小学校一、二年の時の担任であったT先生。今でこそ連絡は取れていないにしても、今でも僕はT先生が大好きだった(異性的感情ではなく先生として。)
T先生は、優しくも厳しくもあるおばちゃん先生だったが大好きだった。
二年生の頃音楽の授業で縦笛のテストがあった時の事は今でも鮮明に覚えているし、きっとこれから忘れることはないだろう。
T先生はその時僕に『自信』という大事な事を伝えてくれたからである。
なぜかというと、そのテストの時、教室でみんなの前に立ち、T先生の指揮のもと一人で縦笛を吹くわけだが、さっきにも行った通り僕は赤面症で恥ずかしくて仕方がなかったがちゃんと拭けるように一生懸命だった。
テストといっても教室の皆がやるわけであって実際の所一人一分にも満たない時間なのだがものすごく長く感じたのを覚えている。
テストを終えたのだが、T先生はとても褒めてくれた。節とのつながる所がとても綺麗でもう一度聞きたいとまでいわれた。
傍からしたら、教員職として生徒を褒めて当然だと思われるだろうが、その頃の僕にはとても嬉しかった。
あの頃の僕に勇気があれば、「是非、先生が聞き飽きるまで笛吹きますよ。」と一言気の利いた事でも言っていただろう。
きっとそれからだろう、人前に出ても大分照れが減ったのは。T先生は僕に大きなきっかけをくれた存在で、そんな事もあって僕はT先生が大好きなのだ。
T先生は、優しくも厳しくもあるおばちゃん先生だったが大好きだった。
二年生の頃音楽の授業で縦笛のテストがあった時の事は今でも鮮明に覚えているし、きっとこれから忘れることはないだろう。
T先生はその時僕に『自信』という大事な事を伝えてくれたからである。
なぜかというと、そのテストの時、教室でみんなの前に立ち、T先生の指揮のもと一人で縦笛を吹くわけだが、さっきにも行った通り僕は赤面症で恥ずかしくて仕方がなかったがちゃんと拭けるように一生懸命だった。
テストといっても教室の皆がやるわけであって実際の所一人一分にも満たない時間なのだがものすごく長く感じたのを覚えている。
テストを終えたのだが、T先生はとても褒めてくれた。節とのつながる所がとても綺麗でもう一度聞きたいとまでいわれた。
傍からしたら、教員職として生徒を褒めて当然だと思われるだろうが、その頃の僕にはとても嬉しかった。
あの頃の僕に勇気があれば、「是非、先生が聞き飽きるまで笛吹きますよ。」と一言気の利いた事でも言っていただろう。
きっとそれからだろう、人前に出ても大分照れが減ったのは。T先生は僕に大きなきっかけをくれた存在で、そんな事もあって僕はT先生が大好きなのだ。