志の教育

バッカーズ九州寺子屋塾長の気ままなひとりごと。

レポートの大変さに思うこと

2024-09-18 15:16:37 | 日記
バッカーズ寺子屋の学びは、自分の力でつかみ取っていくものであり、時間がかかるものでもあります。まだ、今回は第5講座ぐらいですが、変化は少しずつ生まれてくるものです。最近は、How toの「こうしたら、こうなる式の、教育と称するもの」が流行っています。しかし、人間というものは、そんなに単純な存在ではないと私は思います。私は、教育を単純なものと考えて、人間を機械の部品か何かのように扱うのは好みません。また、すぐにわかることを良しとする気もありません。簡単にわかることは、簡単に役に立たなくなるような代物でしかないからです。ただ、難解でも本質的なことを、わかりやすく伝えようとは思います。

レポートを書くのも大変だと思います。「聴いていないから書けない」ということを、まずは体感する必要がありますが、そのためには、書けないことを痛感するしかありません。そして、自分の力で這い上がってくるしかありません。

ここで親が手伝えば、子どもの成長の機会は失われていきます。しかし、それは仕方の無いことです。自らが選択されたことですから、私の知るところではありません。

成長のためには、何度かの失敗を経験し、辛い思いをするしかないのです。また、そんなことをくぐり抜けずに、要領よくやることに、それほど大きな教育的価値があるとも思いません。

バッカーズ寺子屋での学びの結果は、一年後には、少しだけはわかっていただけるだろうと思います。そして、更には、5年後、10年後、20年後に、もしかしたら、その価値をもっとわかっていただけるかもしれません。その途中においては、理解されないことの方が多いとも思っていますが、それは仕方の無いことです。

一人一人の成長は、子どもたち自身の努力の賜であるし、ご両親様の薫陶の賜なのであって、私の知ったこっちゃありません。私はいつもそう思っています。皆さんの成長を心から喜びつつ・・・。(木村貴志)
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テーブルマナー研修

2024-09-18 02:06:54 | 日記
先日、洋食のマナーの研修をしてきました。本来、友に食卓を囲む人に対して不快な思いを与えず、みんなで食事を楽しむためのテーブルマナーですが、どうしてもマナー研修となると緊張してしまい、「無言の行」みたいになってしまいます。まぁ、それもご愛敬と言えばご愛敬です。

この研修で私は、「マナーを知らないと恥をかくから・・・」と言う大人になるな、「マナーは相手を不快な思いにさせないためのもの」という考えを身につけよと、子どもたちには繰り返し言い続けています。

やはりきちんとした場所で、きちんと食事をいただくのは良いものです。「きちんとした」という意味は、絶えず目配り気配りを怠らず、相手に対する配慮があふれているということです。

日本の社会は豊かになりました。しかし、和食のマナーも洋食のマナーも、すっかり崩れてきています。ケとハレ。日常と非日常を使い分けて、暮らしを弾力化させてきたのが先人たちの智惠です。私もそうした智惠が受け継がれるように教育と向き合いたいと思います。

自分の代で、受け継がれてきたものを絶やさないようにしたいものだと思います。


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一つ一つを大切に

2024-09-11 20:58:45 | 日記
些細なことでも返信をしてくださる方、行動を起こして下さる方がいらっしゃいます。業務のメールではなく、返さなくても良い、私からのお礼に対するお礼であったり、飲み会の中で話に出た、ちょっとした約束とも言えないような話です。私より社会的にもはるかに上の方々が、それをきちんと実行されるところに頭が下がります。おそらく、そうした些事をないがしろにしないから、大きな社会的信頼を得て来られたのだろうと思います。
若い頃にはそうした事の大切さがよくわかりませんでした。しかし、少しずつ、私にもそうした一つ一つの大切さがわかってきました。
今の私の仕事メールはすごい数で、私には秘書もいませんから、うまくいかないことが多々あります。それでも丁寧に誠実に頑張ろうと思います。
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三奪の法

2024-09-10 21:20:01 | 日記
江戸時代、大分県の天領日田には、咸宜園という学び舎がありました。広瀬淡窓という素晴らしい人物が教育をしていたところです。その咸宜園には、「三奪の法」というものがありました。「三奪の法」とは、入門時に年齢・学歴・身分の3つを奪い、横一線に並ばせ、その後は塾内における勉学の状況で優劣が決まるというやり方でした。

バッカーズ寺子屋も、学校も学年もバラバラの10歳から15歳までの子どもたちを対象にしたものですから、この「三奪」の精神を大切にしています。これはとても大切なことです。

ただし、不幸にして同じ学校の生徒が複数名入塾した場合、その子たちが、もたれ合うのが好きな幼稚な精神の持ち主たちの場合、全体の空気にあまり良くない影響を与えていきます。咸宜園のように「月旦評」という毎月の人物評価や成績発表などをする仕組みがあれば、その厳しい空気に押されていくと思いますが、残念ながらそうしたものはバッカーズ寺子屋には無いからなおさらのことです。

あくまでも「個」としての自分を高めていくことが、バッカーズ寺子屋が大切にしていることです。切磋琢磨し、自分の足で堂々と立ち、歩んでいく精神と、今までの知り合いともたれ合う精神とは対極にあるものだという自覚はいずれ芽生えていくと思いますが、学ぶ期間には限りがありますから、やはり、ロスをなくしていきたいと私は考えています。

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くすり博物館に思う

2024-09-09 10:07:02 | 日記
昨日は、鳥栖にある「中富記念くすり博物館」に行ってきました。病と闘い、人々を救うために、意訳の開発の歴史と、多くの人々の活躍を改めて学ぶことが出来ました。そして、それは神の域に達するような人々の歩みでもありました。

神農という存在があります。辞書の一つにはこのように書かれています。「中国古代神話上の帝王。三皇の一。人身で牛首。農耕神と医薬神の性格をもち、百草の性質を調べるためにみずからなめたと伝えられる。日本でも、医者や商人の信仰の対象となった。炎帝神農氏。」

牛の角を持ち、人間の姿をしている神農は、来る日も来る日も、草を食べ続け、どれが毒であり薬であるかを見分け続けました。毒に当たっても、翌日にはまた草を食べ続けるという不思議な存在です。これは、多くの人たちの経験を「神農」として象徴的に考えたのではないかと私は思います。毒に当たって犠牲になった人もいたのでしょう。そして、人類全体の叡智として、人間は毒と薬を見分ける目を持ってきたのだと思います。一人では決して成し遂げられない大きな成果です。

AIが発達しSNSが普及し、集合知とも言うべきものを活用できる時代にはなってきました。しかし、人間のレベルが低いままであれば、偽情報を拡散させたり、ディープフェイクのようなものを使って詐欺を働いたりと、結局、人類の幸せには繋がりません。

私は、こんな時代だからこそ、人間の力を超えた存在に対する敬虔さを忘れてはならないのだと思います。


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