女人高野-室生寺・1-

2013-07-25 12:58:44 | 歴史あるトコ-奈良

女人禁制だった高野山に対して、

女人の入山が許され、「女人高野」の代名詞を持つ、

奈良県宇陀市にある室生寺


680年、役小角(えんのおづの)の創建、

空海が中興といわれています。

げっ、山の上になんかある!!

・・・・奥の院・・・・

仕方ない・・・・頑張るか・・・・

(o´д`)=эハァー 

 

近代に再建された仁王門をくぐると・・・


なんか、気持いい空間

最━━━━。o.゜。(+´∀)八(∀`+)。o.゜。━━━━高!!



しかしその横手に構えていたのが、

鎧坂!!

かなり急な石段です。



石段を登りきると、そこには金堂

今回、特別拝観(拝観料400円別途)されていました。


内部には・・・・須弥壇上に十一面観音立像(国宝)、文殊菩薩立像(重文)、

本尊・釈迦如来立像(国宝)、薬師如来立像(重文)、地蔵菩薩立像(重文)の5体が、横一列に並んでおり、

それらの像の手前に、十二神将立像(重文)が並んでました。



金堂の横手には、弥勒堂

中央の厨子に、本尊・弥勒菩薩立像(重文)。

右側には釈迦如来坐像(国宝)が安置されています。



弥勒堂の正面には、天神社があり、

天神社拝殿の脇にある岩には明王像が彫られていました。



さて、金堂の横にある石段を登ると、本堂である灌頂堂がありますが・・・・・



本堂の横の塔に「???」ってなりました。

桂昌院?!


桂昌院は、五代将軍・徳川綱吉の母。

江戸時代、室生寺は興福寺の法相宗から離れて真言宗の寺院となりますが、

それは桂昌院の力添えがあったためです。

桂昌院の力で真言宗になったのに、高野山のように女人禁制では、意味がなかったんでしょうね。

なので、女人の入山が許され「女人高野」と呼ばれるようになったようです。

 

 

さらに本堂の横手奥には・・・・

北畠親房墓と呼ばれる五輪塔が。

北畠親房は南北朝時代の公卿で、

後醍醐天皇が亡くなると、まだ若い後村上天皇を擁して、

南朝を動かした中心人物です。

ただ、墓所は奈良県五條市賀名生にあるといわれるため、「伝」です。




つづく・・・・



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