「禅定寺 旅歩き」 作 大山哲生
「正太郎君、ついに来たよ」
「来ましたね。宇治田原町。遠かったです」
「京都府ではあるが滋賀県に近いところだからね」
「ひなびたところで緑がいっぱいです」
「そうだね。心が透き通るようだ」
「えっ、博士にそんな文学的な表現ができるとは」
「はっはっは、ぼくは文学的だよ。青島由起夫の『金閣寺』も読んだしね」
「は、博士、それもいうなら『三島由紀夫』です。青島幸男はスーダラ節の作詞者です」
「あ、そうだったか。とにかく参道を上ってみよう」
「博士、ここの本堂はめずらしいです」
「本当だ。茅葺きの屋根だ。この本堂は江戸時代に作られたといわれている」
「博士、茅のところに白いものがたくさんついています」
「あれは、あわびの貝殻さ。鳥よけのおまじないらしい」
「よそではあまり見ませんね」
「この地方の風習かもしれないな」
「博士、このお寺は本堂しかありません」
「正太郎君、昔は大きなお寺だったんだよ。藤原氏の保護を受け、平等院の末寺になってからはすごく広い領地を持っていたんだ」
「へえ」
「でも、藤原摂関家が力を失うと禅定寺も次第におとろえていったというわけさ。」
「なるほど。お寺はそのときの政治と関係があるんですね」
「ちょっと興味深いのは、この寺は、中世から数百年の間、となりの九条家領との間で境界線争いが続いたらしい」
「博士、九条家といえば藤原五摂家のひとつだから藤原同士で収まりそうなものですが」
「道長、頼道以後は藤原五摂家に分かれていったのだが、五摂家どうしで対立やもめごとがけっこうあったから、境界線争いもそういう対立を反映していたのかもしれない。それに途中からは、禅定寺自体が平等院を完全に離れ、加賀藩の家老の援助を受け曹洞宗になったから争いはなかなかおさまらなかったのかもしれないね」
「それで曹洞宗なんですね。博士、本堂裏のコンクリートの壁面に仏画や涅槃図が描かれています。美しいです」
「涅槃図は有名な人に描いてもらったらしいが、他は公募して描いてもらったらしい。いずれにせよ、本当にすばらしい絵だね」
「いいアイデアだと思います」
「正太郎君、宝物館に行ってみよう」
「博士、ここには平安時代初期の仏像などがたくさん展示されています」
「いいねえ、特に正面の十一面観音菩薩立像はすばらしい。なんともいえない威厳がある」
「これだけのものがよく残っていましたね」
「そうだ、火災にあったというが、よくぞ燃えないで残っていてくれたものだ」
「十一面観音菩薩立像・・・日光菩薩・・・月光菩薩・・・四天王立像・・・博士、どれもすばらしいです」
「正太郎君、四天王像なんか学校の先生のようじゃないか。怒っていてもどこかやさしい」
「そうですね。思わず『気をつけ』をしたくなりました」
「正太郎君、京都というところは隅から隅まで歴史物語に満ちている」
「そして、教科書に出ている人たちが登場する」
「そういうことだ」
「博士、外に出ると青空と緑の木々に深呼吸です。うーん」
「本当に気持ちのいいところだね」
「博士、ここまで来たのなら信楽に寄って狸の置物でも買いませんか」
「そうしょうか」