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蜂子皇子画像

2013-04-03 | TV

出羽三山神社:蜂子皇子建立とされる、
   聖徳太子の従兄弟といわれる蜂子皇子の画像は異国の風貌、
      
  
   教科書等に掲載されている聖徳太子の似顔絵は
   中国の敦煌の壁画を真似て描かれたもの、だそうだ
      
  「上宮聖徳法王帝説」(奈良知恩院)によると、
   穴穂部間人(あなほべのはしひと):聖徳太子の母親
    
   井本名誉教授(大阪外国語大学)によると、

   “はしひと“のはしとは、
   は・・・パル、
   し・・・・シーグ、
   はし・・・・パルシーグとは=ペルシャ人

   聖徳太子の母親はペルシャ人、
   聖徳太子、
   秦氏もペルシャ人の可能性がある、
 
   祇園祭のぎおん=ギャーン(ペルシャ語で魂)
   ギヤーンが、長い間を経て、ギヨンと変化したのは間違いないという、

三柱鳥居画像

2013-04-03 | TV
京都:木嶋坐天照御魂神社(蚕の社)秦氏創建の神社
      三柱鳥居:石が組まれ御幣が立つ、
      鳥居の真ん中は、本殿の主祭神が鎮座する場所、
      本来は周辺が池であった、主祭神が鎮座する磐座、
      水に囲まれていたため、宮司は
      “ゾロアスター教にあった拝火神殿と合致している”
      秦氏はペルシャ人であったかもしれない、という

聖徳太子はペルシャ人だった!?

2013-04-02 | TV
今回もTVネタ、

3/29オンエアの「世界遺産“三大迷宮”ミステリー」

この中で聖徳太子にまつわるいくつもの逸話が、

紹介されていた内容は以下のとおり。

”信じるか信じないかはアナタ次第!!”


1.厳島神社(広島県)1996年世界遺産登録:
     平清盛が1168年に造営
     通常神社は東か南向きにつくられているが、
     この神社は北西向き(理由は後述)

   市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)、
   田心姫命(たごりひめのみこと)、
   湍津姫命(たぎつひめのみこと)の3人が祭られている、
 
   お宮は593年に推古天皇・聖徳太子の時代にもう1柱祭られていた

   大願時のご本尊(弁財天)は、
   もともと厳島神社の本殿に祭られていたが、
   その起源はペルシャ地方の神話
   アナーヒター(ゾロアスター教の海の女神)といわれている、

 ゾロアスター教は1400~1200BC預言者ゾロアスターによって始められた、
   サーサーン朝のペルシャの国教となり、
   水と火を神聖なものと崇め、
   神殿は水の近くに立てられている、


   厳島神社の高舞台で1月1日日の出から3時間の間に、
   舞楽“抜頭(ばとう)”が行われる、
   抜頭:天王寺流では右舞、厳島神社では左楽房から出て直に舞台に上がる、
   西域の胡人(ペルシャ人)が猛獣に父をかみ殺されたので、
   山に入りその猛獣を見つけて
   之を倒し、父の復習をし悦んで、山路を・・・・(略)というあらすじのもの、

   その際に舞われる面は、明らかに日本人の顔ではない
   =ペルシャを舞台にした舞い、ではないか?


 古代オリエント文明研究家:岡田明憲氏は、
     平家はペルシャ人の末裔ではないか、と推測する
     例:奈良興福寺「大乗院寺社雑事記」には、
       “外来人が営む蔵が京都三条坊門にある。
       彼らは外国との貿易などをしているが、
       そのことごとくは、平の性を名乗っている“

 厳島神社禰宜:福田道憲氏は、
   「現在の社殿の形になったときに、平清盛が
   大阪の四天王寺の舞楽を(厳島神社に)伝えたといわれている」


2.大阪:和宗総本山「四天王寺」(593年BC)
    摂政の聖徳太子により建立、
    亀池の地下には龍が住んでいるという言い伝え、
    3万坪の敷地、昔はその10倍、海の近くに建立されていた、
    ここで抜頭についての起源は不明

  秦川勝(京都中心に活躍した豪族で、渡来人:
      交易で得た富で大和朝廷では重要な位置につき、
      聖徳太子の厚い信頼を得ていた)、
      そしてその子孫が(厳島神社の)舞楽を行っている、という

3.京都:木嶋坐天照御魂神社(蚕の社)秦氏創建の神社
      三柱鳥居:石が組まれ御幣が立つ、
      鳥居の真ん中は、本殿の主祭神が鎮座する場所、
      本来は周辺が池であった、主祭神が鎮座する磐座、
      水に囲まれていたため、宮司は

      “ゾロアスター教にあった拝火神殿と合致している”
      秦氏はペルシャ人であったかもしれない、という


  祇園祭り:秦氏が疫病を鎮めるために始めたという、世界無形文化遺産、
      深見茂氏:祇園祭山鉾連合会元理事長は、
      ペルシャ、イランのみならずその近辺一帯の文化が日本に流入して、
      祇園祭りの根底にある思想を形成したのではないか、
      証拠:山鉾にはラクダのイラスト、ペルシャの絨毯、


4.出羽三山神社:
      蜂子皇子建立とされる、
      聖徳太子の従兄弟といわれる蜂子皇子の画像は異国の風貌、
      
  
   教科書等に掲載されている聖徳太子の似顔絵は
   中国の敦煌の壁画を真似て描かれたもの、
      
  「上宮聖徳法王帝説」(奈良知恩院)によると、
   穴穂部間人(あなほべのはしひと):聖徳太子の母親
    
   井本名誉教授(大阪外国語大学)によると、“はしひと“のはしとは、
   は・・・パル、
   し・・・・シーグ、
   はし・・・・パルシーグとは=ペルシャ人

   聖徳太子の母親はペルシャ人、
   聖徳太子、
   秦氏もペルシャ人の可能性がある、
 
   祇園祭のぎおん=ギャーン(ペルシャ語で魂)
   ギヤーンが、長い間を経て、ギヨンと変化したのは間違いないという、


5.奈良:飛鳥宮
   聖徳太子にかかわる飛鳥の宮は、=ペルシャの首都ペルセポリスと同じ、
   水の都であった、

   岡田明憲氏:北西方向は神聖な方位の1つ、
   ゾロアスター教では冬至の太陽は復活を意味し、
   南東方向に出る冬至の太陽を見るためには、
   自分が北西に位置しなければならない、よって、
   ペルセポリスは北西を向いている、
   → 厳島神社が北西を向いているのもそのためではないか・・・



聖徳太子については、今日でも謎の多い歴史上最も有名な人物であるが、

”日本史の登場人物は日本人である” 

というような勝手な思い込みが今まであって、

まさか、ペルシャ人であろう・・・という可能性すら、疑っても見なかった、

あのお札にあるような聖徳太子像を鵜呑みにしていた、


報道されていた内容の全てを完全に信じるわけではないが、

ペルシャと深く関わっていたという事実がいろいろと判明するにつれ、

聖徳太子のみならず、これから日本史の見方が大きく変わったように思う、