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第50回京都旅歩きラストミッション 「貴婦人時計の謎」~古きや今や拾遺物語より~

2015-12-25 15:13:05 | Weblog

第50回京都旅歩きラストミッション

  「貴婦人時計の謎」~古きや今や拾遺物語より~  作 大山哲生

 一

 北野天満宮に来るのは久しぶりだ。北野天満宮は、私が幼い日に父親によくつれていってもらったところである。だから、休憩所の高いところにかけてある額などはうっすらと記憶にある。

精華町からは遠かったが、京都の活気にふれてみると来てよかったなと思えるのであった。この日は12月25日、北野天満宮の境内は終い天神と呼ばれていて溢れんばかりの露店が並んでいる。食べるものもあれば、正月用品を売っている店もある。古着屋もあれば、骨董品を並べている店もあった。

 北野天満宮の横から裏手にかけて骨董の店がずらりと並んでいる。

 いろいろなものがある。2.26事件の日の新聞もある。私が幼い日に見たようなものもある。かと思うとカセットウォークマンもある。また、陶器の人形もある。とにかく、昭和の歴史をすべて語り尽くせるほど多岐にわたった骨董が並んでいるのであった。

 私は寒風の中、骨董屋の並ぶあたりを何度も行き来してめぼしいものを探していた。

  そのとき、陶器の貴婦人時計が目に入った。下半分は時計で上は西洋の貴婦人の像になっている。私はなにか引かれるものがあり4千円で買った。

 帰ってきて部屋に飾るとなかなかしゃれている。時計は一応クォーツで三十年くらい前のものと思われた。ところが時々時計が止まる。電池も配線も全く問題がないのに止まるのである。最初は古いから止まるのかなと思ったが、この時計が動くのはある方向に向けたときだけだということに気がついた。

 北に向けた時だけ動くのである。

 私は桂に住む友人の安田に乞われてこの貴婦人時計を譲った。安田は喜んで使っていたが、やはりよく止まるということであった。

「あの時計、北に向けると動くやろ」と電話で話すと、安田は、「いや、東に向けた時だけ動く」と言う。私は不思議に思った。安田の了解をとり、今度は東山今熊野に住む神谷にこの時計を使ってもらうことにした。一ヶ月たったころ、神谷から電話があった。「大山か、あの時計やっぱりときどき止まるわ」

「どっち向いたときに動く?」その答えは驚くべきものだった。

 ………ニシヲムイタトキダケウゴク………

 安田はこの時計を気味悪がって返すといってきた。結局この貴婦人時計は再び私の元に戻ってきた。

 半年ほど私はこの時計の機嫌をとっていたがやがて忘れていった。

三 

 ある日、新聞に「歌人・枕中咲子の死後20年」という特集記事が出ていた。私は、歌人には関心がなかったが、枕中咲子の生前の写真を見て目が釘付けになった。

 自宅でくつろぐ枕中咲子の後ろには、問題の貴婦人時計が写っていたのである。私は、目の前にある時計と写真の時計を見比べた。間違いない。同じものだ。

 そしてもっと驚いたのは、全く同じ貴婦人時計がもうひとつ横に並んで写っていたことである。

 同じ時計をわざわざ二つ並べて飾るものなのか、私は大いに疑問を持った。

 いろいろと調べていくと、この貴婦人時計は双子として作られたことがわかった。つまり、同じものが同時に二つ作られたということらしい。

 そうか、だから枕中咲子はこの貴婦人時計を二つ並べていたのか。となると、同じ貴婦人時計がどこかにもう一体あるはずである。

 私はここであることがひらめいた。ひょっとしたらこの貴婦人時計は双子の姉妹をさがしているのではないかと。早速、この時計がきちんと動いた時の方向を地図に書き入れると、三つの方向の線は京都市の真ん中あたりでぴたりと交わった。そこはお寺だった。

 蒼成寺、はてこんなお寺があったかな。

 次の日、私は時計の写真をもって蒼成寺を訪れた。

「こんな時計がお宅にありませんか」と言うと、そこの住職は「あああったわ。でもな三日ほど前に骨董屋に売ってしもた」と言う。

 その時計が一般に売られるのはおそらくあのときであろうとねらいをつけ、私は12月21日の東寺の終い弘法に出かけた。北野天満宮に負けないほどの数の露店が並んでいた。境内の中央付近にはおびただしい数の骨董屋が並んでおり、私は順番に見ていった。あった。あの貴婦人時計が店の奥の方に寂しそうに置かれていた。「あれをください」私は勢い込んで言った。店主はびっくりしたようだった。私は4000円で買って家にかえった。

 姉妹二体の貴婦人時計を私の部屋に並べて飾った。その夜、夢の中に姉妹が現れ「ありがとうございます」と礼を述べたのであった。

 それからは、向きによって時計が止まることはなくなった。

 家内は、「おんなじ時計を二つも並べてとんでもない無駄遣いね」といやみを言うが、私はこれでよかったのだと思っている。

 

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