○何ごとも 縁あらばこそ 冬日和 楽翁
≪「今年の漢字」はやっぱり「絆」──清水寺では、森清範貫主が特大の和紙に筆で「絆」と書き上げた 2011年の世相を表す「今年の漢字」に「絆」が選ばれ、清水寺で12日、森清範(せいはん)貫主が特大の和紙に揮毫した。今年は過去最多だった昨年より21万票以上多い49万6997票が集まり、「絆」が6万1453票を得た。東日本大震災や台風12号など相次いだ災害で再認識された家族や仲間、地域とのつながりの大切さや、サッカー女子ワールドカップ(W杯)で優勝した「なでしこジャパン」のチームワークの良さなどを理由に挙げた人が多かった。…≫(12/12 読売新聞)
∇漢和辞典を引いてみると、「絆」(紲)は、もと/\、≪糸と、音符半(ひく意)とから成り、牛馬などをつなぐ「きずな」の意を表す。≫(「新字源」)、≪すべて紐状のもので束縛すること──馬の足をつなぐひも。≫(「字通」)とある。古代中国中国の「知の百科」である「淮南子」(俶真訓篇)に曰く、≪濁りきった世の中に身を処しながら、道が行なわれないのを責めるのは、駿馬を両絆して(駿馬の両足を縛って)、千里を走ることを求めるようなものだ≫と。それが現代の国語辞典になると、その意に加えて、≪ 家族・友人などの結びつきを、離れがたくつなぎとめているもの。ほだし。≫(「大辞林」)≪人と人との断つことのできないつながり。離れがたい結びつき。≫(「大辞泉」)≪断つにしのびない恩愛。離れがたい情実。ほだし。≫(「広辞苑」)となる。即ち、「離れ難く」「断つことのできない」「断つにしのびない」結びつき・恩愛を指す。
∇しかも、「絆」は、≪東日本大震災や台風12号など相次いだ災害で再認識された家族や仲間、地域とのつながりの大切さや、サッカー女子ワールドカップ(W杯)で優勝した「なでしこジャパン」のチームワークの良さなどを理由に挙げた人≫の気持に反して、本来暗いイメージをもっている。夏目漱石と同年で、漱石が講師だった時に教授をしていた国文学者・芳賀矢一の名著「類語の辞典」には、「絆」→「ほだし」を見よ、とあり、「ほだし」には、≪ひかされて自由を束縛さる物事。浮世の─、心の─(わづらい)、自由の─(桎梏)、妻子などのために起こる、足手まといの─≫等と出る。しがらみ、足手まとい、不自由なのが「絆」の本来の意であった。「平家物語」(巻10─維盛入水)に、≪妻や子というものは、限りもない遠い昔から人間を迷わせて、生死がある世界に流転させて極楽にいかせない絆(束縛)となるのであるから、仏は、妻子への愛情を厳しく禁じるのである。云々≫とある。「絆」の深まりは、解脱・悟りには寧ろ禁物なのである。
∇現代国語辞典で最も詳しくかつ用例の多いのが「新明解国語辞典」だ。曰く、≪①家族相互の間にごく自然に生じる愛着の念や、親しく交わっている人同士の間に生じる断ち難い一体感。「△親子(夫婦・兄弟の絆/友好の絆/師弟の間に固い絆がそだっていた」②何らかのきっかけで生じた、今まで比較的疎遠であった者同士の必然的な結びつき。「学校と家庭を結ぶ絆/現代のペルー人とその祖先との絆を深める。/日欧間の絆〔=修好〕を深める/平和への絆〔=連帯〕を強める」③元来平等なるべき人間を、理由なく束縛し、分け隔てするもの。階級意識や差別意識など。「心の絆〔=先入観。謬見〕を解いてくれ」〔③は、もと誤用に基づく〕。≪ごく自然に生じる愛着の念≫や、≪比較的疎遠であった者同士の必然的な結びつき≫、≪修好≫≪連帯(感)≫などの意味で「絆」が生まれたら素晴らしいことだなと思う。「頑張れ」という励ましの言葉同様、「絆」という言葉も、「自然体」が一番いい。「頑張り」過ぎたり、無理に「絆」を深めようとすると、却って堅苦しい、束縛じみたものになって、結局煩わしくなってしまう。ダジャレではないが、「絆」の文字を分解して、「糸で半分縛るくらいの結びつき」でいいのだろう。
≪「今年の漢字」はやっぱり「絆」──清水寺では、森清範貫主が特大の和紙に筆で「絆」と書き上げた 2011年の世相を表す「今年の漢字」に「絆」が選ばれ、清水寺で12日、森清範(せいはん)貫主が特大の和紙に揮毫した。今年は過去最多だった昨年より21万票以上多い49万6997票が集まり、「絆」が6万1453票を得た。東日本大震災や台風12号など相次いだ災害で再認識された家族や仲間、地域とのつながりの大切さや、サッカー女子ワールドカップ(W杯)で優勝した「なでしこジャパン」のチームワークの良さなどを理由に挙げた人が多かった。…≫(12/12 読売新聞)
∇漢和辞典を引いてみると、「絆」(紲)は、もと/\、≪糸と、音符半(ひく意)とから成り、牛馬などをつなぐ「きずな」の意を表す。≫(「新字源」)、≪すべて紐状のもので束縛すること──馬の足をつなぐひも。≫(「字通」)とある。古代中国中国の「知の百科」である「淮南子」(俶真訓篇)に曰く、≪濁りきった世の中に身を処しながら、道が行なわれないのを責めるのは、駿馬を両絆して(駿馬の両足を縛って)、千里を走ることを求めるようなものだ≫と。それが現代の国語辞典になると、その意に加えて、≪ 家族・友人などの結びつきを、離れがたくつなぎとめているもの。ほだし。≫(「大辞林」)≪人と人との断つことのできないつながり。離れがたい結びつき。≫(「大辞泉」)≪断つにしのびない恩愛。離れがたい情実。ほだし。≫(「広辞苑」)となる。即ち、「離れ難く」「断つことのできない」「断つにしのびない」結びつき・恩愛を指す。
∇しかも、「絆」は、≪東日本大震災や台風12号など相次いだ災害で再認識された家族や仲間、地域とのつながりの大切さや、サッカー女子ワールドカップ(W杯)で優勝した「なでしこジャパン」のチームワークの良さなどを理由に挙げた人≫の気持に反して、本来暗いイメージをもっている。夏目漱石と同年で、漱石が講師だった時に教授をしていた国文学者・芳賀矢一の名著「類語の辞典」には、「絆」→「ほだし」を見よ、とあり、「ほだし」には、≪ひかされて自由を束縛さる物事。浮世の─、心の─(わづらい)、自由の─(桎梏)、妻子などのために起こる、足手まといの─≫等と出る。しがらみ、足手まとい、不自由なのが「絆」の本来の意であった。「平家物語」(巻10─維盛入水)に、≪妻や子というものは、限りもない遠い昔から人間を迷わせて、生死がある世界に流転させて極楽にいかせない絆(束縛)となるのであるから、仏は、妻子への愛情を厳しく禁じるのである。云々≫とある。「絆」の深まりは、解脱・悟りには寧ろ禁物なのである。
∇現代国語辞典で最も詳しくかつ用例の多いのが「新明解国語辞典」だ。曰く、≪①家族相互の間にごく自然に生じる愛着の念や、親しく交わっている人同士の間に生じる断ち難い一体感。「△親子(夫婦・兄弟の絆/友好の絆/師弟の間に固い絆がそだっていた」②何らかのきっかけで生じた、今まで比較的疎遠であった者同士の必然的な結びつき。「学校と家庭を結ぶ絆/現代のペルー人とその祖先との絆を深める。/日欧間の絆〔=修好〕を深める/平和への絆〔=連帯〕を強める」③元来平等なるべき人間を、理由なく束縛し、分け隔てするもの。階級意識や差別意識など。「心の絆〔=先入観。謬見〕を解いてくれ」〔③は、もと誤用に基づく〕。≪ごく自然に生じる愛着の念≫や、≪比較的疎遠であった者同士の必然的な結びつき≫、≪修好≫≪連帯(感)≫などの意味で「絆」が生まれたら素晴らしいことだなと思う。「頑張れ」という励ましの言葉同様、「絆」という言葉も、「自然体」が一番いい。「頑張り」過ぎたり、無理に「絆」を深めようとすると、却って堅苦しい、束縛じみたものになって、結局煩わしくなってしまう。ダジャレではないが、「絆」の文字を分解して、「糸で半分縛るくらいの結びつき」でいいのだろう。
災害が起きたらまず何が一番大事か?
それは自分の身を守ることが大事です。
まず自分の身の安全を確保してから周りの人を守りましょう。
心と体が健全でなければいい仕事はできません。
健康を確保するため労働安全衛生法があります。
組織のトップは職員が心も体も健康で安心して働けるため安全配慮義務が必要です。
日頃から心と体のリカバリーが必要となります。
「ヒヤリハットの法則」といって非常に小さなミスが重なり大きな事故につながることがあります。
これを防ぐためには「5S(整理・整頓・清掃・清潔・躾)」、「KY(危険予知)、KYT(危険予知訓練)、KYK(危険予知活動)」が大事です。
災害とは災害対策基本法に定められたもので、局所的に、地域で処理能力を超え、他の地域からの救援を必要とする、多数の被害と被害者の発生する非常事態の事です。
「Disaster」悪い星回りなどと言われています。
災害の種類としては自然災害(広域災害)、人為的災害(局所災害)、特殊災害(NBC災害 核・生物・科学による災害=今回の原発事故、オウム真理教による地下鉄サリン事件等)が今日大きな問題となっています。
今回の東日本大震災の特徴は地震・津波・原発が同時に起こったトリプル災害であったということ。
広域性・甚大性・複合性を含んだ災害からはやくリカバリーしなければなりません。そのためにはいち早い復旧・復興が必要です。
防災とはなにか?災害を出さないことです。
しかし今回の震災においては災害を防ぐことができませんでした。これを教訓として「減災」という考え方を提唱しています。これは被害を最小化することに軸足をおき、地域にあった防災を行うことです。
視点はまず一人一人の命を守ること。「悲観的に想定し、楽観的に準備」することです。30日後に備えつつ、30年後にも備える。このことによって防災の「負のスパイラル」を断ち切ることです。
災害の及ぼす影響としては社会への影響、生活(職場)への影響、そして今回の震災ではトラウマ現象による恐怖・絶望感・無力感など、精神面への影響が精神的苦痛として国民に重くのしかかっています。
被害の拡大要因としては過去の経験による「予測の甘さ」や、偏見が正常化してしまう「自分は大丈夫という対応の甘さ」、物事に慣れてしまう「オオカミ少年効果」が挙げられます。
地震行動の中で「3.3.3の原則」というものがあります。
3分間は自分の身を守る、3時間で安全な場所に避難する、3日間で初期の避難所生活を切り抜ける、3週間3ケ月で仮設住宅へ、復興のまちづくりを目指すという原則です。
職場の防災対策における避難・誘導の留意点として「オ・カ・シ・モ」の合言葉があります。「オ:押さない、カ:駈け出さない、シ:喋らない、モ:戻らない」がとても重要な合言葉となります。
また、職場防災の基本的な考え方として1.生命の安全確保、2.二次災害の防止、3.地域貢献・地域との共生、4.事業継続が重要となってきます。
これらの対策が日頃から行われているか?これを「BCP/BCM(事業継続管理)」といいます。
職場の防災対策がツームストン・セーフティ(墓石型の安全対策)にならないようにしなければいけません。
つまり現実的な対策を行い、後の祭にならないようにしなければいけません。
災害に備えてすべきことは、住民一人ひとり、そして地域で災害に備え地域での災害犠牲者ゼロを目指すことです。
広域災害から身を守るため防災コミュニティー(地域の絆づくり)の推進が必要となります。
絆は人の和、心の和、地域の輪。相手のために何をできるのか思い続けること、人の役に立つこと、そして自分の存在価値を知ることです。
安心安全に慣れて忘災とならないように、減災へ挑戦してください。
東日本大震災から一年以上が経った今年5月の連休に岩手、宮城、福島、茨城の被災地に足を運びました。現在なお、どの地域も復興まではほど遠く、疲弊した状態が続いている現状を目の当たりにした時、目頭が熱くなりました。
「絆」という言葉が巷に氾濫していますが、この「絆」という言葉は、マスコミの造語であることが分かりました。被災者の方々にお話を伺うと、マスコミの方々が、「絆」という言葉を強調するようにと言われたそうです。つまり、マスコミ側は報道をしてあげるという「上から目線」の態度をとっているように感じました。あくまでも、「主」は、被災者の方々であり、マスコミを含め被災地に入る私達は、「従」であることを強く肝に銘じて、決して忘れてはならないとことを肌身で実感した次第です。
被災地の復興を心から願うのであるならば、真の「絆」を目指して、国民一人一人が、自分達が出来ことに真摯に向き合って頑張ることではないでしょうか。小職も「減災社会」の構築のために微力ながらお手伝いをさせて頂きます。
今後ともご指導ご鞭撻宜しくお願い致します。
危機管理アドバイザー尾下義男拝
防災危機管理アドバイザーの尾下と申します。
「減災対策」は危機の多極分散にある。
防災対策は,ハード・ソフトの様々な対策を組み合わせて被害を最小化することにあります。しかし,「減災」はその明確な目標や個別の対策との関係等について,必ずしも十分な社会的合意が形成されている訳ではありません。
「減災」に向けて実効ある取組を進めるためには,行政のみならず,住民,企業,ボランティア,自治組織等の地域の様々な主体が地域の防災対策に積極的に参画,協働する取組を強化し,社会の総力をあげて地域の防災力の向上を図っていくことが必要です。
このため「自助」,「共助」の理念の明確化とともに,ボランティアの活動環境等の整備のための具体的方策,企業の事業継続計画(BCP)・家族継続計画(FCP)・地域継続計画(DCP)の策定及び改善を促進するための法的位置付けや具体的な支援措置の充実等について検討していくことが必要です。
国は、今後想定される大規模自然災害として、南海トラフの巨大地震とともに、首都直下型地震や富士山等の火山噴火が挙げられており、東京圏の中枢機能のバックアップに関する議論が進められていますが,危機管理の面からも、我が国が国として「生き延びる」ために、日本の機能の一極集中を是正し、多極分散型社会への転換を図る議論を、真剣に取り組むべきです。尾下拝