Augustrait






 カナダ生まれのデイヴィッド・マレル(David Morrell)は、文学と小説技法の研究者であったが、バイオレンス小説を発表して文学者の顔を知らしめた。中でも、本書は、映画「ランボー」(1982)の原作として有名。元グリーンベレーの帰還兵、ジョン・ランボーは、夭折の詩人アルチュール・ランボー(Jean Nicolas Arthur Rimbaud)の彗星のような軌跡をイメージして生み出されたキャラクターである。発表当時、マレルは、ランボーの年齢を22歳前後と設定していた。組織的な警察を相手取り、孤独に闘いを挑んでいったランボーの超人的アクションは、バイオレンスとマン・ハントの趣が確かに強い。しかし、それと同様に描かれるのは、従軍したベトナム戦争で国家により仕立て上げられた「殺人機械」としての兵士の末路であり、発表当時、ベトナム帰還兵の「社会的行き場のなさ」、さらには後に「PTSD(心的外傷後ストレス障害)」と名づけられるベトナム後遺症など、ベトナム問題は終戦後も終結していない、という社会問題を提起していた。つまり、社会派小説の装いも呈している作品なのである。

 ケンタッキー州の田舎町を訪れた青年ジョン・ランボー。ベトナム帰りの元グリーンベレー隊員である。髪もヒゲも伸び放題の彼は、定職もなく放浪の旅を続けていた。町の警察署長ティールズは、挙動不審なランボーの拘留を図る。カミソリを頬に当てられた瞬間、ランボーの心は戦時下に引き戻された。警官を逆にカミソリで襲い、拳銃を奪って、ランボーは山中へ逃亡。怒りに燃えるティールズは、部下を率いてランボーを追跡する。しかし、サバイバル術に長けたランボーを捕獲することができない。ティールズは、グリーンベレー訓練スクール校長、サム・トラウトマンの助力を仰ぐことになる…。
‘かれはたったひとりですから、見つけるのは困難です。命令を受けずに自分の判断だけで行動でき、他の分隊と同調する必要もありませんから、すばやく動きまわって銃撃し、移動してどこかほかの場所に隠れ、同じ攻撃をまた繰り返すでしょう’*1

 トラウトマンは、米国陸軍特殊部隊員の訓練を積んだランボーが、容易に捕まることはないと皮肉交じりに言ってのける。ナイフ一丁で一週間を生き延び、各種武器の扱いや、徒手空拳の殺人術さえ身に付けたゲリラ戦のエキスパート。実際に、ランボーは危険を感じたら保安官助手、州兵、猟師、ライフル愛好家などを次々に葬っている。兵士としての優秀性は、グリーンベレーの訓練方針の正しさの証明である。トラウトマンは、朝鮮動乱の勇士、ランボーはベトナム戦線の生還者である。この2人の対決に物語の構図は傾いていくが、世代間ギャップがここにはある。また、戦いの舞台は、ケンタッキー州の保守的な田舎町であるが、地域性としてランボーのような危険な無法者を受け入れてくれるはずがない。

 1980年代、ベトナム帰還兵の社会的受け入れの難しさは、すでに大きな問題となって表面化していた。映画「タクシードライバー」(1976)の例を見るまでもなく、失業率や犯罪率の上昇が問題視されていた。戦場で生き延びたとしても、社会的にはすでに抹殺されていた青年は、孤立していくほかはない。帰還兵に優しいアメリカ市民など、どこにもいないだろう。平和な田舎町で繰り広げられるランボー、ティールズ、トラウトマンの死闘は、政治的にはまったく意味のない、不毛な闘いである。それでも、不可避の戦闘であった。ベトナム戦争の爪痕は、深刻なトラウマとなって、確実にアメリカ国内を蝕んでいたのである。ラストで、ランボーはトラウトマンに頭部を撃ち抜かれて死亡する。残酷な結末だが、ある種の安堵感を覚えながら絶命したかのように受け取れる描写は、簡潔だが重い。原題「First Blood」の意味は、「最高の実戦兵士」。また、“…draw the first blood”で「~が先にしかけた(けしかけた)」という意味になる。一体、誰がランボーを忌まわしき戦場に連れ戻したのであったか。

ランボー―怒りの脱出 (ハヤカワ文庫 NV (385)) (ハヤカワ文庫 NV (385))  ランボー3―怒りのアフガン (ハヤカワ文庫NV) (ハヤカワ文庫NV)  ランボー 最後の戦場 (ハヤカワ文庫NV)

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Title: FIRST BLOOD
Author: David Morrell
▽『一人だけの軍隊』デイヴィッド・マレル ; 沢川進訳
-- 早川書房, 1982
(C) David Morrell 1972

*1 本書、p.214