷があるのを見つけた。各小学校の廃材を使っているので傷があったとしても不思議ではない。
光の具合で傷の影をみるとカタカナのようだ。めがねをはずしてよく見ると「テッパン」と読めた。
え、テッパン。テッパンとは私の小学生のころのあだ名だ。その下にも傷があり、寺井と相模原と読めた。
まちがいない。このテッパンとは私のことで寺井と相模原はいじめっ子の二人だ。
二
昭和三十八年二月二十三日。私は当時六年生。この日はバスに乗っての社会見学の日だった。
朝、起きると京都には珍しい大雪だった。私はうれしくなって、早めに登校した。
みんなも雪がうれしかったと見えて、運動場でてんでに雪遊びをしている。ある者は体育倉庫に勝手に入り、スキー板をだして遊んでいる。
雪のかげんでバスの出発が遅れていた。
私は、体育倉庫にはおもしろそうなものがあるなと思いながら入ると、そこには寺井がいた。寺井は三年と四年のときは仲がよかったが、五年生の時にさんざんいじめられた。
五年生のとき寺井の家に遊びに行ったことがある。寺井の家は写真館をやっている。二階のスタジオが薄暗くてだだっ広くて遊ぶにはおもしろい。いっしょに来ていたごんたくれの相模原は、私をいすにくくりつけてその上から暗幕をかぶせた。寺井は周りでさかんにはやし立てていたようだった。突然、真っ暗になって私は恐怖のあまり泣いた。
体育倉庫の跳び箱に腰掛けていた寺井は、そんなことはすでに忘れているのか機嫌がよかった
「テッパン、もうすぐ卒業やから、この倉庫の壁に名前彫っとこうや」と言う。寺井は落ちている釘を見つけると、『テッパン、寺井、相模原』と彫りつけたのであった。
三
私は旧鶴沢小学校で六十年ぶりに三人の名前が彫りつけてあるのを見て、大変驚いた。六十年ぶりの再会であった。そして、暗幕をかぶせられた思い出がよみがえり、懐かしいというより苦々しい思いがよぎった。しかし、それにしてもよく残っていたものである。そしてここで私が自分のあだ名と再会したのは奇跡と思われた。
この板の彫り込みをじっと見つめていると、もう一人の名前が彫られていることに気がついた。寺井から矢印をかきその先に、権堂一平と彫られている。
確かあの日は、寺井が三人の名前を彫り込んだ直後に集合の笛がなってあわてて運動場に走った。だから権堂一平という文字を彫る時間はなかったはずである。おまけに、いくら考えても権堂一平という名前には心当たりがない。そうすると寺井が後日書き加えたということなのか。
私は妙な思いにとらわれた。
四
次の目的地はマンガミュージアムだ。ここは以前にも一度来たことがあったが、そのときは近距離用のめがねを忘れてきたため、マンガを読むのはやめて旧校舎を見学した。
今日はめがねも用意しているし、年代別に漫画本が整理されている部屋も知っている。
私は1960年代のマンガの棚にいって「ストップ! にいちゃん」を手に取った。このマンガは私が中学生の頃流行ったマンガで、学校でもよく話題になった。
私はめがねをとりかえると読み始めた。なかなかおもしろい。
一時間ほどで二巻読み切った。少し疲れたので、別のマンガを探しに棚の前にいった。
すると、端っこのほうに「一平がゆく」というマンガがあった。どうせ、スポーツ物だろうと思ったがなんとなく気になり手にとって読み始めた。
最初のページを見て私は驚いた。そこにはごつい顔をした主人公が「俺の名前は権堂一平」とさけんでいるではないか。
権堂一平とは、さっきの廃校の腰板に刻まれていた名前だ。
そうか、あの名前はここからとったのか。私はそのマンガを読み始めた。一巻に八話の作品が収められている。内容は、権堂一平が勧善懲悪でいじめっ子を次々とやっつけていくという話である。
寺井が自分の名前から矢印をだしてその先に権堂一平と書いたのは、寺井は相模原のいじめを止めようとしたということなのだろうか。それとも、私への謝罪を込めたのだろうか。
思い返してみると、相模原は私をいじめたが寺井が直接なにかしたというわけではないことに気がついた。今までは二人一組で憎らしいと思っていたが、寺井は寺井なりに止めようとしたのかもしれない。少なくとも、「ごめんな」という気持ちがあったのかも知れない。
私は帰りの電車の中で、寺井に対して六十年あまり抱き続けてきた自分の気持ちが少し晴れたような気がした。