真の天皇陵-中尾山古墳-

2013-03-01 12:50:38 | 歴史あるトコ-奈良

第42代 文武(もんむ)天皇

天武天皇と皇后(後の持統天皇)の子、草壁皇太子を父に、

天智天皇皇女・阿閇(あへ)皇女を母に持つ

いわばサラブレッドでした。

名前を珂瑠(かる)皇子といいます。

689年、父・草壁皇太子が亡くなり、

祖母である皇后は、幼少の珂瑠皇子に皇位につなげるため、

持統天皇として即位します。

 

697年、15歳になった珂瑠皇子は持統天皇から譲位され、

第42代天皇として即位。

しかし707年、在位10年、25歳という若さで崩御。

檜隈安古岡上陵(ひのくまのあこのうえのみささぎ)に葬られました。

奈良県明日香村、高松塚古墳の近くにある

栗原塚穴古墳が陵墓に指定されています。

 

 

実は、江戸末期まで高松塚古墳か

その北にある中尾山古墳が、文武天皇陵として考えられていました。

中尾山古墳は発掘調査の結果、

八角墳であることが判明。

また高松塚古墳や現文武天皇陵のある同じ丘陵にあり、

丘陵のほぼ中央部に位置します。


天智天皇や天武・持統天皇陵が八角墳であることなどから、

真の天皇陵は中尾山古墳ではないかといわれています。


みえますか?

中央にある石。

これは石槨(石でできた箱みたいなもの)の天井部分。

露出してます。

この下に火葬骨が安置されていたようです。


これが真の天皇陵ならば、

この扱いの差・・・・・どうするんだろう・・・・

ポリポリ(。;´Å`)9ウーン…




度、行ってみて

奈良県明日香村 文武天皇陵 中尾山古墳



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