やさしさを

生きていく道をみながら

痛くて足が動きません

2017-11-25 21:27:28 | 日記
  どうしましょう、53歳の時脳出血で取れて以来右半身麻痺の体と三十数年を付き合ってきましたが、この2日3日左足の支障痛の痛みと不自由は初めてで、今まで「がんばれ、頑張れ。」と自分に声をかけて来た私もいよいよ参ってしまいました。今日はヘルパーさんに、貼るカイロを買ってきて頂いて湯たんぽの替わりにベットに入れようと思っています。
 明日はもう少し好い日であります様にお祈りして休みます。もうすぐお正月になるというのにね。もう一度お祈りしましょう。「明日は良い日でありますように。」
                              情けない...   汀

愛のコリーダ  城下町

2017-10-24 22:40:09 | 日記
  愛のコリーダ ってご存知ですか、カンヌの映画祭で賞を撮った映画です。肝心の監督さんのおなまえが思い出せなくて困っています。すこし前の女優さんですが小山明子さんのご主人です。昭和の初期に実際に在った事を映画化されたのです。もちろん私の3.4歳の頃かと思いますが,...とても激しく深い愛の話です私の子供の頃大人の方の、井戸端会議のようなもので私の耳に入りました。  それで、私は小さなと思っていますがれっきとした城下町に生まれて今もその町にすんでいます。小さいですが城址もあり(今神社)お堀を埋めて作った街が以前は堀端、今 * * 銀座と言われています。町は一応碁盤の目のような街のつくりです
 私の小学校三年までいたところは堀端から直角に左に曲がります( 西方向から北へ向かう」
)ことになりますが向かった先は此の街の駅があります。角から三軒めに店を営んでいました。お城のお堀も道と共に北へ曲がって私のいえと隣のダンスホールには地下がありその名も地下食とお店の名前です。家は角なので地下へ降りていくと、お堀の)石垣が三方に立ち上がって今考えれば、それは見事なものとおもわれます。お堀の水は家の地かを流れて四、五件下の並びの家のところで左に曲がり今は映画館になっていますがそこを通ってそこにある一筋の川に流れ落ちたと思われます。其のころのその町の一番の繁華街に生まれてしまったので自然に少しお間瀬さんに。成っていたかもしれません. 男女の営みもなんであるかも知らない歳なのに何となく解って子供心に、凄い「愛情」だなと思ったことをそれもまた覚えているのですちょっと可笑しいですね。ホントニ。  そして年がいく十ねんか月日がたち私が四十歳位の時にその堀場tの街の近くを通りかかってお国はわかりませんが、外人が四、五人何か話をしてみえるので通訳の方にお聞きしてみると、其の方々は栄華 愛のコリーダを見て本を読んで其の主人公の 安部 貞 さんの暫く住んでいたと言われる処を見に来たと言うお話でした。っそれを聞いて私の感動は大きなものでしたのに最近!!また其の小さな食堂が阿部貞さの生まれたお家と言われているとお聞きして、今私大きなため息をついてしまいました.
今八十路も半ばを過ぎているわたしです。いろいろな事がありましたが、十七歳までこの国は
戦争の中にありました。それは私の中に我慢強さとか物を粗末にしないとかいっぱい残してくれましたが、たまーに(燃えるような恋がしてみたい)なんてちょっとだけおもうことがあるのです面白いですね。それで考えてみるとこの阿部定さんのお話は素敵に純粋に思えてきます.この飯田に居てそれから何処へ行かれたのかしら? わかりません・其のお店 「みかわ屋さん」は今もあると聞いています。なんとロマンチック...ちょとため息... スミマセン
                                      汀

夢いっぱいの子供 なりたいものいぱい

2017-09-28 21:10:06 | 日記
 私2歳の頃街の真ん中で自営業をしていましたので、両親は忙しく姉と兄は、天皇のお子守をしていたと言われている方が園長先生の幼稚園へ通っていました,どんな訳かわかりませんが3歳にならない前から姉たちの後について其の幼稚園に通うようになっていたというはなしなのです。ちゃんと歩けたのでしょうかトコトコと付いて行く自分の姿を想像すると何か滑稽で血よっと笑えてしまいます。そんな私ですが、本を見るようになって、最初アメリカのベテイさんから始まって乱読になってきましたがそのうち成りたいものがいぱい出て来て、今思えばた のしっかたのかな?とも思います。  はじめは、画家 、アナウンサー、先生 医者 商船学校 婦警さん 看護婦さんなどなど、夢 夢 夢、よかったなー。 結果ッ体のことや
父の 女には学問は、いらないと言う主義でどれも実現せず...でした。時折悔む事もありますが、今あの頃はよかったなーなんて思えることも、幸せの中かな...ともおもっています。 、早く生まれすぎた残念!!無念!! こんな事思うこと有りませんか。  終わります。
                                  汀

2人共大丈夫?

2017-09-21 22:03:26 | 日記
 最近私の左目の調子が悪く病院へ行きました。結果網膜の血管が詰まって出血がおきて網膜がゆがんでそこへ水がたまったりした結果だと言う事で小さい手術を受けて今後の様子を見ているところですが今日お夕飯賀すんで、夫の仕事(お茶碗などを洗ってくれる)がすんで椅子でうとうとしていた夫が目を開けて「俺、朝ごはんいらない。」と言うので私がいまばんごはんがすんだところと説明をしました。あ!そうかといって(俺いよいよかな?」といいました。
 私の胸が ドキッ としました。そんな事がたまにありますが、私が脳卒中で倒れてから
35年になり、夫は4年前に倒れましたので歳は5歳上ですが病歴は私が長いので、私のほうがお迎えを早く受けるのではないかとこのごろ考えるようになっていました。
 でも夫になるべく刺激をして、私は楽しい事をなるべく考えて二人でお迎えを受けたいな。と思うことにしています。   変な話になりましたが、いつかの日に...ですもの…
    
 誰にもわからない事ですものね。
                  済みません。       汀

すこしわたしの周りが変りましたにに

2017-09-12 21:10:49 | 日記
   来年3月から医療保険が変って今のリハビリが受けられなくなると言うので今度は病院を変えて、夫のかかっている先生に夫と同じ日に往診をして頂くようにしました。私も歳の成果??今までのように歩けなくなってきましたので(経費)はかかりますが、車で病院までの往復代にすこし足すくらいで出かける支度もいらないので体が楽ともおもわれます。 リハビリ訪問専門の先生にケアマネージャーがお願いしてくださって、それも今まで巧くいかなった夫のリハビリも同じ日に受けられて夫も納得してくれたようで、今ほっとしています。これから巧くいくように祈るばかりです。 夫も私ももう人生もながいのであまり欲は書いていないつもりですが、、 できれば 『ぴんころ』が好いですね、でも巧くいくと好いですね...
                            「うふふ。」     汀