新旧の書籍および映画の批評,作品解説.
― Ohne Hast, aber ohne Rast.
Augustrait



醜悪なカタストロフ


ドッグヴィル プレミアム・エディション


§ブレヒトの「海賊ジェニー」
 ベルトルト・ブレヒト(Eugen Berthold Friedrich Brecht;1898-1956)の三文オペラに、「海賊ジェニー」という劇中歌が登場する。


皆さん、ご覧の通り今のあたしは皿洗い
どなたのベットもつくるわよ。
一ペニー貰ってヘイコラするわ
ぼろを着て、ぼろホテルにいるわ
でも知らないのよ、あんた方はあたしを。
でもある晩、港の方で叫び声がするの
みんな聞くの、何だあの叫びはって
そして見るの、コップの傍であたしが笑ってるのを
そして言うの、なぜこんなとき笑うんだって。
  そのとき、八枚の帆と
  五十門の大砲を積んだ船が
  港の岸壁につくのよ。
(中略)
そして昼ごろ、百人の海賊が上陸して
町をのこらず占領するの、どの家からも
人間を根こそぎ、ひっつかまえて
鎖でしばって、あたしの前につれて来て
こう言うの、どいつを殺しやしょうって。
そのお昼は、港のどこもヒッソリとして
聞いてるの、殺されるのは誰だろうって
聞こえるわ、あたしが言うのが、みんなお殺しって
そして首が落ちるたびに、ヨッコラショって。
  それから、八枚の帆と
  五十門の大砲を積んだ船が
  あたしをのせて消え去るのよ。
(千田是也訳)



 100人の海賊がやってきて、町でこき使われる女中の望みどおりに住民を皆殺しにし、女中を連れて再び海へと去っていく。このオペラに着想を得たのが、ラース・フォン・トリアー(Lars von Trier;1956- )だった。


§暗澹たるベクトル
 彼は奇人である。「キングダム(1994)」では、怪異妖美な病院を舞台に偏執狂な人物群を炙り出し、「ダンサー・イン・ザ・ダーク(2000)」では、絶対的な無力に苦悩させられる人物に絶望的な人生を歩ませた。あたかもネガティブの中にしかトリアーの表現技術は備わっていないのかと想像するほどである。
 
 「ドッグヴィル」でも、軽妙さとはかけ離れた演出とシナリオによって、彼の奇巧は存分に発揮されている。
 この映画の演出上、はじめに目を引くのは、その異様なセットであろう。ロッキー山脈の麓、住人が23人しかいない村を舞台に、家や通りはすべて白線で囲った単純な図形で表され、そこには壁も天井も存在しない。舞台演劇よりもさらに簡素なセットになっている。
 このような設定の村に闖入してきた1人の女と、村人たちの人間関係の描写のみで3時間近く鑑賞させるのだから、溜飲が下がる。

 CHAPTER1からCHAPTER9までの章立てで映画は構成されているが、予め何が起こるかは、その都度鑑賞者に示される。つまり、登場人物に関する出来事は、物語の進行上「不可避」であることを如実に示しているのである。たとえそれが、どれほど残酷でおぞましい事態であったとしても。

 
§ヒロインが体現するもの
 グレースという女性が村に現れ、村に滞在することを望み、彼女がその理由については口を閉ざすことに、村人は訝しがりながらも興味を覚えていく。グレースは村人の歓心を買うために、「不必要な仕事」に従事する。“やってもやらなくてもよい仕事”を〈村に置いてもらう〉ためだけに行うのである。

 名詞【grace】*1 は、非常に多義的な意味を内包する。たとえば、[品のよさ,上品,優雅;優美;(文体・表現などの)美しさ,洗練]という意味のほか、[慈悲,寛大さ,寛容,寛恕]という意味がある。
 さらには、[徳;神の恩寵を受けている状態;選民であること]、[長所,美点,魅力、道徳的な強さ,気骨]という様々な意味がある語となっている。
 ここでグレース(grace)の語義を記したのには、もちろん理由がある。映画で村の異分子として登場するグレースは、語意の特質を全て持つ人物像となっているのである。また、少々深読みすれば、in a person's good [bad] gracesで《〈人に〉気に入られ[嫌われ]て》、という熟語でも用いられるごとく、気に入られることと嫌われることのいずれの評価でも使われる名詞になる。これを固有名詞に転用すれば、「ドッグヴィル」のヒロイン像が浮き彫りとなるだろう。

 慈悲深いグレースは、犬畜生にも劣る仕打ち(DOGVILLE)に遇されながらも、権力の象徴として現れたある人物と対話する。その中核にあるものは「哀れみ」と「寛容」、そして「寛恕」である。強大な権力をグレースは「傲慢だ」となじる。しかし、彼女のそのような態度こそ傲慢ではないか、と論駁され、彼女は村人の因果を償わせるには、相応の代償で報いることが必要であることを知る。


§モチーフ:U.S.A 
 トリアーは、この「ドッグヴィル」を「アメリカ3部作」の初作と位置づけている。飛行機恐怖症の彼は、アメリカには一度も足を踏み入れたことはなく、これからもないだろう。かつて映画評論家に「行きもしないでその国が舞台の映画を撮影するなど茶番である」と評されたトリアーは、その時の憤りを「アメリカ3部作」に託すことを決めたという。
 しかし、「『カサブランカ』を作った映画人は、一度もカサブランカに行ったことがないはずだ」というのが彼の1つの信条でもある。

 トリアーは、続編「MANDERLAY(2005)」と「WASHINGTON」でグレースのその後を描くことを決めているが、「ドッグヴィル」で役を華麗、可憐に演じたニコール・キッドマン(Nicole Kidman;1967- )は、すでに降板してしまった。「MANDERLAY」では、ロン・ハワード(Ronald William Howard;1954- )の長女ブライス・ダラス・ハワード(Bryce Dallas Howard;1981- )が演じている。
 たとえ1作ごとにグレースを演じる女優が変わったとしても、自分はグレースの人生を展開させ続けるだろう、とトリアーは考えている。

『ドッグヴィル』×『マンダレイ』 ラース・フォン・トリアー ツインパック [DVD]
ジェネオン エンタテインメント

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Title:DOGVILLE
Director:Lars von Trier
Cast:
 Nicole Kidman
 Harriet Andersson
 Lauren Bacall
 Jean-Marc Barr
 Paul Bettany
▽177分 / デンマーク / 2003年
(C) Zentropa Entertainments, Isabella Films B.V., Memfis Film, Memfis Film International, Pain Unlimited GmbH Filmproduktion, Sigma Films, Slot Machine, Edith Film Oy, Spillefilmkompaniet 4 1/2, Invicta Capital, Fjeldabe Films AS ,Film i Väst ,arte France Cinéma ,arte,WDR, France 3 Cinéma, DR, SVT, TV 1000, YLE, Norsk TV2 AS, Something Else B.V., Trollhättan Film AB, Zoma Films Ltd., Liberator Productions, Filmmek, Canal+ ,Nordisk Film Biografdistribution, Danish Filminstitute, Eurimages, SFI, Nordisk Film- & TV-Fond, Filmstiftung North Rhine Westphalia, CoBo Fonds, Foundation for Audiovisual Production, Film Fund of the Netherlands, Finnish Film Foundation 2003

*1 『プログレッシブ英和中辞典』/小学館/2001年





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