雲の上のあしあと

蓮の葉は空を向く
  花に羨望しているのだ
蓮の葉は底を向く
  土に懐郷しているのだ
~創作小説蒐~

残された者

2008年11月21日 | インにヨウに、
 ある日の仕事帰り。長い影に引っ張られるように、ふと足が止まった。同時に、足元で悲鳴を上げていたモノも沈黙する。何時もなら素通りする、小さな橋だ。別に錆びた鉄骨に対して労りとか、そんな気持ちは毛頭無いが、視界の隅に、気に留まるものがあった。
 頭を下げる。鼻の痛みが、マフラーのおかげで楽になった。見下ろす先には、寒くなって草が萎び、遊ぶ子供も減って、すっかり侘しくなった川辺がある。
 そしてその風景に溶け込むように、何か白くて小さいものが、浮いていた。
 普段なら、気にせずに通り過ぎていただろう。いや、違うな。その浮いているのが、普通の奴だったなら、だ。
 妙に気になった。後ろ髪が引かれる訳でもなく、何か放っておけない雰囲気があった。母性とか、そんなものではないとは思う。俺のガラじゃない。
「いわゆる、気紛れって奴かねぇ……」
 そんなことを呟きながら、俺は川へ下りて行った。またかよ、と橋が愚痴を再開し始める。何か危うい行動を取っている気がするが、危機管理能力はわりと鍛えられた筈だから、大丈夫だろう。多分。

 川辺まで下ると、ようやくそいつの姿が分かって来た。おさげの、幼い少女だ。歳は十歳程度か。紅く染まる水面に立ち、無表情で少し俯き気味に前を見つめている。無論、影は無い。しっかし、こんなクソ寒い時期にワンピース一枚かよ。見てるこっちが寒いぜ。
 俺はそいつに何をする訳でも無く、近くの適当な階段に腰を下ろした。というより、俺に出来ることって何だろうな。
 いや、ちょっと待て。俺はどうして何かやろうと思ってるんだ? 見ず知らずの相手――それもガキの幽霊相手に。三上に感化でもしたのか? 自分でもよく分からない。
 そんな葛藤もどきをしている俺の前で、その幽霊は全く動かなかった。俺を見るなんてこともせず、時が止まったように風景に固定されている。例えばそれが大人で、あるいはある程度の人間味があれば、俺は立ち止まらなかったように思う。要するに、
「ガキが独りでしがみ付いてるなんて、気に食わねぇんだよな」
 その面だって、何かむかつくんだよ。もっと寒そうにしたらどうだ。悲しいなら泣けよ。腹が立つなら怒れよ。別に、大人しいってのは構わない。だがな。
「ならせめて、笑ってろよ。つまんねぇだろ」
 クソ、俺は幽霊相手に何言ってんだろうな。周りから見れば単なる独り言だ。平たく言えば不審者だ。まぁ時期が時期だけあって、誰も居ない訳だが。
 あぁもう、こうなりゃヤケだ。ちょうどお誂え向きの古臭い石橋があり、俺はそれを渡ってその幽霊に近付いて行った。川のせせらぎが一層寒く感じさせる。余計に、むしゃくしゃした。何で、こんなところに突っ立ってるんだよ。体感温度は無いようなものかも知れないが、それでもな。
「なぁ。何してんだよ、そんなとこで?」
 顔を寄せるが、そいつの視界には入っていないようだった。一応その目線の先へ振り返って確認してみるが、川の真中に雑草が生えているだけで、何かがありそうには思えなかった。なら、こいつは一体何を考えて、何を見ているんだ。気になるじゃねぇか。
「……ちっ」
 遣る瀬無さに舌打する。感情を見せないそいつにやきもきしながら、俺はマフラーを解き、強引に差し出した。
「ほらよ。お供えにしちゃ安物だが、文句は言わせねぇぜ」
 すると一瞬、そいつが俺を見た気がした。だが次の瞬間には、元に戻っている。気のせいだったか? 分からない。とりあえず、こいつが動こうとしないことは確かだった。仕方ねぇな。
「置いとくからな」
 そう言って、マフラーを石橋に置く。反応は無い。深いため息が零れ落ちる。クソ、幽霊相手になにしてんだ、俺は。
 結局そいつが気になり、何度も振り返りながら、俺は帰ったのだった。
 あ。そう言えばあのマフラー、不法投棄になるんだろうか。

 次の日の朝。出勤の途中に、例の場所をチラと横目で見てみると、
「おぉ……」
 感嘆の吐息が零れた。相変わらず呆然としていやがるが、首にはマフラーを巻いていた。どうやら認識はしてくれていたらしい。
 ていうか、マフラーまで白くなってるのは何故なんだ? そういうもんなのか、それとも俺の目だとそう見えるだけなのか。
 まぁ相手するほど――いや、しようとしても、してくれない訳だが――時間は無いので、珍しく軽い足取りで仕事へ向かった。

 で。やっぱり気になる訳だ。荷物を両手に、帰り道にガキに会いに行った。見に行った、というほうが正しいか。
「ワンピースにマフラーっつう組み合わせは……まぁ、アリか」
 ぶつくさと零しつつ、ポイントを探す。せっかくだし、橋が入ったほうがいいか? いや、近くじゃないと誰かも分からないしな。どうするか。
 結局無難にそいつを中心にして、斜め前からの場所に決めた。仕事場から持ってきた画材を並べる。
 茜色に染まった川に佇む、白く浮かび上がる少女。夕刻という微妙な暗がりが、程好いコントラストを生む。おぉ、中々いいじゃないか。俺は若干興奮していた。
 とはいえ、そういう風景はすぐに変わる。大体のイメージは掴んだし、その日はデッサンだけで済ました。まぁ、風景をそのまま映すなら写真にすればいいしな。描くってのは、写実的過ぎてもつまらない。
 ていうか、何で俺はこんなもんを書いてるんだろう。自分でも不思議だ。これが三上の言う同調なのか。だとすれば、あのガキは相手して欲しがっているのか。今のところはよく分からんが、描けば何か分かるか? どうだろう。

 次の休日は三上の家には行かず、家でひたすらそのキャンパスに向かい合っていた。頭に強烈な印象が残っていたから、スラスラと筆が進む。絵の世界に、のめり込んでいく――
「……ふぅ」
 筆を止め、一息吐いた。休憩ではなく、描き終わったのだ。我ながら、早いなと思う。だがそれだけ没頭していただけあって、一日丸々潰れていた。正しく言えば、昨日の夕方から今日の夕方まで、だ。無論、寝てもないし食べてもない。気付けば、睡魔と空腹が急に押し寄せてきた。しかしまぁ、ありがたいことに二連休だ。その日は休むことにした。

 そして翌日。昨日の無理が祟ったのか身体がダルい。若さは何処に行ったんだ、俺。
「さてと、見せに行くか」
 適当な額縁に入れたあの絵を片手に、家を出る。一際冷たい朝の空気が顔に触れた。
「今日は寒いな……」
 体が強張り、軽く猫背になる。また一段と寒くなっていた。もうすぐ冬だしな。

 余計に寒く感じたのは、寂しさからだろうか。あのガキは途端に居なくなっていた。周囲を見回してみても、何処にも見当たらない。
「何処行きやがったんだ……」
 お前の絵が完成したんだ。どうしてこんな時に限って、姿を見せない? 単に俺の目が悪いのか、単にからかっているのか。それとも――
 自ずと、俺の視線は天へ向けられていた。
「あ」
 呟きが零れる。青白い広大なキャンパスには、何か白くて小さいものが、浮いていた。
 あの時と違うのは、それが俺より高い所にあって、ゆっくりと落ちて来ていることだった。俺は呆然と、それを目で追っていた。
 気付けば俺は、その降りてくる場所に、そっと手を差し出していた。するとその白いものは吸い込まれるように俺の手の平に収まって、音も無く、肌色に解けていった。冷たい。
「初雪、か……」
 人を惹き付けておいて、消える時はアッサリし過ぎだ。お前だって、残りたかったんだろ? 何かを残したかったんだろ? だから居たんじゃねぇか。それなら、もう少しぐらいしぶとく居やがったらどうなんだ。そうでもないと、虚しいじゃねぇか。なんて――俺のガラじゃないか。
「ん……?」
 目線を落とせば、キャンパスの中で微笑を浮かべる、あいつがいた。あれ、書いた時は無表情だった気がするんだが……まぁ、いいか。
 笑えと言ったのは、俺だしな。


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寒くなりましたね~、私のところはまだ雪降っとりませんが。
まー瀬戸内は降り辛いですからねぇ^^;
そんなこんなで今回、三上さん登場せず。
てか、ダッシュ使い過ぎですね。。

あ、そうそう。
結局カテゴリー名は「インにヨウに、」になりましたよ。

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