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二階堂校長の事件簿
「音楽家になりたくて」 作 大山哲生
一
私は二階堂晴久。花散里中学校の校長である。
今日は、中間試験の三日目。つまり今日が最終日である。
1年生は2教科、2年と3年は3教科のテストである。
3年3組の2時間目、音楽のテストである。音楽のペーパーテストというのは珍しいが、実技の苦手な生徒の救済も兼ねている。
突然、職員室に八木教諭の携帯から電話がかかってきた。
「3年3組試験監督の八木ですが、男子が10名いません。テストは予定通りはじめますので、探してもらえますか」
教頭が、この情報を職員に告げたところ、教員数名が校内に散らばっていった。
二
2限目のテストが始まって20分を過ぎたころ、若手の石沢教諭がもどってきた。
「10人とも教室棟の屋上にいました。今、教室に入れてテストを受けさせています」
とのことであった。
すべてのテストの終了後、この10人を会議室に集めて、数人の教員で事情聴取をおこなった」
生徒のひとりはこういった。
「休み時間に3時間目の数学の勉強をしていたら、だれかが『音楽のテストがなくなった。2時間目は自習』と言っていたので屋上で数学の勉強をしようということになったんです」
またある生徒は
「ぼくもそう聞きました。数学は気になっていたので勉強しておこうと思いました。自習といったのは誰かって。それはわかりません」
別の生徒は「ぼくは、西口君あたりが言ったのかなあと思いました」
西口康男は、ピアノがうまく将来は音楽家になりたいと言っていた。進路相談でも、担任には音楽科のある高校を希望すると意思表示していた。
西口康男を呼んで事情を聞いたが、そんなことは言っていないと強く否定したのでそれ以上はわからない。
三
担任は、音楽の山原教諭に西口の成績を聞いてみた。
「西口君は、この間実技で失敗をしてしまったんです。このままでは、音楽科のある高校への進学は難しいですね」
話をまとめるとこうである。西口康男は音楽一家に生まれた。本人はなんとしても音楽科のある高校に受からねばならないところに追い込まれていたのであった。だから、今回の筆記試験は挽回のチャンスであり、本人はここで成績を一気にあげようとおもっていたらしい。
さらに調べると、屋上に行った10人の生徒はいずれも実技の得意な生徒ばかりであった。
西口康男はこの10人の生徒が試験を受けなければ自分の成績順位があがると読んだのではないかと思われた。
ただ、屋上に行った10人の生徒からは西口康男の名は出なかった。
ここでこの事件は行き詰まってしまった。
四
いよいよ、明日は卒業式という季節になった。担任がクラスの生徒と別れを惜しんでいるのか、今日の終わりの会はどのクラスも長い。中には生徒がサプライズで歌を歌うところもある。若い担任に至っては泣いている者もある。
3年3組のある男子が、担任にこう言った。
「あの音楽のテストのことですが、テストがなくなって自習になったと言ったのはぼくと山本君です」
「えっ、あれは君たちだったのか。なんでそういうことを」
「実は・・・頼まれたんです」
「誰に」
「西口君のおばちゃんです」