創作話「海住山寺よもやま話」 作 大山哲生
「博士、来ましたね」
「きちゃったよ。海住山寺」
「かいじゅうせんじっていうんですよね」
「そうだ」
「博士、それにしても登る道がものすごく細かったのでひやひやしました」
「でもね、ぼくの運転がうまいからちゃんとついたよ」
「まあ、そういうことにしておきましょう。ところでこの寺はどういう言われがあるんですか」
「ここはね、天平七年つまり735年に聖武天皇の勅願によって作られたお寺なんだよ」
「古いんですね。博士、五重塔があります」
「正太郎君、この塔は国宝なんだ。端正で美しいだろ」
「そうですね。一層目と五層目の屋根の大きさがあまりかわらないです。すーっと上に伸びた姿がなんとも言えません」
「本当だね。さてお堂に入ってみよう」
「博士、木彫の十一面観音像があります」
「素朴な味わいがあるが、足元のすその折り返しの形につじつまの合わないところがあるので、オリジナルを模した復古像ではないかという説もあるんだ」
「へえー、こういった像をつくる人はそういうところまで気をつけて緻密にしあげているんですね」
「そういうことだ。正太郎君、このお寺には十一面観音像がもうひとつあるんだよ」
「えっ、二つもですか」
「でも、こっちは秋の特別公開のときしか見られないから今日はおあずけだ」
「博士、先日から山城の古寺を回っていますが、十一面観音像が多いように思うのですが」
「ぼくもそう思う。十一面観音像のあるのは観音寺、寿宝寺、禅定寺、海住山寺でふたつ、現光寺、笠置寺となっている。これは多いよ。どうしてだろう」
「人々の信仰の仕方がかわってきたんでしょうか」
「いいところに気がついた。このあたりの十一面観音像がよく作られたのは平安時代の初期頃までが多い。観音信仰というのはざっくり言ってしまうと現世で御利益を得たいという信仰だといえる」
「つまり平安時代初期頃までは、人々は現世利益を求めていた」
「ところが、平安時代も時代が経つと阿弥陀如来像が多くなってくる」
「ということは」
「阿弥陀信仰は、来世利益が中心だと言える。つまり死んでから極楽浄土にいきたいという信仰だ」
「どうして、そういう変化が出たのでしょうか」
「正太郎君、それは末法思想と武士の台頭だ」
「末法って」
「釈迦が亡くなって一定期間過ぎると仏教の教えがなくなってこの世が地獄のようになるという考えだ。それが1052年だった」
「人々は怖がったんでしょうね」
「そうだろうね。世も末、という言葉はここからきている」
「武士の台頭は」
「末法が近づくにつれて地方では武士が台頭し本当に今までの秩序が失われていった。だから貴族たちは大変恐れ、ただひたすら来世利益を願うようになった」
「そこで、十一面観音像は減って、阿弥陀如来像が増えていったんですね」
「そういうことだ。宇治の平等院などはその最たるものだよ」
「なるほど、よくわかりました。博士、見晴台にあがって山城地方を眺めませんか」
「そうしようか」