第167回古都旅歩き 創作
「前世研究室」 作 大山哲生
一
あなた、不思議そうな顔をしていますね。口が半開きですよ。それとも不安なのですかな。私がなぜあなたをここに呼んだのかって。すぐにわかりますよ。すぐにね、
そう、あなたに手紙を出したのは私ですよ。住所ですか。私ほどの者ならあなたの住所を調べるなんてわけありません。
ここがどこかよくわかっておられないようですね。
ここは、都帝国大學前世研究室と言いましてね。この建物は明治四十年に建てられたものなんです。あなたが今歩いてきたとおり、ここはわかりにくい場所でしてね。六階建ての応用物理研究棟のすぐ裏にあるんです。ところが、応用物理研究棟の窓からはこの建物は見えない。小さな平屋ですからね。だからこの研究室を見たことがない学生がほとんどです。
この研究室は昔のままでしてね。右の棚にほこりを被ったラジオがあるでしょ。真空管式のラジオですよ。私はそれで例の大本営発表をよく聞いたものです。
ときどき首をかしげておられますね。私が何歳か不思議にお思いですね。この際、年なんかいいじゃありませんか。おっと、名乗るのを忘れるところでした。私は、都帝国大學教授の東小路山助と言いましてね。前世の研究をしているんですよ。
二
前世を馬鹿にしちゃいけません。よく言うでしょ前世の因縁とか。実は人と人が出会うのは前世の因縁でしてね。人と人が殺し合うのも前世の因縁ですよ。信じられないって顔ですね。
私は都帝国大學の教授として、ずっと前世の研究をしていたんですよ。
でもね、大正時代の終わり頃、陸軍の将校がやってきて、私に極秘命令を出したんです。それはね、恐ろしいことに前世を書き換えるというものでしてね。なんのためかって。前世を書き換えてより敵を憎むようにするというものでした。
でもねあなた、学問が軍部に屈したら終わりじゃありませんか。だから、私は研究をしている振りをしましてね。そのうち戦争が終わった。
適当にやり過ごしはしたものの本来の前世の研究は二十年間、止まってしまったんですよ。それでも、私は研究を進めましてね。ある結論に達したんですよ。ある結論にね。ヒッヒッヒ。
三
あなた、あくびをかみ殺しておられる。まだことの重大性がわかっておられない。
よろしい。人間の仕組みを私が詳しく講釈して差し上げましょう。
人間というものは肉体と魂から成り立っているんですよ。え、魂なんてナンセンスだって。そこが大きな間違いなんです。人間は、肉体に魂が入り込んで誕生するんです。あなた今、「魂なんてあり得ない」とつぶやかれましたね。たいていの方ははじめはそうお思いになります。あなた、先ほどからしきりに足を動かしておられる。早く帰りたそうですね。私には何もかもお見通しなんですよ。もう少し話を聞けば、その気持ちも変わるでしょう。
過去、何千年、何万年の死者の魂がこの世に再び生まれるべく順番を今か今かと待っているんです。そんな魂のかたまりはどこにあるのかって。それは寒いところに現れるオーロラがそれなんですよ。あれは実は魂のかたまりなんです。
そして、魂には必ず前世の記憶がくっついています。だからあなたにも、前世の記憶をもった魂が入り込んでいるはずなんです。
まだ信じられないという顔ですね。あなた、こういうことはありませんか。
たとえば、家の二階に用事をしにいこうとして二階についたとたん、はてなんの用事だったかなと思うことが。ああよくあるようですね。実はあの時、魂が一瞬前世を思い出しているんです。だからあなたは用事を失念したと思っているが、前世の記憶はしっかり働いているんです。だからああいう現象が起こるのです。ええ、そのくらいは常識です。
なんせ私は都帝国大學前世研究室の教授ですからね。
四
ここまではご理解いただけたようですな。
難しいのはここからなんです。
今私の言ったようなことは学生ならみんな知ってることですよ。言わば、学問の基礎ですな。
次は、その前世が誰なのかを調べなければなりません。できれば、二代前、三代前の前世くらいまでは調べたいと思っていますよ。
どうやって調べるかって。簡単ですよ。自分の名前を書かせるんですよ。仮に山田一郎さんは、当然山田一郎と書くのですが、前世の記憶も自分の名前を書こうとする。
よく、字がへただとかゆがんでいるとかいいますよね。あれは、ご自分の名前と前世の名前が混じるのでゆがんでしまったりするんです。
以前、ある女性に名前を書いてもらったんです。そしたら、何度かいても斜めの殴り書きになる。私が詳細に調べたら、斉藤清恵という斜めの字の中に「mary」と読める部分がありましてね。詳しく調べたら、前世はマリーアントワネットだということがわかりました。その人はいつも首が痛いって言ってたなあ。
ある男性は実に興味深かったですな。奥田光男といいましたが、三回に一回は自分の名前を間違える。どう間違えるかって、奥田を「石田」と書いてしまうんですよ。そこで前世は石田という人だとわかりました。その人は柿が嫌いでね。柿は体を冷やすからよくないなんていうんですよ。その奥田光男という人は、子どもの頃、歴史の授業がいやでたまらなかった。特に徳川という文字を見ると無性に腹が立ったって言ってました。結局その人の前世は石田三成だったんですよ。
柿を食べないのも徳川という文字に反応するのも、前世の因縁なんですよ。
おわかりいただけましたか。
この都帝国大學前世研究室ではそういうことを研究しているんですよ。
五
どうです、立派な研究でしょう。でもね、この研究室には補助金がほとんどもらえなくてね。普通の人にはなかなか理解してもらえないので困っています。
さて、本題に入りましょう。
あなたの前世を調べるんです。
サインなんかしないって。いやいや、お手紙の中にアンケートが入っておりましたでしょ。あなた、そこにちゃんと自筆の署名をなさっているんです。
今更唇を噛んでも後の祭りです。ところで、あなたは字が下手だと言われたことはないですか。ああ、やっぱりあるようですね。私が調べたところ、漢字がばらばらな印象ですな。つまり、これは前世の記憶がひらがなを書こうとしているんです。つまりひらがなのイメージで漢字をお書きになっている。そこであなたの前世はひらがなの名前だったと言うことがわかります。
次は、あなたの生年月日に注目しました。ほらそこの本棚に厚さが五センチほどの本が数十冊並んでいるでしょ。それは、前世大辞典といいましてね、順番待ちをしている前世が全部掲載されているんです。あなたの生年月日で調べると、あなたの前世は応仁の乱の頃、山城地方にいた「もへえ」という男だということがわかりました。
この「もへえ」は応仁の乱では細川方について、京の町に火をつけてまわった男なんです。持たせてもらった槍で京の町の人をつぎつぎと刺しては金品を奪ったりもしたんです。
そんな詳しいことまでどうしてわかるのかって。ヒッヒッ、まだお気づきになりませんか。あなたの前世の記憶は、私を覚えているはずですがね。
おや、しきりにいすの背もたれを気になさっているようです。背もたれの具合が悪いんじゃないでしょう。あなた、背中にびっしょりと汗をかいているのでありませんかな。
そろそろ、今日の本題に気がついてきたようですね。ヒッヒッヒッ。
実はね、私の前世はあの時あなたに刺し殺された男だったんですよ。
私は、死ぬ間際に復讐を誓ったんです。そして今、ある結論に達したのです。はじめに言いましたよね。人と人が殺し合うことさえも前世の因縁だって。ある結論に達したとはたとえばそういうことなんです。
あなた、立ち上がってどこに行こうというんですか。すべてのドアには鍵がかかっています。ここから逃げることはできません。諦めてどうぞいすに腰掛けてくださいな。ほら、ここに、切れ味鋭いナイフがある。痛くはないですよ。ヒッヒッヒ。
六
おや、あなたの署名を見ると「もへえ」のもうひとつ前の前世も名前を書きたがっていますな。あなたの「山」という字は形がおかしい。これは「我」という字だ。えっ、あなたの二つ前の前世は蘇我入鹿と判明しました。私の二つ前の前世は中臣鎌足。確か大化の改新では、中臣鎌足が蘇我入鹿を暗殺している。
なるほど、二つ前の前世では、私があなたを殺し、一つ前の前世では、逆にあなたが私を殺した。
これはあいこですな。このナイフはいったん戸棚にしまっておくことにしましょう。
ね、前世の研究はすごいでしょ。前世の因縁を調べることによって、ナイフを使わずに済んだんですから。
七
でもね。念のために詳しく調べておきましょう。あなたの筆跡がこれ、私の筆跡がこれ。なるほど、前世大辞典を調べてみるとこうなっている。
やっぱりこのナイフは使わねばならないようですね。
どうしてかって。ヒッヒッヒッ、あなたがもへえの時に私以外にもう一人殺してます。覚えがないって、当然です。でもね、そのとき殺されたもう一人の男は、前世では私の双子の弟でしてね。やっぱり前世の因縁でこのナイフを使わないといけなくなりました。
なに、心配いりません。ナイフの切れ味は保証しますよ。
こういうふうにして、ナイフをあなたののどにあてがう。ヒッヒッヒ、覚悟をするんですな。これも前世の因縁です。ナイフを思い切り引けばあなたは絶命する。怖いですか。
そうでしょうね。
でもね、私はひげを剃るだけです。私の前世は床屋でしてね。
不思議な現象にも沢山遭遇して。。
幼い頃聞いた『家の氏神さんは、お酒好きだから困った時お神酒持って行ってお願いすると良く聞いてくれるよ』と云う話、ほんに氏神様は律儀だったなぁと感謝し乍ら想い出すこの頃です。