創作話「鞍馬より牛若丸が出でまして」 作 大山哲生
一
私の中学時代の友人に、川本昌明がいた。川本は中学の時は、勉強と部活を両立させている見本のような生徒で勉強はトップクラス、部活は軟式テニス部であった。私は彼がウサギ跳びをしているところをよく見かけたものだった。
その川本が、高校に入ると数人の友人と落語研究会を立ち上げた。私は、その話を聞いて意外だなと思うと同時になんとかっこいいと感心したのであった。
その頃は、ラジオの深夜番組で多数の落語家が出ていて、若者にとっては落語全盛時代なのであった。
川本らは、そういうときに落研を立ち上げたから、同級生からは絶賛をもって迎えられたのであった。落研には『六亭』と『竹林亭』があった。ひとつで良さそうなものだが、川本らは、流儀はふたつあるほうがいいという。川本の芸名は『竹林亭楽挙(ちくりんていらっきょ)』というものであった。
二
高校三年の文化祭では、落研の発表に二時間が割り当てられた。川本は最後から二番目で演目は『青菜』であった。見ている同級生にしてみたらヒーローが演じるようなものだから、みんなよく笑った。
いよいよ川本の演じる番が来た。
青菜という落語はこういう筋である。
【ある旦那が出入りの植木屋に酒を勧める。さらに旦那が植木屋に青菜を勧めると植木屋もぜひにということになる。旦那は奥さんを奥の部屋から呼び、植木屋さんが青菜をたべたいようだから用意するように伝える。しばらくして奥さんがもどってきて「くらまより牛若丸が出でまして、なもくろうほうがん」というと、旦那が「義経、義経」という。植木屋にはなんのことかわからないので聞くと、「菜を食ろうてしまってない」という意味だとわかる。そこで旦那が「義経、義経(よしよし)」と返答したと知る。
植木屋はこれを自分の家でもやってみたくてしようがない。長屋にもどって奥さんにかたがたいい含めて、友だちを呼び酒をふるまう。いよいよ青菜の段になる。植木屋が奥さんに青菜を用意するように伝える。ややあって奥の部屋に見立てた押し入れから出てきた奥さんが「くらまより牛若丸が出でまして なも九郎判官義経」まで言ってしまう。植木屋返答に困って「弁慶」と言うのがサゲとなる。】
この日、川本は乗っていた。ぼけるところは声色をかえてぼけ、つっこむところは思い切りつっこんだ。客席は爆笑の連続であった。前半の旦那と植木屋のやり取りでは、酒を飲むしぐさを器用にこなし、だんだん酔っぱらっていく様子を見事に活写した。
いっしょに見ていた教師もげらげらと大笑いをしていた。
川本は、いよいよ最後のサゲのところに来た。
植木屋の奥さんのせりふ。
「くらまより牛若丸がいでまして なも九郎判官義経弁慶」
いっしゅん体育館が静まりかえった。同級生の多くは観客として落研の練習につきあっていた連中が多かったから、せりふを間違ったことにすぐに気が付いたのだ。
どうするんだろうと皆が耳をそばだてた一瞬の後、川本は「おお、立ち往生してしまうやないか」と締めくくってこの落語を終えた。
みごとに切り返したサゲであった。大爆笑と大きな拍手がいつまでもなりやまなかった。
文化祭のあと川本は、とっさに切り返しのできる人間として一躍人気者になった。
三
しばらくするとすぐに受験の季節がやってきた。聞けば、川本は医学部を志望しているらしい。校内模試では五番以内に入っていたけれど、京大の医学部はぎりぎりらしかった。
入試の結果、川本は京大医学部を落ちた。その頃は一年浪人するのが普通であったから、川本を含め多くの同級生が浪人した。
しかし、川本は次の年も医学部を失敗した。川本は私立大学の工学部に進学したらしかった。その後、川本の噂はきくことはなかった。
四
あれから四十年あまり。お寺巡りをするのを趣味としている私は、京都北部の観光地の寺に立ち寄った。本堂に入ると住職が現れた。私はその顔を見て驚いた。
「川本君……ですか」
「えーと、どなたですか」
「日吉ヶ丘高校の同級生の大山です。確か、竹林亭楽挙」
「ああ、懐かしいな」
「最後の文化祭の『青菜』はいまだに覚えてるで」
「ああ、そうやったな」
「医学部を志望していた川本がなぜ坊さんに」
「医学が人の体を救うとしたら宗教は人の心を救う。それはどちらも大事なことやと気がついたんや。それで大学を出て、修行をして僧侶の資格をとったんや」
「この寺にきたのは」
「ここにきたのは二十年前。無住寺だったので家内と来た」
「そうやったんか。お互いに健康に気をつけてがんばろうな」
そう言って私が本堂から出ようとすると、川本が一枚のパンフレットをくれた。
近くのバス停まで歩いて、パンフレットを見ると『○○寺定例落語会 出演 ○△大学落語研究会・住職 竹林亭楽挙』と印刷されていた。
高校の時、『青菜』で見事な切り返しを見せた川本らしく、彼の人生もまた見事な切り返しで彩られていた。
私は、少し幸せな気持ちになり、最寄りのJRの駅まで歩き始めたのだった。