●第20話―――。
今週ほど、自分の甘さを思い知らされた話はなかったのではないでしょうか。
私は今まで、種は「回想が多い」と言ってきました。
「総集編ばかり」とも言ってきました。
「このままだと最終回で話が終わらない」とさえ言いました。
けれど、私はサンラ○ズをまだまだ甘く見ていたようです。
さすがの私も、まさか続編で「前作の総集編」をされるとは思ってもみませんでした。
フジの音楽番組に協力できるくらいの余裕はお持ちのはずなのに、一体これはどういうことなのでしょう。
ある意味凄すぎます、サ○ライズ。いえ、サン○イズ様。
前作での教訓を1ミリも取り入れようとせず、悪い特徴をそのまま起用なさるその心意気、御見それ致しました。
●ここで突然ですが―――
<主人公・シンの「活躍報告~」!!>
この第20話は、「キラたちが戦禍の中にいるとき、シンはこんな生活を送ってよ~」という、前作とシンとの時間軸を照らし合わせようとするコンセプトによるものでした。
前作のシーン→その頃のシン→前作のシン→その頃のシン・・・といった具合です。
半分は総集編だけれども、もう半分は、シンただ一人にスポットを当てた話ということに。
よって、皮肉なことにこの「PAST」という名の総集編が、シンにとっては今までで一番台詞と登場シーンの多い回になりました。
空しさは漂いますが、今までのことを思うと素直に「良かったね」と言ってあげるべきなのでしょう。
それでは、肝心の「その頃のシン」についてですが・・・。
真っ先に語られたのは、妹・マユとの思い出話でした。
待ってましたと言うかやはりと言うか・・・シンの過去を語るにあたり、「妹」は必須事項のような気がします。
サンラ○ズ版シスタープリンセスです。
(妹が12人もいたりはしませんが、代わりにガンダムが何体もいます)
けれど、シンの思い出の中でのマユとのエピソードは、「兄妹愛」という言葉の意味に疑問を感じさせるものでありました。
草の上で気持ち良さそうに眠るシン。
そんなリラックス気分のシンの顔に、マユは大量の落ち葉をぶち撒けました。
なんということでしょうか。
可愛い顔をして、恐ろしいことをする妹です。
あの量の落ち葉なら、中に土や虫が混ざっていてもおかしくはありません。
眠っている人を驚かせる行為としてはあまりに不適切です。
ちょっとしたドメスティック・バイオレンスです。
もしかすると、仲が良いと思っているのはシンだけで、マユの方は人知れず兄に恨みを抱いていたのではないでしょうか。
今も、「勝手に私の携帯をいじるなんて、お兄ちゃん最低★」と思われているのかもしれませんね。
さて。
そんなこんなでシンの平和な日々が終わり、種デス第一話に戻って参りました。
避難した輸送船の中で、シンはキラもびっくりの嗚咽をあげて家族の死を嘆いていました。
このとき一瞬、優しい言葉をかけてきたトダカ一佐の胸に飛び込んで泣きじゃくるんじゃないかと胸をときめかせてしまったことを素直に白状しておきます。
ていうか、またしてもおいしい役どころだな、トガタ一佐・・・。
無印の「良い人選手権」はミリアリアとサイに軍配があがりましたが、デスでは今のところ彼が最有力候補だと思われます。
良い人代表(仮)のトガタ一佐の配慮のもと、プラントに渡ることになったシンですが、この後らへんのところをもう少し詳しく描いてほしかったような気がします。
卒業写真一枚で終わらせなくても。
シンが頑なに「力」を欲することになった理由は、オーブという国が「力」を使わずその理念を貫いたがために、彼の家族を死に至らしめてしまったところにあるようです。
逆恨みと取れないこともありませんが、結果だけを見ればそういうことになるのでしょう。
つまり、オーブのとった行動が正しいとか正しくないという次元の話ではなく、そもそものスタンス(何処にも干渉せず中立であること)がこの結果を招いたことに対して、シンを憤りを感じているのです。
自らは干渉しない。
けれど向こうからは干渉される。
干渉してくるモノから守りたい。
守るためには力を持たねばならない。
力を持つ。
力は争いを引き起こす。
争いは一方で行うことはできない。
他方と争うということは、つまり、他方に「干渉」するということである。
ではそもそも力を持たなければ良いのか。
しかし力がなければ守ることができない。
オーブがオーブたる理念を貫くにあたって、これらのような矛盾が多々生じます。
挙げればきりがありません。
そんな矛盾の被害者となったシン。
正しいかどうかは別として、この矛盾に真っ向から立ち向かうという姿勢をとっています。
こうして考えてみれば、シンは種の続編の主人公としてはかなり適任なのですね。
普段の活躍ぶりがアレなので、今まで気がつきませんでした。
あとはこの果てない堂々巡りの問題を、どう解決していくかですが・・・。
他にも、ナチュラルとコーディネイターの因縁だとか「戦争とお金」の話だとかがからんできて、もはや何がテーマなのかわからなくなりつつあります。
・・・本当に52話で終わらせられるのか、デスティニー?
●冒頭で、散々悪態をついておいてなんですが、今週の構図(その頃のシン)そのものは悪くない作りだったと思われます。
いかにしてシンが育ってきたかとか、どういった経緯でザフト軍に入ったのか・・・また、シンの思いや姿勢など、本編がストーリーの核に近づく上で絶対に語られるべきものでしょうし、前作と時間軸を照らし合わせることも必要だったと思います。
でも。
いくらなんでも唐突すぎます。
あの伝説の19話の後にやる意味がわかりません。
「シンが他のキャラに過去を語る」という設定の下というわけでもなければ、「EDITED2」というわけでもない。
いきなり19話と21話の間に挿入された、不自然極まりないこの第20話を、私たち視聴者はどう捉えれば良いのでしょうか。
また、シンの流れと照らし合わせるべき前作の総集編があまりにもおざなりすぎました。
何一つまとまっていません。
特にBパート直後の最終回ダイジェストは、ただでさえわかりづらい最終話をさらにややこしくした仕上がりになっていました。
上手くすればおもしろくなったはずのコンセプトだっただけに、非常に残念です・・・。
●20話感想は以上です。
最後に少し、疑問に思ったことを・・・。
今回のガンプラCMで、夏登場予定のデスティニーガンダムが紹介されていましたね。
話の展開は遅いのに、どうしてここだけはりきっているのかがとても不思議です。
で、そのデスティニーガンダムなんですが、どうやら各所で非難轟々のようで。
ガンダムシリーズをよく知らない私には、その理由がよくわからないのですが・・・・
なにやら新スネ夫の名前を一緒によく目にするので、Gガンダムか何かと関係があるのでしょうか。
もしご存知の方がいらっしゃいましたら、教えていただけるとありがたいです。
今週ほど、自分の甘さを思い知らされた話はなかったのではないでしょうか。
私は今まで、種は「回想が多い」と言ってきました。
「総集編ばかり」とも言ってきました。
「このままだと最終回で話が終わらない」とさえ言いました。
けれど、私はサンラ○ズをまだまだ甘く見ていたようです。
さすがの私も、まさか続編で「前作の総集編」をされるとは思ってもみませんでした。
フジの音楽番組に協力できるくらいの余裕はお持ちのはずなのに、一体これはどういうことなのでしょう。
ある意味凄すぎます、サ○ライズ。いえ、サン○イズ様。
前作での教訓を1ミリも取り入れようとせず、悪い特徴をそのまま起用なさるその心意気、御見それ致しました。
●ここで突然ですが―――
<主人公・シンの「活躍報告~」!!>
この第20話は、「キラたちが戦禍の中にいるとき、シンはこんな生活を送ってよ~」という、前作とシンとの時間軸を照らし合わせようとするコンセプトによるものでした。
前作のシーン→その頃のシン→前作のシン→その頃のシン・・・といった具合です。
半分は総集編だけれども、もう半分は、シンただ一人にスポットを当てた話ということに。
よって、皮肉なことにこの「PAST」という名の総集編が、シンにとっては今までで一番台詞と登場シーンの多い回になりました。
空しさは漂いますが、今までのことを思うと素直に「良かったね」と言ってあげるべきなのでしょう。
それでは、肝心の「その頃のシン」についてですが・・・。
真っ先に語られたのは、妹・マユとの思い出話でした。
待ってましたと言うかやはりと言うか・・・シンの過去を語るにあたり、「妹」は必須事項のような気がします。
サンラ○ズ版シスタープリンセスです。
(妹が12人もいたりはしませんが、代わりにガンダムが何体もいます)
けれど、シンの思い出の中でのマユとのエピソードは、「兄妹愛」という言葉の意味に疑問を感じさせるものでありました。
草の上で気持ち良さそうに眠るシン。
そんなリラックス気分のシンの顔に、マユは大量の落ち葉をぶち撒けました。
なんということでしょうか。
可愛い顔をして、恐ろしいことをする妹です。
あの量の落ち葉なら、中に土や虫が混ざっていてもおかしくはありません。
眠っている人を驚かせる行為としてはあまりに不適切です。
ちょっとしたドメスティック・バイオレンスです。
もしかすると、仲が良いと思っているのはシンだけで、マユの方は人知れず兄に恨みを抱いていたのではないでしょうか。
今も、「勝手に私の携帯をいじるなんて、お兄ちゃん最低★」と思われているのかもしれませんね。
さて。
そんなこんなでシンの平和な日々が終わり、種デス第一話に戻って参りました。
避難した輸送船の中で、シンはキラもびっくりの嗚咽をあげて家族の死を嘆いていました。
このとき一瞬、優しい言葉をかけてきたトダカ一佐の胸に飛び込んで泣きじゃくるんじゃないかと胸をときめかせてしまったことを素直に白状しておきます。
ていうか、またしてもおいしい役どころだな、トガタ一佐・・・。
無印の「良い人選手権」はミリアリアとサイに軍配があがりましたが、デスでは今のところ彼が最有力候補だと思われます。
良い人代表(仮)のトガタ一佐の配慮のもと、プラントに渡ることになったシンですが、この後らへんのところをもう少し詳しく描いてほしかったような気がします。
卒業写真一枚で終わらせなくても。
シンが頑なに「力」を欲することになった理由は、オーブという国が「力」を使わずその理念を貫いたがために、彼の家族を死に至らしめてしまったところにあるようです。
逆恨みと取れないこともありませんが、結果だけを見ればそういうことになるのでしょう。
つまり、オーブのとった行動が正しいとか正しくないという次元の話ではなく、そもそものスタンス(何処にも干渉せず中立であること)がこの結果を招いたことに対して、シンを憤りを感じているのです。
自らは干渉しない。
けれど向こうからは干渉される。
干渉してくるモノから守りたい。
守るためには力を持たねばならない。
力を持つ。
力は争いを引き起こす。
争いは一方で行うことはできない。
他方と争うということは、つまり、他方に「干渉」するということである。
ではそもそも力を持たなければ良いのか。
しかし力がなければ守ることができない。
オーブがオーブたる理念を貫くにあたって、これらのような矛盾が多々生じます。
挙げればきりがありません。
そんな矛盾の被害者となったシン。
正しいかどうかは別として、この矛盾に真っ向から立ち向かうという姿勢をとっています。
こうして考えてみれば、シンは種の続編の主人公としてはかなり適任なのですね。
普段の活躍ぶりがアレなので、今まで気がつきませんでした。
あとはこの果てない堂々巡りの問題を、どう解決していくかですが・・・。
他にも、ナチュラルとコーディネイターの因縁だとか「戦争とお金」の話だとかがからんできて、もはや何がテーマなのかわからなくなりつつあります。
・・・本当に52話で終わらせられるのか、デスティニー?
●冒頭で、散々悪態をついておいてなんですが、今週の構図(その頃のシン)そのものは悪くない作りだったと思われます。
いかにしてシンが育ってきたかとか、どういった経緯でザフト軍に入ったのか・・・また、シンの思いや姿勢など、本編がストーリーの核に近づく上で絶対に語られるべきものでしょうし、前作と時間軸を照らし合わせることも必要だったと思います。
でも。
いくらなんでも唐突すぎます。
あの伝説の19話の後にやる意味がわかりません。
「シンが他のキャラに過去を語る」という設定の下というわけでもなければ、「EDITED2」というわけでもない。
いきなり19話と21話の間に挿入された、不自然極まりないこの第20話を、私たち視聴者はどう捉えれば良いのでしょうか。
また、シンの流れと照らし合わせるべき前作の総集編があまりにもおざなりすぎました。
何一つまとまっていません。
特にBパート直後の最終回ダイジェストは、ただでさえわかりづらい最終話をさらにややこしくした仕上がりになっていました。
上手くすればおもしろくなったはずのコンセプトだっただけに、非常に残念です・・・。
●20話感想は以上です。
最後に少し、疑問に思ったことを・・・。
今回のガンプラCMで、夏登場予定のデスティニーガンダムが紹介されていましたね。
話の展開は遅いのに、どうしてここだけはりきっているのかがとても不思議です。
で、そのデスティニーガンダムなんですが、どうやら各所で非難轟々のようで。
ガンダムシリーズをよく知らない私には、その理由がよくわからないのですが・・・・
なにやら新スネ夫の名前を一緒によく目にするので、Gガンダムか何かと関係があるのでしょうか。
もしご存知の方がいらっしゃいましたら、教えていただけるとありがたいです。
シャイニングフィンガーが装備されてるからじゃないッスか?
①ハイパーモードになる。(フェイズシフト装甲の改良型。核の直撃にも耐える)
②デビルガンダムが登場する(細胞あり)
③生身でガンダムを撃破できるコーディネイターが登場
②と③にが(個人的に)ありそうです。