Augustrait





(提供:光文社)
 「もし私が、私がそこに生れ育った階級が呻吟する、忌わしい奴隷制と非人間的不正をやっつけることができなかったら、頭に弾丸をぶちこんで死んでみせる」この国、いや外国においてすら、アンベードカルほど波瀾に富み、刺激的でロマンチックな人間は稀であろう。牛糞にまみれた不可触民の子として生れ、不治の病のように忌み嫌われた少年時代を送り、床屋、宿屋、寄宿舎、車、寺院、役所といった社会の総てから疎外され、飲水、食物すら拒否される人生を歩まされ、やがて世界的最高学府で学位を取りながら、その一歩一歩を徒手空拳、血と汗を流し一つ一つ取ってゆかねばならなかった――。

 不可触民を“神の子”(ハリジャン)と名づけ、5番目のカーストに位置づけようとしたマハトマ・ガンジー(Mohandas Karamchand Gandhi)は、いかに彼自身が「偉大な魂」と崇められようと、所詮はバラモン出身のエスタブリッシュメントであった。イギリス領南アフリカ連邦の人種差別政策に反対したのも、差別による私憤をきっかけとし、カースト制度の温存と差別反対という虫の好い主張を繰り返した。ビームラーオ・アンベードカル(Bhimrao Ramji Ambedkar)は、そうではなかった。犬猫に劣ると蔑まれた不可触民の出自でありながら、1950年のインド新憲法で不可触民を廃止するまでの重要な時期、初代法務大臣としてインド憲法の草案を起草を手がけた。イギリス、アメリカに留学を果たし、猛る獅子のごとく貪欲に知識を吸収した。

 “触れるべからざるもの”“近寄るべからざるもの”“視るべからざるもの”――このような烙印を捺された不可触民には、井戸の水を飲むことも許されず、交通事故や事件に巻き込まれても警察はろくに捜査もしない。教師は不可触民の子を避け、質問にも答えない。この出身に生まれたということだけで、カースト・ヒンドゥーの影を踏むことすら禁じられていた。なんという体たらくであろうか。そんな生地を、祖国と呼ぶことなどできない、とアンベードカルはガンジーに詰め寄る場面が印象的だ。ガンジーは、アンベードカルの22歳年長である。「あなたは、私と会議派に大変御不満がおありだそうですね。ですが、博士、私はこれまで長い間、あなたががまだ生まれない、学生時代から不可触民問題について考えつづけていたのですよ」と嫌味たっぷりにアンベードカルを諫めた。それがどうした、とアンベードカルが応酬する。数字で彼は反論したわけではないが、3億のヒンズー教徒の20パーセント、6,000万の人々が、不可触民として遇され、既定の人生を歩まされてきた。それも遡ること2500年余りの長期間である。

 愛したいものを捨てなければならないことほど、身の軋む苦しさを覚えることはない。アンベードカルは、インド国内ではガンジーを凌ぐ国民的人気を誇る偉人であるという。「自尊心のある不可触民なら誰一人としてこの国を誇りに思うものはありません」と述べた彼は、インド独立の二年後にインド憲法の草案を作った。故国を捨て去る非情さを彼は持ち合わせておらず、自分のなすべきことを知っていた。差別思想を内蔵した改革思想に拒絶を突きつけ、政治的行動で多方面に影響力を及ぼしたアンベードカルの生涯は、憤怒と慈悲が融けあった苦難の道であった。このことが、本書からよく伝わってくる。ガンジーとの意見の対立点だけでなく、妥協点はどこにあったのかも詳しく検討していきたい。国内外の毀誉褒貶の激しい典型例のような人物である。

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Title: Dr AMBEDKAR
Auther: Dhananjay Keer
ISBN: 4334032958
▽『アンベードカルの生涯』ダナンジャイ・キール ; 山際素男訳
-- 光文社, 2005.2, 348p.
(C) Keer, Dhananjay 2005