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[提供:岩波書店]
 中国で,遣唐留学生「井真成」の墓誌が発見されたというニュースは,まだ耳に新しい.国家の使節として,また留学生・留学僧として海を渡った人々は何を担い,何を求め,何を得てきたのだろうか.遣隋使と遣唐使を統一的にとらえる視点から,七,八,九世紀の約三百年にわたる日本古代外交の実態と,その歴史的な意義を読み解いていく――.

 唐の制度・文物を導入することを目的にした遣唐使も,初期は中小氏族や渡来系氏族の出身者が多く,実務的性格が強かった.第二期以降には大伴,中臣,藤原など大和朝廷以来の名家が使節に選抜されている.これを「日本の文明化の段階」と考察する東野治之は,日唐の交流を史料『延喜式』『懐風藻』『続日本後紀』などを読み解き実証してみせる.
‘朝廷は推古朝以来,中国と外交上対等に接してきたと考えている人が多いのではないだろうか.研究者の間でも,そのような見方が長らく常識となり,日本からの国書は外交上の名分を争う種とならないよう,持参されなかったという考えも一般化していた.それが改められ,日本が唐に国書を差し出していたことが認められたのは,一九八〇年代も後半になってからである.これには,第二次大戦前からのナショナリズムが,冷静な認識を妨げてきたことも影響しているだろう.昭和戦前期以降,唯物史観による研究が芽生え,盛んになっても,その関心は国内史中心で,国際関係への注目は,いわゆる六〇年安保以後のことである’*1
 糒(ほしいい)と生水のみで飢えをしのぎ,難破漂流,沈没の危険に屈せぬ遣唐使船のロマンに偏った叙述は避けている.日本に戒律と精神と儀礼を本格的に伝え,唐招提寺の開祖となった鑑真とその一行の「質量ともに飛び抜けている」影響は否定されないが,中国以外から遣唐使を介してやってきたインド僧やベトナム(林邑)僧,ペルシャ人,イラン人も忘却されてはならない.遣唐使で渡航した日本人留学生の墓誌が,唐の都にあった西安の東郊から出てきた事実に知的興奮を覚える.

 真摯な歴史家ならば,友好やシルクロード経由の文化受容をなしたとされる「鎖国体質」,倭国の政治外交上の使命を史的に追跡することは当然.しかしその姿勢を保つ研究者は少ない.戦後教科書検定に関与した森克己『遣唐使』の記述が,1955年以来,遣唐使関係の教科書に影響を及ぼしてきたことを本書は指摘する.「国史」から「歴史」へのパラダイム転換を期する位置づけの意味で,本書の意義は大きい.

遣唐使全航海
上田 雄
草思社

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原題: 遣唐使
著者: 東野治之

ISBN: 9784004311041
  • 『遣唐使』東野治之
    --岩波書店,2007.11, , viii, 205, 5p, 18cm
    (C) 2007 東野治之

    *1 本書