周囲を見渡すと、スマホ、スマホ、スマホ…と、明らかにスマホ依存症の人ばかりです。
雑誌『PRESIDENT(プレジデント)』最新号2025年4/4号の「スマホが危ない」という記事を読みました。
スマホがもたらす健康への害、スマホ依存症など読めば読むほど恐ろしい内容ばかりです。
私は通勤時はスマホはカバンの底に入れたきりで出さず、歩きスマホはせず、電車やバスを待ちながらや乗車中はスマホを触ることなく、そもそも出かける時にスマホを持って出るのを忘れていたり、休日は決して触らず放ったらかしだったり…。
朝起きる時の目覚まし時計代わりに使用しているのが主です。
しかも、私は週に4、5日、1〜2時間のJog中はスマホも財布も何も持たない丸腰、強制的に外部とは連絡を取れない時間にしていてなおさらスマホ依存症、スマホが原因の病気とは無縁です。
スマホか、走るか、どちらが健康維持できているかを実感します。
スマホを触る時間があるなら走れ。
昨年秋に約40年ぶりに再会した小学校中学校の時の同級生が再会から4ヶ月後の2月半ばに癌で急逝して1ヶ月近く経った今も私の心は折れたままで「何で?何で?」と自問するばかりです。
亡くなった同級生は休み時間になると、ジョーズに野球選手やサッカー選手のモノマネをしていました。
モノマネが上手いということは観察力が鋭いということ。
そんな同級生は昨年秋の再会時に私の座る姿勢を見て「体幹がしっかりしているなぁ」と褒めてくれました。
小さなことですが、少しでも長く楽に走るために日頃から私が心がけている「姿勢よく座る、歩く、走ること」に気づいてくれたことが嬉しく、今もその言葉が頭に残っています。
54歳。
同級生の早すぎる死に納得できず、走って忘れるしかありません。
私は「少しでも長く楽に走れる方法やフォームはないか?」と考え、出た結論は綺麗なフォームで走るのが最善で、そのためには日頃の立ち姿、歩く姿が綺麗でなければそれができないと気づき、常に拳は胸の高さまで挙げ、肘を後ろに引き、胸を張って背筋と腹筋にとんでもなく力を入れて、視線は遥か前方のやや上を見て歩いています。
先日、私は街中を歩いていると、私のすぐ横を歩いていた外国人観光客に「タノシイ?」と聞かれました。
多分「Happy?」ってことでしょう。
咄嗟のことに私は返事に困って、日本語で「ありがとう」とだけ言いましたが「英語で『寒波襲来で寒いわ、踵はガサガサでひび割れして歩くだけでも痛くて楽しい訳でも幸せでもないわ』と言える訳かないから何と言ったらいいのか?何故楽しそうに見えたのか?」と考えましたが、私が心がけている歩き方で歩くと自然と口角が上って楽しそうな表情に見えたのでしょう。
一方、街中で歩きスマホしている人の表情を観察すると、何の生産性もないゲームをしているからなのか、他人のバラ色のSNSを見たからなのか、うつむき、眉に皺寄せ、苦虫をつぶしたように口角は下がって“へ”の字で、難しい顔して何だか怒っているようで年齢より老けて見えます。
同じ歩くのなら何とモッタイナイことか。
近年の私の毎日のジョギングは1km行って帰ってくる往復を繰り返しです。
景色は変わらず、単調なのがデメリット。
これさえ耐えれば一往復2kmごとに「もう一往復」「もう一往復」・・・と走れ、また、止めたければいつでも止められる気楽さがあります。
私調べですが、2kmのジョギングはおにぎり0.7個分のカロリー消費になります。
寒いから、暑いから、風が強いから…と気分が乗らずでもとりあえず一歩走り出してみて、たとえ1往復2kmで終了してもおにぎり0.7個分消費と思えば、毎日積み重ねたら相当なものです。
走らない理由をあれこれ見つけて何もしないより、大事なのはとりあえず一歩走り出すこと。
私は電車やバスが来るのを待つ間、つま先立ちを繰り返しています。
筋トレになるのと、つま先立ちをしているうちに血流が良くなってふくらはぎから足先まで温もり、姿勢もよくなり、走る時の姿勢にもつながっているような気がします。
さて、つま先立ちを繰り返しながら周囲を見渡すと、ほとんどの人が首から腰を丸くしてスマホをサワサワ。
電車やバスが来て乗り込みながらまだサワサワ。
一心不乱にスマホを触っているので丸くなった自身の姿に気づかないようですが、まるでダンゴムシかエビのよう。
エビかダンゴムシになるのを目指すのなら大事な時間かもしれませんが、何ともったいない時間の使い方でしょうか。
先日、私のラン仲間の一人が足を骨折し、手術して入院中と知りました。
私は『怪我のデパート』と呼ばれるくらい何度も走ることをあきらめるような怪我をしては心が折れ、その度に「こんな時もある。嫌でもそのうちに走れるようになる」と病院のベッドの上でぼんやり過ごしたり、松葉杖をつきながらランナーを眺めたりしながら気持ちを切り替えるようにしました。
怪我から復活してそこそこ走れる今となって当時のことを思い返すと、どんな治療や薬より、時間が一番の治療でした。
漫画『将棋の渡辺くん』の中の登場人物の主人公兼ご本人の将棋棋士渡辺明九段は「ジョギング前に頭の中に詰め将棋の盤面を覚えて走りながら解いている」というエピソードがあります。
ヘボ将棋しか指せない私もジョギング中に脳内に将棋の盤面を広げて走りながら詰め将棋を解く練習をしていますが、2手、3手進んだだけで脳内の盤面で駒がフリーズして足まで止まりそうになり、プロ棋士のように走りながら詰め将棋を簡単に解く技など成せません。
それでも、走っている間は脳だけでなく、嗅覚が研ぎ澄まされ、家々から様々な夕飯の香りを感じ、それだけで腹一杯になります。
走ることは足を研ぎ澄ますのはもちろん、五感を研ぎ澄ますことにも有効なようです。
1年前、私がJogしていると、シルバーカーを押して買い物に行く見た目90歳前後の見知らぬ女性に「高校生?何か大会でもあるの?」と声をかけられて以来、Jog中に出会うと「元気やねぇ。感心、感心」と声をかけて下さったり、私も「転ばないよう足元に気をつけて買い物に行って下さいね」と声をかけたり、立ち止まって他愛もない話をしたりです。
数日前の夕方、私が走り出す前に高齢女性が「庭で採れたみかんです」と家まで持って来て下さり、私に声をかけられることをとても喜んでおられました。
記録を出すでもない、金メダルをもらうでもない何一つ感動を与えることのない人の役に立たない54歳のオッサンの走りでもほんの少しだけ世の中の役に立っていることがあるようです。
「ゆっくり走れば速く走れる」という説がありますが、走る話でなく、歩く速度について。
普段の私の歩く速さはゆっくりを意識しているので歩いている人のほとんどに追い越されます。
歩く時は太腿とふくらはぎより、腹筋と背筋に力を入れて、階段の上り下りはエスカレーターを使わず「大腿四頭筋が喜んで震えている!」というくらいゆっくりです。
その成果が日頃のJogに出ているかどうかわかりませんが、楽してエスカレーターやエレベーターを利用している人、首と背中を丸めてスマホ見ながら歩いている人と比べたら、「何か成果があるはず」と信じています。
これから走り出そうとしている方へ。
まずはすべての筋肉を意識してゆっくり歩くことからはじめませんか?
私は走れば走るほど怪我が増えたのでどこかのマラソン大会に出場することを目指して練習することを辞め、自身の健康を維持することを走る目的にし、雨の日以外はほぼ毎日走り、適度な筋トレも続けているおかげでしょうか、54才の今も20才台後半の時と体型、肌艶変わらず、風邪、インフルエンザ以外の病気知らず、健康な方です。
そんな私でも「寒いから」とか「足が痛いような気がするから」など怠け心であれこれ理由を作って走りたくない気分になる日があります。
そんな日はメタボ体型の人がだらしない歩き方、だらしない座り方、今にもパンクしそうな自転車に乗っている姿、ぽっこり出たお腹を抱えた立ち姿・・・を見て「こうなってはイカン!やっぱり今日も走ろう」と走る気持ちを高め、走るエネルギーに変えます。
不謹慎ですが、メタボの人に感謝です。
ありがとう。
先日、私が垂水健康公園で視覚障がい者ランナーの伴走をしている時にスマホ片手の男子中学生が運転する自転車が私の左側に突っ込んで来ました。
気づいた私は咄嗟に左手で自転車を制止し、男子中学生にきつく注意をしました。
公園内には「自転車で人を追い越す時は注意して」などの立て看板もあって自転車禁止ではありませんから注意したのはスマホを触りながらの自転車運転。
事が起きたら男子中学生に責任がとれるのか?
そんなことがあった翌日。
雨上がりの朝の通勤時、某駅で階段を降りていたら、前方の女子大生が右手でスマホを触りながら左手に持った傘は真後ろの私の足に引っかかり、私は階段から転落しそうになりました。
すぐさま女子大を追いかけて注意しましたが、女子大生はイヤホンも外さず「はぁ?私の何が悪い?」と言わんばかりの態度。
街中で歩きながらスマホ、自転車に乗りながらスマホ、スマホ、スマホに侵された小中高生、大学生達が悪いのか?
いや、そうではありません。
街中でも歩きながら、自転車に乗りながら、車を運転しながらのながらスマホの親、学校の先生、社会人を見た若者が真似しただけではないでしょうか?
街中、トイレ、風呂、食事中・・・と、気がつかないうちに手にスマホを持って画面を見る、トイレにも持ち込んだスマホを食事中でも触る、何の生産性もないゲームにのめり込んで際限なく課金する、必要のないSNSに常時つながる等、脳がスマホに侵され、支配されて、何が清潔化不潔かもわからなくなり、自分で考えて判断する力を失ったスマホ依存症だと私は思います。
街中を歩いている時くらいはスマホを手放しませんか?
スマホを見ている時、それはどこにいても社会とのつながりを拒絶して家の中にいるのと同じ。
人間としてもったいない時間の使い方です。
そんなに大事なスマホなら一日中家の押し入れに閉じ籠って触っていたらいかがでしょうか?
誰にも迷惑かけません。
毎日の仕事帰り、電車内で必ずおつまみを食べながら缶ビールを飲んでいる人を見かけます。
わずか20分あまりの乗車時間で4本の缶ビール(第三のビール)を飲み干し、次第に目をうつろにさせながら私が降りる駅と同じ駅で降りる時には既に目は座って酔っぱらっていて足元はフラフラ。
同じ飲むのなら家に着いて落ち着いてプレミアムなビールを1本だけ飲めばよいのに家まで我慢できないのか、それともアルコール依存症なのか?
おそらく後者でしょう。
帰り道、私はそんな人を観察しながら「今日は何km走ろう?何分走ろう?」と考えているので、アルコール依存症の人からすれば私はジョギング依存症かもしれません。
同じ依存症になるならジョギング依存症の方が健康的で得ではないでしょうか。
私はへなちょこランナーなので走りば走るほど肉離れ、アキレス腱断裂、腰椎椎間板ヘルニア、ジョギング中に転倒して擦り傷や手指や肩甲骨の骨折、脇腹の打撲等の怪我ばかりで、人様に私の走り方を教えることはないのですが、先日、私がラン歴5、6年の男性ブラインドランナーを伴走していた時に私の走るフォームを伝授しました。
すると、男性ブラインドランナーは「すごい!踵着地と違ってスピードが上がって最後まで軽く走れると気づきました」ととても驚かれました。
私の走るフォームや練習方法が常に大きな怪我と隣り合わせなので正しいとは思いませんが、「気づき」は人を進歩させるかも。
私の祖父(享年97才)の教え。
酒は多く飲めば損多し。
私も酒を一滴も飲めない祖父の血を引いているのか、年間でも片手で数えられるほどの飲酒回数と少ない酒量で、たとえ酒の席でも飲み過ぎることはなく、得も損もしているかどうかはわかりませんが、私の周囲だけでも酒の飲み過ぎで損をしている人、損どころか身を滅ぼしている人が目につくようになりました。
私は3週間ほど前は夜のジョギング中に転倒し、手から肘、膝の擦過傷と胸を強打し、走るといまだに胸の痛みが残っています。
走り過ぎて健康を通り越し、怪我多しです。
「52歳・朝原宣治さんが100mで10秒93」というネット記事を見て、朝原さんより1歳だけ年上のへなちょこランナーの私も朝原さんにはほど遠いですが、毎日の日課にしているジョギングで少しだけ無理しながら20歳代後半から30歳代前半の絶好調で走っていた時に負けず劣らずの体力を維持して熱帯夜の暑い日も真冬の寒風吹きすさぶ寒い日も走り続けています。
そのおかげか、見知らぬ老人から「高校生?」と見間違われることはしばしばで、衰えは最小限で食い止められているようです。
しかし、この夏の猛烈な暑さで疲れの取れぬまま夜ジョギングをしていると、足が上がらず、微かな歩道のつなぎ目の段差でつまずいて派手に転倒して手、肘、膝の擦過傷と胸部を強打する怪我をしました。
「こんな時、本物の高校生なら?」と考えると、本物の高校生はそもそも足が上がっているから微かな段差につまずかないのでしょう。
怪我をしては元も子もありません。
走って怪我をする度に思います。
何事もほとほどが大切。