数日前に青山学園高等部の入学試験に“ひめゆり部隊の話は退屈だ”という英語問題がでたということで戦争体験バカにしたとんでもない行為であると声を上げる人々がいるというニュースを目にした。文章の前後を省きある一部だけを取り上げ極端な反応する連中には必ず情報を操作しようとする偏向した意図があるというのが私の考え方なので、少し推移を見守りつつこの英文の全文を探していたところ、見つけてくださった方がいた。ここにその英文の一部要旨、肝心の部分は全訳を掲載する: (要旨)戦後60年が過ぎ、後20年もすれば戦争を直接経験した人等から戦争体験を聞くことができなくなるがこの大切な経験を残し二度と間違いを起こさないためにどのような形でこの経験を次の世代の伝えればよいのだろうか?ある日TVで戦争の記録番組を放送していたので見ていると兵士の無残な死体などが写り、こわくて見ていられなくなってチャンネルを代えてしまった。あまりにも無残な映像などを見せると興味深い番組でも自分のように見なくなってしまう人が多いのではないだろうか?と思っていたときその番組を支持するお年寄りからの手紙を読んだ。“写真を見せてくれてありがとう、言葉ではもう直ぐ直接伝えられなくなることも写真でつたえられるのだから、真実を見せることを恐れるべきではない”とそこには書いてあった。その手紙を読んだ後私は高校の沖縄就学旅行を思い出した。最初に戦時のままに残された防空壕を見学に行った。口数の少ないガイドに案内され、はじめは都会から来た子供等にはちょうどいい遊び場のように見えた防空壕で騒いでいた。この中でキャンプしたら面白いねという子、滑って転んで爆笑を誘う子、そんな中少しづつ電気が消され最後のあかりが消されたときに防空壕の中は真っ暗闇になった。そしてガイドが言った“これが戦争です。私たちがただひとつこの中で望んだのは生き残ることです”もう誰も何も言わなく、いえなくなり当然笑い声も無くなった。やっと外にでられ神に感謝するような気持ちになっているとき、泣いている女の子がいても驚かなかった。口数の少ないガイドだったが、我々にはその経験自体がどのような意味を持つのかを理解した。そしてなぜガイドの口数が少なかったのかも理解できた。(ここから全訳)その後ひめゆり記念公園に行った。そろそろ壕のことを忘れかけてはいたが、もっとショッキングな話がこの後あるのではないかと恐れ我々は無口になっていた。確かにひめゆり部隊の生き残りのお年寄りが話す内容は衝撃的で戦争のイメージをよく伝えていた。しかし本当のことを言えばそれは退屈で、私は彼女の話に疲れてきた。彼女が話せば話すほどに壕で受けた強い印象は薄れていった。彼女がその話をいろいろな機会に何度も話しており、とても上手になっているのがわかった。彼女の話はまるで母親が小さい子供にするおやすみの時のお話のようにやさしく聞こえた。 もちろん幾人かの友人はその話に強く感動を受けた。だから彼女の話がまったく意味のないものであったとはいうべきではない。真実や戦争の経験を次の世代に渡すことは大切な仕事である。しかしいかにして?何が一番よい方法なのだろうか? もちろん言葉は一番はっきりとしている方法ではある。言葉の持つ力は強い。でも問題はどのようにそれを受けてが理解するかである。もし聞き手が話し手の思想を理解しなければよい話もただの言葉の羅列になってしまう。またもうひとつの問題は話し手の意見が強すぎる時であり、それはその話自体に違った意味を与えてしまうことがある。この夏中国で行われたサッカーの試合を覚えているだろうか?多くの中国人が日本チームにブーイングをした。多分その中の多くの人が親から戦争の話を聞き日本に対する考えを作り上げたのであろう。もちろん彼等が親から聞いた情報が間違っているとはいうべきではない、しかし親たちは彼等にまさに何をどのように伝えたのだろうか? (ここから要旨)戦争を第一次的に体験した人たちからその話を聞く機会は近い将来なくなるが直接のことばが無くともそのメッセージを伝えることは可能である。皆さんが青山学院の高校生になると長崎に行き、原爆体験者のお話を聞く。そのとき皆さんはどんな思いをもたれるのだろうか? 以上。皆さんはこの文章が大きな問題として取り上げられるほどの内容だとお考えになりますか?
本日は昼過ぎから一日ザ・デイ・オブ・マイケルになった。ようやく無罪放免お疲れ様でしたといいたい。判決文が読まれ始めるとオフィスで仕事をしている私の携帯にメイル着信メッセージが次々と届いた。“マイク イズ フリー”米国民の多くはこの判決に賛成していない。しかし黒人社会ははっきりとこの判決を支持した。愚娘からは電話で“今夜どうやってお祝いする?”マイケルが奇人変人でかなり危ないのは黒人社会でも周知のことだからこそ、多くが沈黙を守っていたが判決が出てみれば喜びの歓声を上げざる得ないのである(ヒーヒー!!)